UDO 音楽事務所

RICHARD MARX/リチャード・マークス

BIOGRAPHY バイオグラフィー


1963年生まれ、イリノイ州シカゴ、ハイランドパーク出身。父が作曲家、母が歌手という音楽一家だった。デモ・テープがライオネル・リッチーに認められ、彼の初のソロ作品『ライオネル・リッチー』にコーラスとして参加。その後彼の紹介でカントリー・ミュージックの大御所=ケニー・ロジャースのバックアップ・シンガーとなり、曲作りも共にする。

1987年、セルフ・タイトル『リチャード・マークス』でデビュー。シングル「ドント・ミーン・ナッシング」が全米3位を獲得しデビューと同時に大きな話題となった。このアルバムからは「君を知りたい」(全米3位)、「エンドレス・サマー・ナイツ」(同2位)と立て続けにヒットを連発し、さらに「ホールド・オン・トゥ・ザ・ナイツ」は全米1位に輝くなど、次々にシングル・チャート上位を独占した。翌年早くも初来日公演が実現。

1989年には2ndアルバム『リピート・オフェンダー』をリリース。「サティスファイド」、「ライト・ヒア・ウェイティング」の2曲が全米シングル・チャートNo.1を記録し、デビュー2作品でヒット・メイカーとしてのポジションを獲得した。彼にとって最大のヒット曲となった「ライト・ヒア・ウェイティング」は当時の恋人で女優のシンシア・ローズのために書かれたもので、その後二人は結婚することとなったが(後に離婚)、ラヴ・ソングの定番として現在もなお多くの人から親しまれている楽曲のひとつだ。1991年には3枚目のアルバム『ラッシュ・ストリート』をリリース。「ハザード」、「瞳の誘惑」、「テイク・ジス・ハート」がヒット。前作・前々作のようなセールスには及ばずとも、優れたソングライターとしての能力をいかんなく発揮した作品として評価されている。次作品『ナウ・アンド・フォエヴァー』からはタイトル・トラックが7位を記録するが、シングル曲がチャートTOP 10内に入ったのはいまのところこの曲が最後である。その後は、プロデュースや他アーティストへの曲提供(その中にはイン・シンクやバックストリート・ボーイズなど超人気ボーイズ・グループも!ルーサー・ヴァンドロスの「Dance With My Father」ではグラミーの最優秀楽曲賞を受賞している)などへ活動の幅を広げた。とはいえ、アーティストとしての活動も続け(リリース間隔は以前より長くなったのと、国内盤のリリースから遠ざかっているが)コンスタントに作品を発表している。

2022年夏には最新アルバム『SONGWRITER』を発表。1980年代後半から数々の大ヒットを世に送り出しているシンガー・ソングライター、自身の本分”ソングライター“に焦点を当てた作品で、ポップスからロック、カントリーやバラードまで幅広いジャンルの楽曲をフィーチャーした作品となった。そしてこれまで様々なアーティストのために楽曲を提供してきた“ソングライター”である彼のキャリアを表しており、バート・バカラックにキース・アーバンとのコラボレーションも収録されていて、さらには彼の二人の息子、ルーカスとジェシも参加している。

2023年10月には実に7年ぶりとなる来日公演を行うことが決定した。チャートを席巻した大ヒット曲はもちろんだが、これまでのキャリアをおさらいするかのごとく、魅力的な楽曲で構成されたセットリストで私たちを楽しませてくれるだろう。稀代のヒットメイカー&ソングライターの貴重なコンサート、ぜひとも会場で堪能していただきたい。

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