デイヴィッド・リー・ロス・バンドなどで活動していたビリー・シーン(b)、実力派シンガーのエリック・マーティン(vo)、世界最速の技巧派ポール・ギルバート(g)、ロバート・プラントなどのツアー・メンバーだったパット・トーピー(ds)の4人により結成。個性あふれる才能とそれぞれのプロフェッショナルが集まり、1989年アトランティック・レコードより、セルフ・タイトル『MR.BIG』でデビュー。日本でも「スーパー・バンド結成!」とデビューと同時に大きな話題を集めた。
1991年、2ndアルバム『リーン・イントゥ・イット』を発表。ポールとビリーがドリルを使って掛け合いをする強烈なナンバー「ダディ、ブラザー、ラヴァー、リトル・ボーイ」などの話題曲も収録しキャッチーなメロディを持ったハード・ロック・グループとして日本においても絶大な支持を得る。さらに、あるラジオ局のDJがかけ始めたというバラード・ナンバー「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」は、最終的に全米シングル・チャート1位にまで登り詰め、このアルバムで大きな飛躍を遂げる。
そして、1993年に発表した3rdアルバム『バンプ・アヘッド』ではキャット・スティーヴンスの「ワイルド・ワールド」のカバーを収録し、日本での人気は不動のものとなった。1996年にはヒット・シングル「テイク・カヴァー」を収録した4thアルバム『HEY MAN』を発表。この作品は、なんと洋楽アーティストにしてオリコン総合チャート初登場1位という偉業を成し遂げる。
MR.BIGは、発売するアルバムがそれぞれ数十万枚の大ヒットを記録するというモンスター・グループとなり、1996年に発売されたベスト・アルバム『Big, Bigger, Biggest』では、100万枚に迫る巨大なセールスを記録する文字通りのスーパー・ロック・グループとなった。その一方で、個性と才能がぶつかりあう集団であるグループならではの、くすぶっていた人間関係が1998年にサウンドの要であるポール・ギルバートの脱退という形でついに表面化してしまう。
翌年には、リッチー・コッツェン(g)を後任に迎え、オリジナル5thアルバム『ゲット・オーヴァー・イット』をリリースし、再び日本では大きなセールスを挙げたが、2001年にリリースしたアルバム『アクチャル・サイズ』を最後にビリー・シーンも脱退しバンドは解散、活動は停止しその後はそれぞれソロ・プロジェクトなどで独自の活動をスタートさせた。
バンドのデビュー20周年にあたる2009年に、13年振りとなるオリジナル・メンバーでの再結成を発表しファンを歓喜させた。再結成後、初のライヴの地に選ばれたのはここ日本。全国9都市、日本武道館、横浜アリーナを含む10公演を即日ソールド・アウトさせ、日本各地で熱狂のライヴを繰り広げた。その後は怒濤のヨーロッパ・ツアー、インドやシンガポール、韓国まで制覇した東南アジア・ツアーを経てMR.BIGの完全復活を広く知らしめた。
再結成ツアーの反響の大きさに手応えを感じた4人はミーティングを繰り返し、アルバムの制作を決断。ポールのスタジオにて曲作りを開始し、ケヴィン・シャーリーをプロデューサーに迎えレコーディング作業へ。そして遂に、14年振りとなるオリジナル・スタジオ・アルバム『ホワット・イフ…』が完成。奇跡のミュージシャン4人が産み出すケミストリーが圧倒的な迫力で迫る、超強力なロック作品として多くのファンに受け入れられた。翌2011年には、東日本大震災に見舞われ一部の会場が使用できなくなるなどのアクシデントはあったものの、北は北海道から南は九州までの全国縦断ツアーを行い、日本各地を再び熱狂の渦に巻き込んだ。
2014年、ドラマーのパットがパーキンソン病の罹患、闘病中であることを公表し、世界に衝撃が走った。様々な憶測の流れる中完成させたアルバム『…ザ・ストーリーズ・ウィ・クッド・テル』を携え日本公演を敢行。代役としてマット・スターを起用し、パットもコーラスやヴォーカル、限定的ながらドラムでも参加しひときわ大きな歓声を浴びるなど、全国で感動のステージを繰り広げた。また同様の編成で世界ツアーを行い、バンドとしての結束力、存在感をあらためて知らしめた。
2017年、9枚目のアルバム『ディファイング・グラヴィティ』をリリース。メンバーそれぞれの活動を経て再び結集して作られたアルバムは原点回帰ともいうべき快作で、多くのファンに歓喜を持って受け入れられた。リリースに先立ち、北米、欧州でのツアーを行い、9月待望のジャパン・ツアーが行われた!しかしながら、2018年2月7日、パットがパーキンソン病の合併症により逝去というショッキングな出来事に見舞われてしまう。同年5月23日「Mr. Big & Friends Celebrate The Life Of Pat Torpey」と題したパットのトリビュート・ライヴが開催された。この公演では生前パットがMR. BIG再結成後に日本で使用していたTAMAの白いドラムキットが用意され、ビリー、エリック、ポール、マットの4名の演奏に加え、ビリーとエリック、リッチー3人の共演による第2期MR.BIGのナンバー「シャイン」、「ダンシン・ウィズ・マイ・デヴィルズ」、「スーパーファンタスティック」の3曲が披露された。
正確なドラミングだけでなくコーラスとして重要な役割を果たしていたパットの損失は、バンドにとって大きなダメージとなりバンドとしての活動が出来ない状況が続いた。2021年には再結成後の彼らに密着した様子を映像にしたドキュメンタリー映画『MR.BIG~3・11から10年 被災地とともに歩んだ外国人バンド』が話題となるもバンド復活の兆しは見えなかった。
そして2023年を迎え、デビュー盤のリイシューのニュースとともに来日公演のアナウンスが発表され、ファンの反響の声がSNSなどを中心に駆け巡った。新たにサポート・ドラマーのニック・ディヴァージリオを迎え「The BIG Finish 2023/24」と題し「フェアウェル・ツアー」として来日。名古屋・大阪・東京(日本武道館2公演)はすべて即日ソールドアウト。最終日のステージには各メンバーの家族が登壇し、日本への感謝を告げるビリーによる感動的なスピーチとともに、バンドと日本との34年間に渡る素晴らしい日々に終わりを迎えたのであった。その後もヨーロッパ、北米と続いたフェアウェル・ツアーが8月をもって遂に終わりを迎えたに見えたが、、、
バンドにとって最重要地である日本における“正真正銘”の最終公演が緊急決定!
(今夏7月にはニュー・アルバム『テン』をリリース)
まさにビッグ・サプライズ!!奇跡のアンコール来日公演「The BIG Finale」の開催が決定した。「フェアウェル・ツアーの最終公演は日本で!」という、ファンとバンドがお互い熱望した夢が実現するのだ。また、今回の来日公演を決定するにあたり、今年初めに大きな被害をもたらした能登半島地震の復興支援のためのチャリティ・オークションなどを実施することとなった。(詳細は後日発表)
日本を愛し、日本に愛されたスーパー・バンドのライヴ活動は、彼らが幾度も熱演を繰り広げた日本武道館にてそのフィナーレを飾る!!
<来日ヒストリー>
① 1989年10月/3都市6公演 初来日公演!“スーパー・バンド”のデビューに日本での人気が爆発した
② 1991年9〜10月/6都市9公演 2nd作『リーン・イントゥ・イット』大ヒット、「トゥー・ビー・ウィズ・ユー」が全米No.1に。電気ドリル奏法登場!
③ 1993年10月/8都市16公演 3rdアルバム『バンプ・アヘッド』リリース。前作の勢いそのまま人気もぐんぐん鰻登り
④ 1994年10月/11都市13公演 同一ツアーで凱旋。
⑤ 1996年4〜5月/11都市18公演 4thアルバム『ヘイ・マン』発表・オリコン総合1位に。ベスト盤が100万枚に迫るセールスを記録!
⑥ 2000年1月/9都市11公演 新メンバーにリッチー・コッツェン(g)を迎える。エアロスミスとのカウントダウン公演に続く単独ツアー。
⑦ 2002年1〜2月/9都市16公演 ビリー・シーン脱退に伴うラスト・ツアーに。最終公演終了後、エリックとビリーの包容にファンが涙した。
⑧ 2009年6月/9都市10公演 オリジナル・メンバーでの奇跡の再結成ツアー。全公演がソールドアウト!
⑨ 2011年4月/10都市11公演 復活作『ホワット・イフ・・・』発表。日本大震災直後に来日。仙台は中止。被災地盛岡での公演は語り草に
⑩ 2014年11月/8都市9公演 アルバム『・・・ストーリーズ・ウィ・クッド・テル』発表。25周年記念ツアー。パーキンソン病を患うパットも帯同。
⑪ 2017年9〜10月/8都市9公演 『ディファイイング・グラヴィティ』ツアー。パットが参加した最後のツアー。
⑫ 2023年7月 フェアウェル・ツアー、東京・大阪・名古屋全4公演が即日完売!最終日には感動的なスピーチで別れを告げたはずが…
⑬ 2025年2月 フェアウェル・ツアーの最終公演は日本でなければならない。正真正銘の最終公演!