第2期としての最初のスタジオ・アルバムにして傑作『IN ROCK』を発表。これにより祖国イギリスでの人気と地位も確立した。続く『FIREBALL』は1971年にリリースされ、全英No.1を獲得。そして1972年、“Smoke On The Water”や“Highway Star”といった名曲を多数収録した『MACHINE HEAD』をリリース。同年8月の初来日公演はレコーディングされ、『LIVE IN JAPAN』としてライヴ・アルバムの傑作として高評価を得る。
1984年、DEEP PURPLEは、黄金のラインナップとされる第2期のメンバー(ギラン、ブラックモア、ロード、ペイス、グローヴァー)で再結成。同年、傑作とされる『PERFECT STRANGERS』を発表。その後のツアーも世界各地で人気を博し、再結成はファンに熱狂をもって迎えられた。そして、1987年には再結成第2弾となる『THE HOUSE OF BLUE LIGHT』をリリースするも、ブラックモアとの確執により、1988年にギランが2度目の脱退。そして、DEEP PURPLEを脱退していた間にブラックモアとグローヴァーが活動していたRAINBOWのジョー・リン・ターナーがシンガーの座に就いた。1990年に『SLAVES AND MASTERS』を発表するも、ターナーは1992年にはバンドを去る。シンガーを失ったバンドに、同年ギランが2度目の復帰を果たし、第2期DEEP PURPLEとして『THE BATTLE RAGES ON...』を1993年に生む。が、そのアルバムを携えてのツアー中に、ブラックモアが突如脱退。バンドは、ジョー・サトリアーニを急遽代役に立て、日本公演を含む残りの日程を乗り切った。
1994年、DIXIE DREGSやKANSASでも活躍してきたアメリカ人ギタリストのスティーヴ・モーズが正式メンバーとして加入し、『PURPENDICULAR』を1996年に発表。1998年には、『ABANDON』をリリースした。ところが、2002年にバンドの創設メンバーであり、これまで一度もバンドを離れることなくリーダーシップを発揮してきたロードが脱退を表明。後任は、DEEP PURPLEと因縁浅からぬRAINBOWでも活躍したドン・エイリー。エイリーを迎えた新生DEEP PURPLEは、2003年に『BANANAS』、2005年には『RAPTURE OF THE DEEP』を発表した。
2012年7月16日に、ロードが肺塞栓症のため他界。彼の死には、ブラックモアを含むかつてのバンドメイトたちも追悼の意を表した。盟友の旅立ちを経て、バンドは、プロデューサーにボブ・エズリンを迎え、2012年に制作を開始した通算19作目のスタジオ・アルバム「NOW WHAT?!」を、海外で2013年4月下旬、日本では5月にリリース。そして、2014年4月には、18年振りとなる日本武道館公演を含むジャパン・ツアーを実施。その武道館公演の模様を収めたライヴ作品「...TO THE RISING SUN」を2015年に発表した。
2016年、ようやく『ロックの殿堂』入りを果たす。その称号を携え、2016年5月にも来日し、ツアーを行なった。東京公演は日本武道館。その来日の際に制作途中であった通算20作目のスタジオ・アルバム「inFinite」を2017年4月にリリース。
そしてデビュー50周年となる2018年10月に来日公演が決定!しかもツアー・タイトルは「The Long Goodbye」・・・この意味深なタイトルに言葉を失う。長きに渡って素晴らしい楽曲を届けてくれたメンバーに深い感謝を込めて、このツアーを見届けよう!