G: そうだね。でも、自分としては、やりたいことはデビューした頃から、ずっと一緒だったと思う。オーストラリアを訪れた時、<次のジミ・ヘンドリックス>と言われているのを知って、そんなふうに言われるのは有難いと同時に、「やめてくれ」と思ったのを覚えている。そういう決めつけはされたくなかったからね。だって「Things Are Changin'」みたいな曲は昔からずっとやってたんだ。R&B風の曲にしてもそうさ。プリンスからの影響もあったし、90年代のヒップホップに影響を受けたビートもやっていた。ジャーメイン・デュプリ、テディ・ライリー、ベイビーフェイス、DJ マイケル・ワッツ、DJスクリュー、ダンジョン・ファミリー、クインシー・ジョーンズ等々。R&B、ブルース、ファンク、ロックンロール、レゲエとジャンルに関係なく、音楽が作られる過程そのものが好きだった。8歳とか9歳くらいには、ギター、ベース、ドラムをカシオのキーボードで重ねて音楽を作っていたよ。だから<次のヘンドリックス>とか<ブルースの新星>みたいに言われるのは、嬉しいと同時に「自分は一つのことしかできない人間じゃないぜ」という気持ちがあった。ぼくがブルース以外のことをやるのを聴いて驚く人たちもいるかもしれないが、アルバムに収められた12曲程度は、ぼくがこれまで演奏してきた何百万時間もの音楽のごく一部でしかない。もちろん、ブルースは常にぼくの一部だったし、土台だった。ブルース、R&B、ゴスペルこそがぼくの原点だ。その後、さらにいろんな音楽から影響を受け、それがぼくのプレイに染み込んできた。今後もそうあり続けるだろうし、やれなくなるまで、このまま進み続けるだけだよ。
G: 文字通り、クロスロード・フェスはぼくの人生そのものを変えてくれた。2010年のシカゴで、エリック・クラプトンがぼくにくれた数分のチャンス、ドイル・ブラムホールが隣にいて、B.B.キングやバディ・ガイと演奏したんだ。あの時の話をするたびに、いまだに胸がいっぱいになって言葉に詰まる。1996年に初めてギターを手にして以来、ぼくはずっと「ああいうミュージシャンの一人になりたい!」と思ってきた。その全員が、初めて出たクロスロードのフィナーレのステージにいたんだ。ロス・ロボス、デレク・トラックス、スーザン・テデスキ、ロバート・クレイ、ヒューバート・サムリン、ジミー・ヴォーン、ジョン・メイヤー、バディ・ガイ、、、。ステージでB.B.キングがぼくの手を掴み、目を見て何か言ったんだ。でも、騒がしくて何を言われたのか聞き取れなかった。きっと「Welcome to the club, kid(お前もこれで一人前だ)」と言ってくれたんだと信じてる。あの日、ぼくは認められたんだと思う。あの日を境に人生は変わった。クロスロード・フェスティバルの意義や目的、そしてその基盤となる音楽を考えると、自分がその一部を担っていることが誇らしいよ。だって、クロスロード・フェスは本当に多くの人を助けているんだ。音楽業界でこうしたことを実現しようとしても、決して簡単ではない。ぼく自身、仕事や私生活において、いい時も悪い時もあったし、苦しんでもがいた時期もあった。でも、そこに行けば助けが得られる場所があるというのは、とても安心できるし、ミュージシャンが必要な支援を受けられる場所があるのは素晴らしいことだと思う。そんなチャリティーのためのクロスロード・フェスでキャリアをスタートできたこと、美しい機会を得られたことは、大きな意味があるんだ。この世の中でどう生きていくかを考えさせてくれた。チャンスは、自分のためにはもちろんのこと、手にしたなら、他の誰かのためにそれを活かすことが大切なんだと教えられた。とんでもなく答えが長くなってしまったけど(笑)、それくらいクロスロード・フェスティバルは特別なんだ。何度も参加させてもらい、クラプトンはもちろんだけどクルーたちとも信頼関係を築き、偉大なレジェンドたちと共にステージに立てることを、心から誇りに思っているよ。これまでの人生でやってきたことは、すべてクロスロードのようなフェスティバルに参加するためだったんだと感じる。つまり、「自分は間違っていなかったんだ」と、どこかで確認できたような気がするんだ。
Q: テキサスの中でも特にオースティンは音楽の街、それもライヴの盛んな町として知られていますね。バーが立ち並ぶ6thストリートには音楽が溢れているし、SXSW、Austin City Limitsなど、若手のミュージシャンたちにとって未来へのチャンスの場となっています。そんなライヴ・ミュージックの都オースティンで育ったことは、あなたの人生にどんな影響をもたらしていますか。
G: そのことを考える時、いつもクリフォード・アントンを思い出す。彼はオースティンにあるクラブ「Anton’s」の伝説の経営者だ。まだ子供だったぼくを彼は出演させてくれて、レジェンドたちのステージにも立たせてくれた。そして「ゲイリー・クラークこそ、ブルースの未来だ。そんなゲイリー・クラークに拍手を!」と、毎回紹介してくれていた。ある時、オリジナルの「Things Are Changin'」を演奏していたら、クリフがステージに近づいてきて「ジミー・リードの曲をやれ」と言ったんだ。ジミー・リードは言うまでもなく、史上最高の伝説のブルース・アーティストだ。ぼくは笑って返したが、心の中ではこう思った。「やるよ、クリフ、やるとも。でも同時にぼくは自分の曲を自分のやり方でやる」とね。つまり、「自分がどこへ向かっているかを忘れるな。そしてどこから来たのかも忘れるな。さらには、自分が向かう道の邪魔を他人にさせるな」ということ。ルーツは心からリスペクトするさ。でも、ぼくには他にもやらなきゃならないことがあるんだ。