UDO 音楽事務所

BRYAN ADAMS/ブライアン・アダムス

BIOGRAPHY バイオグラフィー

 1959年11月5日、カナダのキングトン生まれ。父親が大使館員だった為、英国、イスラエル、ポルトガル、オーストリアの各国を転々とした後、15歳の時にカナダ・バンクーバーに戻る。16歳でバンドを結成、ジム・バランスとコンビを組み、’78年には音楽出版契約を結び、カナダのアーティストに曲を提供し始める。
'80年にはA&Mとアーティスト契約を結び、同年2月にアルバム『ギヴ・ミー・ユア・ラヴ』でデビュー。’83年に3rdアルバム『カッツ・ライク・ア・ナイフ』からの楽曲「フロム・ザ・ハート」が全米トップ10ヒット、アルバムも全米でゴールド・ディスクに輝く。同年11月には初来日公演が実現。

 ’84年リリースの『レックレス』は全米のアルバム年間チャートはブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・USA』に次ぐ2位となり、自身初の全米No.1ヒット「ヘヴン」や「ラン・トゥ・ユー」、「想い出のサマー」、「サムバディ」などヒットを連発、その後の世界的アーティストとしての地位を築き始める。'91年に発表された『アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー』(映画『ロビンフッド』主題歌)は英国で最も長く1位の座をキープした記録を持っており、全米でもナンバーワンを記録した。’93年にはスティーブン・ヘレク監督作品、映画『三銃士』の主題歌「オール・フォー・ラブ」でロッド・スチュワート、スティングと共に歌い、全米チャートで3週連続1位を記録した。
'99年11月には第2弾ベスト・アルバム『ベスト・オブ・ミー』をリリースし、夢であったという3ピース・ツアー、その名も「The Best of Me Tour」をスタート。ベース=ブライアン・アダムス、ギター=キース・スコット、ドラムス=ミッキー・カリーという編成でファンに賛否両論を巻き起こした足掛け5年にも及ぶロング・ツアーは、結局世界各地で大成功を収めた。
’90年に授与されていた、カナダ民間人に与えられる勲章としては最高位のカナダ勲章が、’03年には更に上の位(オフィサー)に昇格した。'04年、アルバム『ルーム・サービス』を発表。翌年には再びギターを手にして来日公演を果たした。’08年には6月30日カリフォルニア州パソローバルズを皮切りにスタートした盟友ロッド・スチュワートの「Still the Same:Great Rock Classics of Our Time」Tourに出演し、ステージを大いに盛り上げた。
'12年には初来日から30年、前回から7年振りの来日公演が実現。選りすぐりのヒット・ソングで観客を魅了した。’15年10月には13作目となるスタジオ・アルバム『ゲット・アップ』をリリース。2017年には来日も実現した。
ブライアンは40年以上に渡る活動の中で、彼の音楽は40カ国以上で1位を獲得し、6500万枚を売り上げている。ツアーでは6大陸を周り、グラミー賞、ジュノー賞に輝き、アカデミー賞とゴールデングローブ賞にもノミネートされた。また、カナダ勲章を受け、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム、カナダ・ウォーク・オブ・フェームに名を連ね、ウェンブリーのスクエア・オブ・フェームには手形が刻印されている、現在、世界で最も高い評価を受けているシンガーソングライターである。しかし“たまたま運が良かっただけさ”的な姿勢は今も変わることなく、その姿勢が多くのファンを魅了し続けている。
また、音楽だけでなくフォトグラファーとしての活動も広く高い評価を受けていることでも知られており、『ヴォーグ』や『GQ』『ハーパース・バザー』『i-D』など数々の名高い雑誌や、ファッション・キャンペーンなどの分野から、ミュージシャンのポートレイトやアルバム・ジャケット(エイミー・ワインハウス、ダイアナ・クラール、ラムシュタインなど)を数多くを手掛けており、自身のアルバム・ジャケットの使用写真も自ら手がけている。天は二物を与えずということばは彼に当てはまらないようだ。

 2022年3月、最新アルバム『ソー・ハッピー・イット・ハーツ』をリリース。アートワークに使用されている写真はすべて彼が撮影したものだそうだ。自身の心に湧き起こるロックの魂を表現したそうで、モノクロームで統一されたヴィジュアルがとても印象的だ。
この作品で聞かれる軽快でポジティヴな楽曲は彼の揺るがないスタイルを象徴しているといえるだろう。
そして2023年3月、6年振りとなる来日公演が決定!
ヒット曲の数々があれもこれも、、、きっと観客を満足させてくれるに違いない。コンサート序盤でのMCでのお決まり「ネクタイ外して楽しめよ!」のことばどおり、永遠のロック・スターが魅せるエキサイティングなライヴを楽しもう!

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