大阪ウドー音楽事務所

THE DOOBIE BROTHERS/ドゥービー・ブラザーズ

BIOGRAPHY バイオグラフィー

 1970年代の米国西海岸ロックを代表する名盤『キャプテン・アンド・ミー』の発表から50年となる来年(2023年)4月、ドゥービー・ブラザーズが6年ぶりの来日をはたす。記念すべき、大きな節目の年の、来日決定だ。しかも今回は、結成当初からの中心人物トム・ジョンストンとパット・シモンズ、ギター、フィドル、ペダル・スティール、バンジョーなどいくつもの弦楽器を巧みに弾きこなすジョン・マクフィー、そして、70年代後期のドゥービーズの支柱としてバンドのグラミー賞獲得を実現させ、80年代の音楽シーンにも多大な刺激と影響を与えたマイケル・マクドナルドという、まさに究極のベスト・メンバー4人が顔を揃える。東京、大阪だけでなく、盛岡、金沢、広島なども回る文字どおりのジャパン・ツアーは、彼らの音楽を愛してきたファンにとって、長く記憶に残る、意義深い音楽イベントとなるに違いない。

【結成〜解散】
 ドゥービー・ブラザーズの前身は、1960年代後半、サンノゼ(サンフランシスコの南、約60キロ)周辺で活動をつづけていたトリオ、PUD。ブルースやリズム&ブルースを愛するギタリスト/ソングライター、トムを中心にしたパワフルなサウンドで地元のバイカーたちから人気を集めていたこのバンドに、1970年、フォークやカントリーにも精通したパットが加わり、彼らは、ドゥービー・ブラザーズとしてスタートラインに立つ。
 翌年発表のファースト・アルバムは不発に終わったものの、その後、いわゆるダブル・ドラムスの編成にパワーアップしたドゥービーズは、トムとパットの絶妙なギター・アンサンブル、かっちりとまとまったヴォーカル・ハーモニー、そして新加入タイラン・ポーターのファンキーなベースを生かした独自の方向性を確立し、翌72年、第2弾『トゥールーズ・ストリート』からオリジナルの「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」とカヴァーの「希望の炎/ジーザス・イズ・ジャスト・オールライト」をシングル・チャート上位に送り込んでいる。
 そして1973年春、ドゥービーズは、リトル・フィートのビル・ペイン、スティーリー・ダンのジェフ・バクスター、シンセサイザーの先駆者マルコム・セシルらをゲストに迎えてつくり上げた第3弾『キャプテン・アンド・ミー』を発表。トム作の「ロング・トレイン・ランニン」と「チャイナ・グローヴ」が大ヒットを記録し、一気に、その人気と評価を高めた。翌74年には4作目『ドゥービー天国』からシングル・カットされたパット作の「ブラック・ウォーター」が全米1位を記録。コンサート・ツアーの規模も急激な勢いで拡大していき、結成からわずか4年でドゥービーズは、トップ・グループとしての地位を確かなものとしたのだった。
 同年、ジェフ・バクスターが正式に参加。翌75年には、トリプル・ギターの新編成を生かしたサウンドで『スタンピード』を仕上げているのだが、このころからトムの健康状態が悪化し、ツアー活動から離脱してしまう。その危機を救ったのが、スティーリー・ダンの準メンバーとして活躍していたキーボード/ヴォーカルのマイケル・マクドナルド。ドゥービーズの初来日は1976年1月に実現しているのだが、そこにトムの姿はなかった。
 ソウルやジャズから強い影響を受けた斬新な感覚のソングライターでもあったマイケルは、『ドゥービー・ストリート』、『運命の掟』とアルバムを重ねるごとに存在感を高め、この間に正式に脱退したトムに代わるバンドの中心人物となった。そして、1978年発表の『ミニット・バイ・ミニット』でドゥービーズは初のグラミー賞を獲得、マイケル個人は「ホワット・ア・フール・ビリーヴズ」の作者として、最優秀楽曲賞も獲得しているのだ。
 しかし80年代を迎えると、ツアーの連続やバンド自体があまりにも巨大化してしまったことに疲れたパットも脱退を表明。70年代のアメリカン・ロック・シーンをリードしたドゥービー・ブラザーズは、1982年9月のグリーク・シアターでのコンサートを最後に解散してしまうのだった。

【再結成】
 1980年代後半、CDヴァージョンによる再評価の動きが高まるなか、ベネフィット・コンサートなどで何度かステージに立つようになっていたドゥービーズは、『トゥールーズ・ストリート』と『キャプテン・アンド・ミー』を残した黄金期メンバーにパーカッション奏者ボビー・ラカインドを加えたラインナップで正式に活動を再開し、89年に『サイクルズ』を発表。トム作の「ザ・ドクター」を大ヒットさせている。このとき、マイケルは「遠慮した」といわれているが、同年11月に実現した来日公演でもそうだったように、ドゥービーズは彼の曲もきちんとセットリストに取り入れていた。91年に発表した次作のタイトルが示すとおり、彼らはなによりも“ブラザーフッド”を大切にするバンドだったのだ。

【結成50周年、ロックンロール・ホール・オブ・フェイム】
 その後、80年の『ワン・ステップ・クローサー』などに貢献したマルチ弦楽器奏者ジョン・マクフィーも加わり、以降ドゥービーズは、トム/パット/ジョンの3人を中心にした編成で活動を展開してきた。『シビリング・ライヴァルリー』、『ワールド・ゴーン・クレイジー』、『サウスバウンド』と、アルバム制作も着実なペースでつづけている。
 そして、結成50周年となった2020年、ドゥービーズがロックロール・ホール・オブ・フェイム=ロックの殿堂に迎えられることが発表された。授賞式と50周年記念ツアーはともにコロナ禍の影響で延期されることとなったが、この一連の動きのなかで、マイケル・マクドナルドの復帰が決まっている。同年11月のロック・ホール授賞式でもトム、パット、マイケルの3人がリモートによるスピーチを行ない、バンドは記念ツアーで、連日、ベスト・セレクションによるライヴを聞かせてきた。
 名盤『キャプテン・アンド・ミー』から半世紀年いう記念すべき年に、ついに日本でも実現することとなった、メイン・ソングライター3人が並んでステージに立つコンサート・ツアー。期待は高まるばかりだ。

(大友博)

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