MR.BIG/ミスター・ビッグ

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  • MR.BIG 来日記念 リレー連載(不定期)「MR.BIGと私」第一弾
    2017.06.21
    本日、3年ぶり9枚目となるアルバム「ディファイング・グラヴィティ」をリリースしたMR.BIGが、9月に全国8都市を巡るジャパン・ツアーを行います。来年には結成30周年を迎える彼ら、もう大ベテランといっていいほどのキャリアですが、世界のどこの国よりもここ日本のファンとの結びつきが抜きん出てます。それはファンのみならずバンドに関わってきた様々な方にとっても同様のこと。そんな方たちが「お仕事」を通じて見てきたMR.BIGのあれこれを思うままに書いていただいたあれやこれやを紹介していきます。
    第一弾は、TBSの報道局に勤務する記者、川西全さん。川西さんはニューヨーク支局の特派員として様々な取材活動をされていますが、筋金入りのハードロック、ヘヴィメタル・ファンなのです。学生時代からMR.BIGの大ファンで、幾度かの取材を通して感じたこと、また今月初旬米国コネティカット州で行った取材などの模様も織り交ぜつつ、ファンならではの愛情だけでなく、報道記者としての視点から、彼らと日本の深い繋がりに焦点を当てた考察を述べてくださいました(コネティカットでの取材の模様はこちらのページからご覧になれます)。
    【アメリカのカジノでのMR.BIGとの再会】
    今月9日、アメリカ・コネティカット州のリゾートホテル。この日、ホテルのカジノスペース内にあるステージでMR.BIGのショウが行われることになっていた。キャパは最大500人程度、なんとチケット代は無料である。しかもカジノフロアには仕切りもないので、ホテルの宿泊客はカジノに興じながら、フロアに響くMR.BIGの演奏を聴くことができる。日本では考えられない環境だ。うらやましい・・・そんなことを思いながらステージ地下にある控え室で私はインタビューの準備をしていた。約束の時間は午後3時。
    スロットマシンなどが並ぶスペースのすぐ横にステージがある
    と、そこにふらりとビリー(・シーン)が入ってきた。まだ午後2時45分。「俺はいつも早いんだ」とうそぶくビリーと握手をする。いつもながらだが、その決して大きいとはいえない、やわらかい手に驚かされる。この手からどうやってあのすさまじいベースプレイが生まれるのだろう・・その後、メンバーはポール(・ギルバート)、パット(・トーピー)、エリック(・マーティン)の順に現れた。メガネをかけてバックパックを背負うエリックはステージ上のそれとは全く異なり、学生にすら見える。さあ、インタビューの時間だ。私にとってこれがメンバー全員に対する3回目のインタビューになる。リラックスしているメンバーをよそに、緊張でガチガチになりながら、私はメンバーに語りかけた。
    【きっかけは震災直後の歴史的ライブ】
    多くの30〜40代のHR/HMファンの方がそうであるように、私にとってHR/HMの世界と出会うきっかけとなったのがMR.BIGだ。当時中学3年生で、周りの友人は皆「Lean Into It」「Bump Ahead」を聴いていた。私も買ってもらったばかりのアコースティックギターで必死に“To Be With You” “Wild World”を練習したのを覚えている。
    そんな私がファンとしてではなく、取材対象としてMR.BIGに接するようになったのは、あの2011年の東日本大震災からである。当時、夜の報道番組「ニュース23クロス」のディレクターだった私は、震災発生直後から宮城、福島と被災地を渡り歩いた。特に震災から2日後の仙台の歓楽街で感じたのは「音のない街」ということ。日々、音であふれる我々の暮らしが、日常を奪われた瞬間いかにモノトーンなものになるか。それを実感させられた。そんな中でMR.BIGが震災からわずか1ヶ月で被災地・盛岡にやってくるという。外国人アーティストとしては初めての被災地でのショウ。果たして彼らは受け入れられるのか。どんな人たちがやってくるのか。そして、メンバーはどういう思いでやってくるのか。私はどうしても取材したいと思い、盛岡行きを決意した。
    当時、仙台公演は会場が使用できず、早い段階で中止が決まったが、盛岡も予断を許さなかった。実際、当初予定されていたライブ会場の岩手県民会館は余震の影響で使えなくなり、直前に急遽盛岡市民文化ホールへと変更することになった。そんなドタバタの中でも、当日には開演前に多くのファンが物販列に並んでいた。そんな中で私たちの目を引いたのは車椅子に乗って開場を待つおばあちゃんの姿だった。平川寿子さん。昔からX JAPANやMR.BIGの音楽が好きだったと話す平川さんは、震災によって自宅が半壊状態になり、避難所を転々とした後、親戚の家に身を寄せていた。「この日を待ち望んでいました。落ち込んでいてもしょうがないから来ました」と、マスク越しに語る平川さん。このバンドはこんなにも多くの人たちに愛されているんだと改めて驚かされた。
    その注目されたショウ、一曲目が「引き波」を意味する“Undertow”だったのには正直なところ「ええ?」と思ったが(苦笑)、会場のファンは何も気にすることなく冒頭から盛り上がる。震災以降、しばらく体感できなかった、ビリーのベースとパットのバスドラの重低音が腹に響いて心地よい。アップテンポの“American Beauty”や、“Green-Tinted Sixties Mind”に盛り上がる様子を見ながら、ずっと震災と向き合ってきた東北地方で、この建物の中の空間だけが別次元に存在している、という感覚に浸った。
    そんな思いから、再び震災へと意識を引き戻されたのが、バンドが被災地のファンのために書いた新曲”The World Is On The Way”が披露されたときだった。会場の最後方のカメラ席からは、多くのファンがメンバーの後ろのスクリーンに流れる歌詞の字幕を見ながら立ち尽くしているのが見て取れた。近づいてみると、感動のあまり震えていたり、ハンカチを取り出したりしている。「世界が君の元へと向かってる」、こんなストレートなメッセージが刺さるのはバンドの嘘偽りない気持ち、真摯な姿勢をファンがみんな理解しているからだろう。小細工ではない、最後は気持ちなのだ。
    最後の“Shy Boy”にいたるまで、会場の一体感というのは相当なものだったと思う。その場にいた1500人が同じ思いを共有し、終演後には口々に幸福感を語った。おばあちゃんの平川さんが涙を流して喜んでいた光景を私は忘れることができない。まさにMR.BIGの、そして盛岡の人々の記憶に永遠に残るだろう歴史的な一夜だった。
    【普通の生活に戻ることの重要性】
    再び今月9日。緊張の中始まった、私にとっての3回目のMR.BIGとのインタビュー。ビリーは2011年の盛岡のショウをこう振り返る。「被災地を訪れるのが早すぎると自分たちのことを批判する人もいたけど、そうは思わなかった。自分たちが普段の生活に戻るのが早いほど、被災地のみんなもきっと良くなるだろうって」。彼は毎回、まったくぶれることなく「普通の生活に戻ることの重要性」を強調する。5月にイギリス・マンチェスターで起きたアリアナ・グランデさんのコンサートを狙ったテロに言及し、「マンチェスターのテロも、事件後の慈善コンサートはうまくいき、人々はまた普通の生活に戻った。素晴らしいことだ。」と語った。エリックも続ける。「アリアナ・グランデはテロから1、2週間で戻ってきて人々をひとつにした。邪悪な連中に勝たせるわけにいかない、僕たちは前に進まないといけないんだ」と。彼らの強い信念の背景にあるのは2001年のアメリカの同時多発テロだ。ビリーは「9・11の直後、ニューヨークではレストランも営業せず仕事を続けるのも困難で、職を失った人たちであふれた。その教訓から、我々はできるだけ早く通常の生活に戻らなければならないんだ」と語っている。
    もちろん、震災の際に来日してくれたのは日本に対する強い思い入れというのがベースにあったからだと思う。2011年のインタビューでエリックは「日本のファンとはお互い支えあっている。僕らが100%の力を出せば、日本のファンは200%の声援で応えてくれる」と語った。この言葉は私にとっても感動的だった。彼らの日本への思いは、阪神大震災の翌年、1996年に神戸でのチャリティーショウですでに具現化されている。「俺たちはサンフランシスコやLAでも地震を経験している。その経験を生かして被災地のファンを勇気付けたい。同じ活火山帯に位置している日本の兄弟たちが困っている際はお互い様だよ」。これはビリーの言葉だが、彼らの偽らざる気持ちなんだろう。そしてこのとき発した「お互い様」という言葉、これは震災直後のライブからわずか3年後に実感させられることになる。
    【今度は日本のファンが恩返しを】
    2014年にも来日したMR.BIGだが、バンドは大きな問題を抱えていた。パットのパーキンソン病が明らかになった直後だったからだ。パーキンソン病は体の自由が段々利かなくなっていく病気で、治療法は確立しておらず、進行を抑えるのが精一杯という難病だ。この時点でもパットは通常のドラム演奏はすでにできない状態になっていた。9月にプロモ来日した際のインタビューでは涙を流しながら「病気がわかったときは何もしたくなかった、自分がバンドにいないことを想像したくなかった」と語る様子に胸がしめつけられる思いだった。
    そんなパットに力を与えたのは日本のファン、とりわけ仙台公演ではなかったか。仙台は2011年のツアーでは唯一震災の影響でキャンセルせざるを得なかった場所。実は、メンバーはもともと仙台に対して特別な思いを持っていた。それはサンフランシスコのようなベイエリアの都市であるということ、それから初来日の際の署名活動の記憶である。MR.BIG初来日の際、東京と大阪しか公演がなかったことから仙台のファンは署名活動を行った。その行動は2回目の来日で報われることになるのだが、メンバーはこのエピソードを今でも強く記憶しているのだ。それだけにこの2014年の来日で、仙台を訪れたメンバーのライブ前の緊張度合いが凄かったことを覚えている。エリックはリハーサル時に「感情のジェットコースターに乗っているようだ」と語っていた。一方で、仙台のファンにとってもさまざまな感情が入り混じるライブであっただろう。当時のニュースでも紹介したMR.BIGの大ファンで仙台市内在住の山口早紀さん。2011年、盛岡公演で初めて出会った彼女は高校を卒業したばかりだったが、このときは金髪姿の大人の女性になっていた。震災直後にパットに仙台の状況についてメールを送ったところ、返事をもらったことに感激していた女性だ。「3年前に自分たちを励ましてくれたパットに今度は自分たちが恩返しをする番」と私に語り、ライブ会場へと向かった。この日の会場は、津波で流され、この年にやっと再オープンにこぎつけた場所。仙台港のそばに位置していたが、山口さんによれば、沿岸部にはあまり近づきたくないのだという。「海水浴に行くなら太平洋側よりも日本海側の山形まで行く」という言葉、震災のトラウマというのがここまで残っているのかと感じられ、私には衝撃だった。同じ被災地のライブでも2011年の盛岡との違いは座席がないこと。ずっと待ち続けた仙台のファンはスタンディングフロアで熱狂をもってバンドを迎える。そしてパットに対してはひときわ大きな歓声。
    終盤で、パットがヴォーカルを務めたJUDAS PRIESTのカバー“Living After Midnight”での生き生きした様子は、本当にショウを楽しんでいた証左ではなかったか。バンドは3年前にはこの地で演奏できなかった“The World Is On The Way”を最後に披露し、ファンの感動とともにショウをしめくくった。終了後、「これまでは心に穴が開いたような感じだったけど、気持ちの整理をつけることができたよ」と安堵に満ちた表情で語ったエリック。パットもこのツアーを通じ、笑顔が浮かぶ機会が増えたように見えた。もちろん、これまでのようなドラム演奏ができるわけではない。しかし、被災地のファンたちの声援によってパットは心動かされ、前向きに考えを切り替えたのだという。翌年の我々とのインタビューで「去年の今頃はこんな風になれるなんて想像もしなかった。例えていうと、足の速い人もいるけど、自分は速く走れないと。それは問題ない、うまく乗り越えられる。ゆっくり走ることが出来れば、目的地に向かうことはできるから。それは良いことだと思う」と語っていたその言葉は、今でも私の心の中にズシリと残っている。
    【石巻の高台から見えたピースの欠けた世界】
    翌2015年にエリックがソロツアーで来日すると聞いたとき、初めは正直なところ取材する予定はなかった。しかし、ツアー日程に石巻が含まれているとの一報に心は揺れた。「なぜ石巻なんだろう?」と。エリックはその理由について「石巻には行ったことがないけど、ひどく被害を受けたんだろう? “The World Is On The Way”を書いて、少しは被災者の人たちを助けることができたけど、まだ十分ではない気がしていたんだ。自分は金持ちであればさまざまな助けができるんだろうけど、自分はエンターテイナーだ。だから2時間だけでも観客を幸せにしたい。被災地に幸せの輪を広げることが自分の任務なんだ」と語っている。そして、ツアーにはパットも帯同するというニュースはファンを喜ばせた。
    日和山公園から町を臨むエリック
    石巻への移動はその年の5月に復旧したばかりのJR仙石線だった。津波の被害で線路もめちゃくちゃになったため、一部の区間は高台へ路線変更する形で開通したのだが、そうエリックとパットに説明したとき、彼らは神妙な顔つきで車窓から周囲を眺めていた。熱心に私たちの説明を聞く様子は、石巻到着後に連れて行った日和山公園でも同様だった。「ここはニュースで見たのと同じ光景だ。震災の当日は雪が降っていたよね」とエリック。彼にとって高台から見た街の景色は、復興が進んでいるものの、人気がないように映ったようだ。「震災で家を失った人はどこへ行ったの?その後、なぜ戻ってこないの?建物は再建されても、空っぽだ。重大なパズルのピースが欠けている気がする」としきりに気にしていた。
    会場は、200人規模のライブハウス。ここは震災後、復興プロジェクトの一環で建てられたもので、付近一帯はすべて津波で流されたのだという。外国人アーティストの訪問は初めてだったそうだ。MR.BIGとは異なり、アコースティックギター2本にパーカッションというシンプルな編成のバンド演奏は、楽曲のメロディの良さを際立たせる。特に、現在のMR.BIGの編成ではなかなか聞くことのできない名曲“Shine”は私の胸を打った。
    これはまったくの蛇足なのだが唯一、こうした美しい思い出に水を差したのが地元のあるタクシー会社の運転手。ショウが終わり、我々が機材を持って駅まで急いで移動しようとタクシーを捕まえたら距離が近いことを理由に乗車拒否してきたのだ。我々はこのために予定していた列車に間に合わず、やっとの思いで駅に着いたらそのタクシーはのうのうと駅前に止まっていた。復興のために街を訪れる観光客も多いだろう中で、こういう人に出会ったら勿体無いなと思った次第である。
    【そして未来へ進む現在進行形のバンド】
    話を再び現在に戻そう。コネティカット州のリゾートホテルのステージ楽屋。ポールの「MR.BIGは自分にとっての夢。日本のファンに音楽の贈り物をするのが本当に楽しみなんだ」というメッセージとともにインタビューを終えると、メンバーはサウンドチェックへ向かった。このとき披露された“30 Days In The Hole”、冒頭のハーモニーを聴くと、このバンドはまったく衰えていないことを実感した。特にエリックの声は絶好調だ。高音の伸びといい、ここ数年でも最も調子がいいのではないか。バンドの好調ぶりはライブ本編でも再確認させられた。一曲目の“Daddy, Brother, Lover, Little Boy”から最後の“Colorado Bulldog”まで全16曲、一気に突っ走ったメンバーたち。その熱のこもった演奏に、当初はスロットマシンに興じていた観客も徐々に集まってきて、最後にはみんな満足気な表情を浮かべている。撮影をしていた私たちをバンドのクルーと間違えたのか、いろんな人から「素晴らしいショウだった、ありがとう!」と声をかけられた。
    また、はじめの数曲はパットが出てこなかったのだが、ビリーの「誰か忘れていないか?」とのMCからパットが出てきた際の歓声たるや、驚くべきものがあった。失礼ながら、こんなに人気あったっけ?みたいな。それは、困難と闘い続ける人に対する人間の本能的な賛辞なのかもしれないな、なんてことを考えた。
    ショウの終盤で披露された新曲“1992”では、バンド最大のヒット曲“To Be With You”がビルボードチャートで1位になったときのこと、そのときのレコード会社の対応について歌われている。ポールはその時代について、「楽しい時代だったが恋しく思うことはない。今が凄く楽しいから」と語った。また、エリックも新たなNO.1ヒットが欲しいかという質問に対して「自分はヒット曲を狙って書いたことはない。そういうヒット曲の公式に沿って書いたのは“Just Take My Heart”だけだ(笑)」と語っていた。そういうことを言ってしまうのがエリックらしいと言えばエリックらしいのだが(苦笑)、いずれにせよ2人の発言は強がりではなく、今が充実していて、楽しんでいる様子が伝わってきた。「今はライブでプレイしている新曲は2曲だが、日本に行くまでには増えることになる」とエリックは語っている。これも最新作への自信の表れだろう。
    インタビューの中で日本のファンについてパットが興味深い指摘をしている。「日本はもっとも演奏するのが楽しみな場所。他の国にはない、長い絆があって、昔10代だったファンはいまや子どもを連れて来るようになった。日本でショウをするのは、家族の再結集みたいなものだよ」と。これは大事な話だと思う。アメリカにいても、METALLICAやIRON MAIDENクラスの大物バンドは親が子どもを連れてくるケースがかなり見られた。こうやって若いファン層を獲得し、新陳代謝を進めるバンドは強い。そういえば2015年のエリックのソロツアーでの石巻公演、岩手から来ていたという妊婦さんは若いときからのファンで、「3番目の子どもはCDをかけると歌うんです。胎教です(笑)」と言っていたっけ。
    来年には結成30周年を迎えるMR.BIG。彼らは間違いなく現役で、現在進行形のバンドである。幾多の困難を乗り越えた彼らの自信は、バンドに強烈な追い風を生み出している。円熟期を迎えたMR.BIGがやってくる数少ない機会。結成時からのファンも10代の若いファンも、必見と言っておく!
    <プロフィール>
    川西全(かわにしぜん)/TBSテレビ ニューヨーク支局特派員

    報道局政治部の記者や「ニュース23クロス」ディレクター等を経て、昨年よりニューヨーク支局勤務。大統領選挙など米国での取材活動中。MR.BIGはもちろん、METALLICAやIRON MAIDEN、HAREM SCAREMなど、ハードロックやヘヴィメタルが大好物。近年ではBABYMETALへの熱心な取材も。2011年4月、東日本大震災直後に行われた日本公演からMR.BIGへの取材を開始し、その模様をこれまでに何度か同局の報道番組で紹介している。

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