大阪ウドー音楽事務所

BOZ SCAGGS/ボズ・スキャッグス

BIOGRAPHY バイオグラフィー

 1944年9月8日にオハイオ州カントンで生まれたスキャッグスは、10代の時をすごした米国オクラホマ州とテキサス州でブルース、R&B、初期のロックンロールに染まり、ダラスでハイスクールに通っている時に地元のバンドで演奏した。その後ウィスコンシン州マディソンとテキサス州オースチンでミュージシャンとして活躍した後、スキャッグスはヨーロッパ、中東、アジアを旅し、ストックホルムでデビュー・アルバム『Boz』を制作した。

 スキャッグスは1967年に米国に戻り、サンフランシスコのスティーブ・ミラー・バンドに加入、アルバム『未来の子供達』『セイラー』の製作に参加した。その後1968年にアラバマ州マスクル・ショールズでレコーディングされた『ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン』をアトランティックレコードよりリリースした。彼のシグニチャースタイルとなるバラートに加え、ロック、ブルース、R&Bの影響を独特に織り交ぜ、世に多大な影響を与えた70年代のアルバム『モーメンツ』『ボズ・スキャッグス&バンド』『マイ・タイム』『スロー・ダンサー』及び1976年に『シルク・ディグリーズ』をリリース。『シルク・ディグリーズ』はセールス的に大成功を収め、アルバムチャート2位となり、115週間チャートに君臨した。トップ40ヒットの「イッツ・オーヴァー」「リド・シャッフル」に加え、グラミー賞を獲得した「ロウダウン」も収録されている。また、同アルバムからの「ウィア・オール・アローン」は後にリタ・クーリッジがカバーし、チャート1位となった。その後も『ダウン・トゥー・ゼン・レフト』『ミドル・マン』をリリースし、「プレイクダウン・テッド・アへッド」「ジョジョ」「燃えつきて」等のヒット曲を生んだ。

 この70年代の成功にもかかわらず、スキャッグスは80年代の大半は音楽シーンから離れ、旅行や家族でビジネスを行い、父親になり、更にサンフランシスコでクラブ・スリムスを設立した。1988年、8年振りに音楽シーンに戻り、『アザー・ロード』『サム・チェンジ』『ディグ』、そしてグラミー賞にノミネートされた『カム・オン・ホーム』、アンプラグド・アルバム『フェイド・イントゥ・ライト~ラヴ・バラード・アルバム2』、これまでのヒット曲を演資したライブアルバム『グレイテスト・ヒッツ・アルバム』をリリースした。また、ドナルド・フェイゲンのザ・ニューヨーク・ロック・アンド・ソウル・レビューとツアーし、その間、米国および海外、特に日本で人気を博した。ジャズ・スタンダードを歌った2枚のアルバム『パット・ビューティフル』『スピーク』をリリースし、後者はビルボード・ジャズ・チャートで一位になり、南部音楽の影害を受けた『メンフィス』とR&B調の『ア・フール・トゥ・ケア』と共に、それぞれ彼のスタイルに溢れた音楽性が輝いている。

 「音楽は常に私のパートナーで、今はかつてないほど自由に感じている。」とスキャッグスは語る。「長年かけて漸く自分の音を見つけた気がする。満足できるアプローチに近づいた。」

 2018年には、彼のルーツであるブルース・ミュージックに回帰したアルバム『アウト・オブ・ザ・ブルース』をリリース。この新作アルバムが第61回グラミー賞ノミネートされた。50年以上続いている彼のキャリアはブルースから始まっており、タイトルに相応しい充実した内容だった。

 これまで22回に渡って実現している彼の来日公演は、その時代時代によって様々な表情を見せてきた。最新の2019年の公演は、ここ数作品の充実ぶりに加え、往年のヒット曲も出し惜しみすることなく、さらに素晴らしい演奏を披露したことが記憶に新しい。2008年のTOTOとのジョイント・ツアーは日本のみで実現した特別なものだったし、2012年に行ったドナルド・フェイゲン、マイケル・マクドナルドとのプロジェクト、ザ・デュークス・オブ・セプテンヴァーでの来日も話題となった。さらに遡れば、いわゆるAOR全盛期の彼は頻繁に来日しており、絶大な人気を誇っていたのだ。

 2024年2月には、5年ぶりとなる来日が決定。大ヒット曲「ウィア・オール・アローン」始め、「ロウダウン」「ジョジョ」「リド・シャッフル」や、近年のブルースに根ざした楽曲など、充実のセットリストを披露してくれるだろう。来年には80歳になる彼だが、今年も精力的にツアー活動を続けており、いつまでも若々しいその姿と、その洗練されたパフォーマンスをここ日本で見ることができるというのはこの世の至福に違いない。

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