MR.BIG/ミスター・ビッグ

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  • MR.BIG 来日記念 リレー連載(不定期)「MR.BIGと私」第三弾
    2017.07.31
    連載企画「MR.BIGと私」、3人めにご登場いただくのはフォトグラファーのウィリアム・ヘイムスさん。コンサート会場で、背が高くダンディーでハンサムなウィリアムさんが、ステージ上やステージ前で撮影している姿をご覧になった方も数多くいらっしゃるかと思います。皆さんが雑誌などで目にするコンサート写真や表紙、CDのブックレットなどでご覧になる写真をたくさん、たくさん手掛けている大ベテランです。また、この手のバンドやミュージシャンの主に北米での取材などでは写真撮影だけでなく、動画撮影やインタビュアーを務めたりと大活躍。ここまで来るとなんでも屋さんですね。ミュージシャンが気持ちよく取材を受けてくれるのも、ウィリアムさんとの良好な関係がそうさせている面がとても大きいのです。
    MR.BIGについても、各メンバーをバンド結成以前からよくご存知で、今回はそのあたりのことにも触れてもらっています。なお、最新作『ディファイング・グラヴィティ』に関するインタビューやコンサート取材、宣伝用のアーティスト写真ももちろんウィリアムさんによるものです。といいますか、これまでのMR.BIG関連の写真のほとんどがそうといえます。また、当欄に掲載している写真も提供してくださいました。
    「MR.BIGと私」というテーマの原稿の依頼がありました。フォトグラファーとしてデビュー当時から現在まで、一貫して関わってまいりました私の「お仕事」を通じて見てきたMR.BIGのあれこれを思うままに書くということですが、その前に、簡単な私自身のプロフィールを兼ねて、どのようにして彼らと繋がったのかをお伝えします。
    私は父親がアメリカ人、母親が日本人のハーフ。日本生まれ、日本育ち、幼稚園から大学まで日本の学校でした。事情があって、24歳の時にアメリカに渡り、サン・フランシスコ郊外のベイ・エリアに移り住みました。その頃、まだライブやコンサート会場にカメラを持ち込んでもオーケーだったので、日本にいた時に愛聴していたレコードのアーティストのショウは、かなりの数を観に行きまして、ステージの写真を撮り、ポートフォリオを製作していました。きっかけは、音楽の写真で日本とアメリカを結びつけられると良いな、という漠然とした気持ちでした。
    話を端折りますが、サン・フランシスコがベースのバンドを撮って、色々と動き回っているうちに、幸運なことにも、ジャーニーと仲良くなったのであります。オフィシャルとして、日本公演にも同行したり、メンバー、マネージメントに写真家として気に入ってもらえておりました。マネージャーのハービー・ハーバートは、他にもバンドを抱えていて、その中に415(1979年当時)というグループがありました。ボーカルがエリック・マーティン。後にERIC MARTIN BANDと名称が変わります。彼は1988年まで活動していました。そういうわけでMR.BIGのメンバーの中ではエリックが、いちばん古いお付き合いとなります。次にお付き合いができたのは、ポール・ギルバート。1985年にRACER Xを結成したポール、凄腕のギター・プレーヤーとして脚光を浴び、私も何度も取材させていただきました。ビリーとは、その後に出会いました。あのDAVID LEE ROTH BANDの一員として、これまた強烈なベース・プレイで注目を浴びており、1988年までの在籍です。同じく1988年にバンドをやめたポールと、ビリーはMR.BIGを結成します。ビリーはエリックに声を掛け、ドラムスはパット・トーピーで新たな道を歩み始めます。私とパットとの接点は、IMPELLITTERIでのスタジオ撮影でした。このように4人が揃うまで、すでに撮影・取材を行っていたメンバーですから、1989年のスタート時でも、旧知の感じが濃く、冗談が飛び交う撮影現場も和気藹々で、とってもリラックスした環境でした。
    当時はまだ、ロサンゼルスのバンドは、所謂、ヘアー・メタルというカテゴリーに一緒くたにされて入っていたのですが、MR.BIGはメタルではなくスーパー・グループ扱いで違いがありました。ただし、当時はみんなヘアー・スタイルは凄かった。今見ると微笑ましいですね。
    そして1989年のアトランティック・レコードからのデビュー後、1991年に2作目が発表されます。メガ・ヒットの「To Be With You」「Just Take My Heart」そして「Green-Tinted Sixties Mind」が話題をさらった『LEAN INTO IT』であります。幸せにも私は、このレコードの裏ジャケットの写真を撮影させていただきましたが、80年代らしい、私のシグネチャーのライティングでのセッション。今見返すと大変懐かしいです。メンバーは個性もバラバラなのですが、それが彼らの魅力。基本的にフォト・セッションは、ふざけながらも、決める時はバッチリみたいなノリで、現在でもまったく変わっていません。
    そして、この当時から日本のファンに急速に人気が高まったMR.BIG。"MR.BIG IN JAPAN"なんて揶揄されたような呼称もありましたが、『RAW LIKE SUSHI』シリーズのライブ盤も好調で、日本は彼らにとってとっても親密なマーケットとなり、『LIVE AT BUDOKAN』など絶好調な時代でした。私もライブ盤のほとんどのジャケット周りを承りまして、ありがたかったのであります。
    しかし残念ながら、バンド内の綻びがだんだん表面的になり、1997年にポールが脱退。危機が生じました。ポールと同じSHRAPNELのアーティスト、リッチー・コッツェンが参加、2000年『GET OVER IT』、2001年『ACTUAL SIZE』と2枚のアルバムをリリースし、勢いを取り戻すかと期待されましたが、メンバー間の諍いがここでも再燃。2002年には遂に解散をむかえます。日本での解散コンサート、私も撮影で同行しましたが、なんとも盛り上がりに欠けた感が漂っていたのを記憶しております。ファンも複雑な心境だったようでした。
    2008年5月13日、ロサンゼルスのハウス・オブ・ブルースでポールのライブが行われ、何とオープニング・アクトがリッチーという驚きのカップリング。アンコールの「30 Days In The Hole」で、驚くことにパット、ビリー、そしてリッチーが勢ぞろい。「Daddy,Brother, Lover,Little Boy」の演奏での楽しそうな雰囲気から、これはもしかしたらと期待していたところ、なんと数日後にエリックに連絡が行き、このワン・オフのリユニオンが、あらためてオリジナル・メンバーでの再結成に繋がったのは周知の通りですが、会場でこの瞬間を体験した時には鳥肌がたちました。
    その後、順調にアルバムをリリースして来た彼らですが、私も今まで同様ジャケット関係、ボックス・セット類でメンバーのショットを撮り続けておりまして、雑誌等の取材を含めて関係は密に進めて参りました。
    最新作の『DEFYING GRAVITY』は、プロデューサーにケヴィン・エルソンをあらためて起用。原点に戻ったアプローチでのレコーディングを行い、新曲にも「1992」とあるように、超絶な技巧でのプレイも円熟味を増しており、ヴォーカル・ハーモニーも斬新。パットも体調を維持しながら、マット・スターとツアーをこなしている現在の彼らのライブは、かなり強力なインパクトがあります。新曲も違和感がなく、ヒット曲のオンパレードも嬉しい。
    何というか、初心に帰りながらも長年の経験が滲み出た、最先端のMR.BIGとして爆進している姿を、是非ともお見逃しなく、コンサートに足を運んでください。満足度は半端ではありませんぞ!
    【6月25日 カリフォルニア州パサディナ公演より】
    <プロフィール>
    ウィリアム・ヘイムス(William Hames)/フォトグラファー

    LA在住。MR.BIGはもちろんのこと、AEROSMITH、BON JOVI、MOTLEY CRUE、OZZY OSBOURNE、RATTなど、数え切れないほどたくさんのミュージシャン、バンドの写真でおなじみ。ミュージシャンの来日公演のコンサート撮影する機会もたびたび。撮影だけでなく海外取材のコーディネートもおこない、関係者の絶大な信頼を得ている。
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