1948年10月9日にドイツのハイデルベルクに生まれ、カリフォルニアにて育つ。68年にニッティー・グリッティー・ダート・バンドに参加後、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでティム・バックリーやニコと活動。再びカリフォルニアに戻り、バーズとリンダ・ロンシュタットに曲を提供。その後アサイラム・レコードと契約。
72年のデビュー・アルバム『ジャクソン・ブラウン』は高い評価を受け、シングル「ドクター・マイ・アイズ」はトップ10ヒットとなった。イーグルスのデビュー・ヒット「テイク・イット・イージー」のソングライターでもあり、『レイト・フォー・ザ・スカイ』(1974)、『プリテンダー』(1976)、『孤独なランナー』(1977)、初の全米1位を獲得した『ホールド・アウト』(1980)等など傑作・名作アルバムは数知れず、当時成熟期に入ろうとしていたロック・シーンに於いてシンガー・ソングライターというスタイルを確立した。人生に対する真摯な姿勢に裏打ちされた、心のこもった誠実な歌の数々で“70年代最高の詩人”と称され、現在もアメリカを代表する偉大なるシンガー・ソングライターとして人々の心の奥深くにまで届く音楽を送り続ける。2004年ロックの殿堂入り。同年集大成2枚組『The Very Best of Jackson Browne』を最後に長年在籍したエレクトラとの契約を終了。2007年にはソングライターの殿堂入りも果たしている。2008年『時の征者』、2014年『スタンディング・イン・ザ・ブリーチ』を発表。リリース・スパンは長くなったものの、完成度の高い作品世に送り出し続けている。
2021年3月には、アルバム『レイト・フォー・スカイ』(1974年)がアメリカの国家保存重要録音登録制度(National Recording Registry)に登録され、米議会図書館に“文化遺産”として永久保存されることになった。
同年にリリースされた最新作『ダウンヒル・フロム・エヴリホェア』は、次々と激動の出来事が起きた2020年以前からレコーディングされたものであるにもかかわらず、驚くほど先見の明に満ちたメッセージが詰まった作品となった。「人種間の分断、自由と民主主義の後退、環境破壊など、社会的、政治的、環境的に引き返せないところまで急速に近づいている(ダウンヒル・フロム・エヴリホェア=何もかもが下り坂な)世界では、今やすべてが危機に瀕しており、何一つ確かなことはないのだ」と歌う。同時にその主張の根底には、尊厳と正義を敬い、自分とは違う相手に心を開くという包容力の精神が流れている。自身のCOVID-19への感染から快復し、激動のコロナ禍下に放たれた作品だ。
“苦難のとき、悩みのとき、喜びのとき、幸せのとき、必ずそこにいた。心の伴走者ジャクソン・ブラウン”
本来であればアルバム・リリースから時を経たず実現していたはずの来日公演だが、コロナ禍による空白期間を経てようやく実現する。2023年春、史上最も偉大なシンガー・ソングライターが、約6年ぶりとなるジャパン・ツアーを敢行する。今回の公演も観る者の心にきっと何かを刻み込むに違いない。
1977年
1980年
1986年
1987年
1989年
1994年
1996年
1998年
2003年
2015年
2017年
1972年のデビュー以来、常に高い評価を受けてきたジャクソン・ブラウンは、政治や社会に鋭い視線を向けるとともに、脱原発運動や環境保護活動にも熱心に取り組んでいる社会派のシンガー・ソングライターとしても知られている。 1979年、スリーマイル島の原発事故の後、ジャクソン・ブラウンはジョン・ホール、ボニー・レイット、グラハム・ナッシュらと共にM.U.S.E.「Musicians United for Safe Energy(安全なエネルギーを求めるミュージシャン連合)」を立ち上げ、同年9月NYのマジソン・スクエア・ガーデンで「NO NUKES」(原子力発電所建設反対運動)コンサートを開催。M.U.S.Eの呼びかけに応え、ブルース・スプリングスティーンやポール・サイモンなども出演し、第2のウッド・ストックとも評価されるコンサートとなった。
2008年に発表された前作『時の征者』を伴ってのワールド・ツアーの全米日程では、彼が長年行って来た平和、社会正義、環境、未来における非核のための活動の精神に則って、収益金の一部がグアカモレ基金に寄付され、公共の利益のために活動する非営利団体のサポートに充てられた。ジャクソンはまた、コンサートの来客者たちに、食料銀行の備蓄用に保存食を持参し寄付することも呼びかけた。この取り組みに関連して、ブラウンはファンに対しワールド・ハンガー・イヤー(訳注:貧困・飢餓撲滅を目指す非営利団体)の「アーティスツ・アゲンスト・ハンガー&ポヴァティ」プログラムへの参加を再度呼びかけた。
(会場で販売されるツアー・グッズも、オーガニック・コットン製のTシャツや、脱ペットボトル使用を訴えるタンブラーなど、環境問題に配慮したものだった)
2011年8月には、東日本大震災を受け、「M.U.S.E. Benefit For Japan Relief」チャリティ・コンサートを開催。米国では最大のグリーン電力認証済みコンサート会場であるカリフォルニア州マウンテンビューのショアライン・アンフィシアターにて行ったこのコンサートは、32年振りのNO NUKES第2弾となるものだった。コンサートには1979年のオリジナルMUSEコンサートに出演したクロスビー・スティルス&ナッシュ、ボニー・レイット、ドゥービー・ブラザーズ、ジョン・ホールとともに、新たにジェイソン・ムラーズ、トム・モレロ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)、ジョナサン・ウィルソン、スイート・ハニー、日本からは米在住のシンセサイザー奏者、喜多郎も出演した。ジャクソン・ブラウンはその際、「福島の災害は日本への災害であるだけではない。それは地球規模の災害です。我々は、エネルギーの使い方を変えるため、人類が抱える問題を解決する方法を探すため、文化、国境、政治、世代を越えてここに集まります。我々は核のない未来を信じる人々、日本人を含めてあらゆる国の人々と一つになります。」 と述べている。このコンサートでは、太陽エネルギー、バイオディーゼル、風力技術を使うクリーンな代替エネルギー源による統合電源システムや、エネルギーを節減できるGRNLite LED照明を使用。同コンサートの収益は、東日本大震災復興支援、および非核の安全な代替エネルギーを推進する世界中の組織に贈られた。
ジャクソンは、パタゴニア社の創設者イヴォン・シュイナードが設立した1% フォー・ザ・プラネットという団体のメンバーでもあり、環境の保全や保護活動に役立てるために、毎年総年収の1%を寄付する、というシステムにも参加している。 なお、ジャクソン・ブラウンは名誉あるジョン・スタインベック賞(文豪スタインベックの名をとり、社会および環境問題に対する理念を実践した人物に与えられる賞)の2002年度受賞者でもあり、それ以外にも、チャピン・ワールド・ハンガー・イヤーのハリー・チャピンヒューマニタリアン賞を受賞している。
2018年には、世界平和、環境の調和、社会的正義への彼の才能を活かした長年に渡る多大な貢献に対して、音楽家として初のガンジー・ピース・アワードが授与された。