ジェイムス・テイラーが来日するという話をきいたとき、久しく経験したことのない嬉しさで胸がいっぱいになった。日本で彼のライヴがみられるようなことはもうないだろうと、諦めていたからだ。そして、2010年、キャロル・キングとの来日公演の、夢のような瞬間が鮮やかによみがえった。これは、ロサンゼルスの老舗クラブ、トルバドールの50周年記念に企画されたもので、余りの評判の良さに、アメリカ以外でもと世界各地で実現したのだった。1973年の初来日以来、そうやって来日公演のたびに印象深い思い出を残してくれてきた人だが、公式にはそのキャロル・キングとの公演以来13年ぶりということになる。ただし、余り知られていないが、この間、日本で歌い、演奏したことがある。2015年9月、長野県松本でのことだった。毎年行なわれているセイジ・オザワ・マツモト・フェスティバルで、世界のマエストロで友人でもある小澤征爾の80才を祝い、ボストンからはるばる来日した彼は、スティーヴ・ガッドやジミー・ジョンソンらを従えて、「ファイアー・アンド・レイン」、「きみの友だち」、「シャワー・ザ・ピープル(愛の恵みを)」の計3曲を披露したのだった。それから数えても、8年が経つ。
ジェイムス・テイラー、1948年3月12日、アメリカはボストンの生まれ。シンガー・ソングライターのシンボリックな存在として知られ、そしてまたポップ音楽界の至宝とも言える人だが、ソロ・デビューは、1968年、ビートルズのアップル・レコードからだった。ビートルズが『ホワイト・アルバム』のレコーディング中に、同じスタジオの空いた時間を縫っての作業で『ジェイムス・テイラー』を完成させたという。それもあって、ポール・マッカートニーが参加したり、その中の「サムシング・イン・ザ・ウェイ・シー・ムーヴス(彼女の言葉のやさしい響き)」が、ビートルズの「サムシング」の出だしに使われたりで話題になった。ただし、アップル内部のごたごたやジェイムスの健康上のトラブルなどが重なり、充分な反響を得ることはできなかった。失意を抱えてアメリカへと戻った彼は心機一転、アップル時代のピーター・アッシャーを含め、ダニー・コーチマー、キャロル・キング、ジョニ・ミッチェルといった気心の知れた友人たちと作った『スイート・ベイビー・ジェイムス』と『マッド・スライド・スリム』の2枚のアルバムで一躍人気を集め、『タイム』誌の表紙を飾るほどの注目の人に。殊に、友人の死を、夢が砕け散る失意と重ねたような「ファイアー・アンド・レイン」は70年に全米3位に、「誰かの助けが必要なときは目を閉じてぼくのことを考えてごらん、いつでも会いに行くよ」と歌う「きみの友だち」(キャロル・キング作)は1971年に全米1位に輝いた。そうやって、激動の時代から新しい時代へと移行する過程での挫折や不安や希望を、身近な友人や家族に語りかけるように綴った歌の数々は、自作自演という意味に留まらないシンガー・ソングライターの新たな時代の幕開けを飾るのである。
しかも、ジェイムスが素晴らしいのは、数多くのシンガー・ソングライターたちが出てきてはその後、歯が欠けるように消えていったのに対して、70年代、80年代、90年代、そして2000年代に入ってからも、現役の第一線で活躍しつづけてきたことだ。むしろ、2000年代に入ってからの活躍が目覚ましいくらいで、ロックの殿堂入りをしたのも、ケネディ・センター名誉賞を受賞したのも、音楽の創造的な業績に加え、社会の慈善活動への貢献を讃えるミュージケアーズ・パーソンズ・オブ・ジ・イヤーに選ばれたのも、いずれも2000年代に入ってからだし、なによりも、2015年、アルバム『ビフォア・ディス・ワールド』が、初めて全米チャートで1位を記録するのである。シングル・チャートでは、71年の「きみの友だち」の1位があったが、アルバムでは、67才にして初の快挙となった。その後も、彼が幼い頃から家族で親しんだスタンダードを集めた『アメリカン・スタンダード』を発表し、ジョニ・ミッチェルの75才の誕生日を祝うコンサートに駈けつけ、レナード・コーエンを悼む『ヒア・イット・イズ:トリビュート・トゥ・レナード・コーエン』に参加するなど友人たちへの敬意を忘れたことがない。もちろん、ライヴにも忙しく、ボニー・レイットやジャクソン・ブラウンとのツアーで話題を集めたのも記憶に新しい。
「大きな野球のスタジアムでも、ピンが落ちる音まできこえるんじゃないかというくらい、彼の音楽に皆が聴き入ってしまう。音楽自体は静かなのに、凄い力で引き込むんだ」とは、彼についてのジャクソン・ブラウンのことばだが、そうやって大きな会場だろうと、小さなクラブだろうと、ジェイムス・テイラーの歌声は、場所や時代を選ぶことをしない。時代がどんなに移り変わろうと、びくともせずに風化に耐えうる音楽を作り続け、そうすることでぼくらが生きている時代を描き続けてきた。フォーク、ロックンロール、カントリー、リズム&ブルース、ジャズ、クラシック、ワールド・ミュージックと呼ばれる世界各地の民族音楽など、どんな音楽であろうとしなやかに吸収し、その音楽がもたらす景色の窓はいつも見晴らしが良い。その歌声は、何処か懐かしさを含んでいて、生楽器が奏でる音のアンサンブルの素晴らしさにいつも驚かされる。熟成されたワインのような豊潤な味と香りで酔わせてくれるかと思えば、夕日を背に遊び疲れて家路を急ぐ少年のような初々しさを思い出させてもくれる。些細なことに喜んだり、悲しんだり、笑ったり、怒ったり、そうやって時を重ねていくことの尊さを、ぼくは誰よりも彼の歌から学んだような気がする。だからこそ、これまで彼の歌声にどれほど励まされ、勇気づけられてきたことか、と思う。そんな人の来日公演だ。しかも、不安だらけで、ぎすぎすと騒がしい現代だけに、改めて彼の音楽を沢山の見知らぬ誰かと共有してみたいと、つくづく思う。ちなみに、余り意味のないことかもしれないが、テイラー・スウィフトの両親が彼の大ファンで、彼女の名前はジェイムスにちなんでつけられたことも付け加えておこう。
2023年秋
天辰保文