GIZMODROME/ギズモドローム

【メンバー】
スチュワート・コープランド<ポリス> (Dr./Vo.)
エイドリアン・ブリュー<キング・クリムゾン/デヴィッド・ボウイ> (G./Vo)
マーク・キング<レヴェル42> (B./Vo)
ヴィットリオ・コスマ<PFM> (Key./Vo.)

NEWS 最新情報

  • GIZMODROME 超貴重!サウンドチェックに4名様をご招待!
    2018.02.09

    4月に来日公演を行う「ギズモドローム」の超貴重なサウンドチェックに4名様をご招待!
    噂のスーパー・バンドによる初の来日公演、誰よりも早く彼らのパフォーマンスを観られる特別な機会となります。

    【応募条件】
    ギズモドロームの来日公演チケットをお持ちの方
    (すでにご購入された方、これからご購入される方どちらも対象となります)
    【当選者数】
    東京、大阪の各公演4名様
    【受付期間】
    3月31(土) 23:59まで
    【当選発表】
    ※ 当選された方へのご当選連絡メールをもって発表とさせていただきます。
    迷惑メール対策の設定をされている場合は「udo.co.jp」のドメイン指定解除を行なってください。
    【注意事項】
    ・お一人様につき1回のみご応募が可能です。
    ・サウンドチェック開始時間は未定です。
    ・当日、名前が確認出来る身分証明書と公演当日のチケットをご提示して頂きます。なお、当選の権利を譲渡することは出来ません。
    ・お教えいただいた個人情報はご当選連絡メール発送および会場でのご本人様確認以外の目的では使用致しません。
    ・抽選結果に関してのお問い合わせにはお応えできかねますのであらかじめご了承ください。

  • GIZMODROME 連載企画第五弾!ヴィットリオ・コスマ編
    2018.02.07
    ギズモドロームの連載企画の最後を飾るのは、ギズモドローム結成の立役者にして、日本では殆ど知られていないキーボーディスト「ヴィットリオ・コスマ」をご紹介!生い立ちからPFMの一員へ、そしてスチュワートとの繋がりなど、彼の日本語のテキストはかなり貴重ではないでしょうか。
    ギズモドロームの魅力を紹介するこのシリーズ、最後は日本ではほとんど知られていないイタリア人ミュージシャンで、バンドの影の立役者とも言えるヴィットリオ・コスマを紹介する。どちらかと言えば裏方職人気質のコスマだが、渾沌としたギズモドロームという人間関係の坩堝の中で、彼がいかにコンセンサスをとれるかが重要であり、まさにバンドの行方を握っているフィクサー的な存在でもあるのだ。
    ヴィットリオ・コスマ(イタリア的な発音ではヴィットーリオ・コズマ:通称ヴィクトル)は1965年3月11日にスイス国境にほど近い北イタリアのヴァレーゼで生まれた。エンジニアでリズム・プログラマーのマッシモ(通称マックス)と、ベーシストのパオロという兄がいて、2人の影響でヴィットリオ・コスマは幼い頃からピアノを習っていた。ミラノで最も由緒正しいジュゼッペ・ヴェルディ音楽院でクラシック・ピアノを学び、その後ジャズ・ピアニストに転向、アレアのパトリツィオ・ファリセッリや、ペリジェオのフランコ・ダンドレーアといった強者たちに師事している。18歳の時にアルチゲイというゲイ・クラブで知り合った仲間とパパイヤ・ファニーというバンドを組んだ。このバンドのメンバーたちは後にイタリアが誇るコミック・バンド、エリオ・エ・レ・ストーリエ・テーゼのメンバーとなる。
    コスマは1985年にリッキー・ジャンコとジャンフランコ・マンフレディという2人のシンガー・ソングライターのコラボ・アルバム『Ricky Gianco - Gianfranco Manfredi』にキーボーディストとして参加してプロ・デビューした。この2人はそれぞれPFMやプロデューサーのクラウディオ・ファビ、クラウディオ・デンテスと関係があり、またこのアルバム自体がクラウディオ・ファビのプロデュースだったこともあり、ファビに気に入られたコスマはイタリアを代表するプログレッシヴ・ロック・バンドのPFMに紹介されてメンバーとなった。
    コスマの名前が世界的に知られるようになったのは、1986年にPFMに加入した時だった。EL&Pのグレッグ・レイクに見出されてイタリアのバンドで初めて世界に紹介されたPFMは、『幻の映像(Photos Of Ghosts)』や『甦る世界(The World Became The World)』といった代表作、ヒット曲「セレブレイション」などを持つスーパー・グループで、コスマは彼らの11枚目のアルバム『ミス・ベーカー』(1987年リリース:プロデュースはクラウディオ・デンテス)でその姿を現したと同時に、ギズモドロームの音楽に通じる表現能力をすでに発揮していた。このアルバムはフュージョン寄りのサウンドとなっていて、1曲目の「黄昏前(Prima Che Venga La Sera)」という曲なんかは、まんまギズモドロームの1曲目「アイ・ノウ・トゥー・マッチ」における妙に耳に残るクセの強いホーン・アレンジなどとの共通点が見受けられる。
    PFMはその後すぐに活動停止となったため、コスマはいちミュージシャンとして作曲やアレンジ、プロデュース、映画音楽、CM制作などの活動を行っている。そんな中、90年代半ばになってから旧友たちのバンド、エリオ・エ・レ・ストーリエ・テーゼが急激に売れ出し、そのレコーディングやライヴ演奏に携わり準メンバーとなったことでコスマの名が再び注目されている。エリオ・エ・レ・ストーリエ・テーゼのプロデューサーであるオタール・ボリヴェチックとは、実はギズモドロームのプロデューサーでもあるクラウディオ・デンテスのこと。
    そして1998年からイタリアのサレントで始まった文化交流音楽イベント「La Notte Della Taranta(タランタの夕べ)」コンサートの2002年度のコンサートマスターをコスマが努め、翌年にはその役目をスチュワート・コープランドが引き継ぎ、この時音楽監督としてコープランドを全面的にサポートしたのがコスマだったことから友情が生まれ、さらにギズモなるバンド構想へと繋がっていった。ギズモは2005年と2006年にメンバー交替しながらイタリア国内でツアーを行っている(スチュワート・コープランドのページを参照)。コープランドは2006年、2009年、2011年とアンサンブル・ラ・ノッテ・デッラ・タランタを率いてヨーロッパ各地でコンサートを開き好評を得ている。このようにコープランドとイタリア人とはかなり密接な関わりを持っていることがわかるが、そこにはコスマとの友情や彼のバックアップがあってからこそのものと言えるだろう。

    コスマはミラノ中心部にあるミュージック・プロダクション・スタジオを所有しており、ギズモドロームのレコーディングは主にそこで行われた。現在見ることのできるギズモドロームのミュージック・ヴィデオはこのスタジオの部屋で撮影されたものだ。ギズモドロームのサウンドが特別にユニークであることは言うまでもないが、そのサウンドのまとめ役がコスマとなっていることは、このバンドにとって大いに喜ぶべき偶然である。というのも、スチュワート・コープランドやエイドリアン・ブリューのように濃いキャラクターを持つ人物が中心となると、どうしてもその人の色に染まってしまいがちだが、コスマが加わることによって、ギズモドロームの音楽にはどこかイタリアらしい快活で爽やかなサウンドが漲っていることに気づかされるからだ。コープランドがイタリアの気候や人柄を気に入ったのもうなずける。
    「どんなことにも興味を持ちなさい」という父の教えを守り、また自らは「人生の多くの場面において、それぞれに相応しい音楽を作り出したい」と常にチャレンジ精神をもって仕事にとり組んできたコスマの人柄が、きっとコープランドの心を鷲づかみにしたに違いない。ギズモドロームというバンドは、コープランドとコスマの信頼度が最も重要なファクターとなっていることは周知の事実だ。
    さあ、いよいよギズモドロームの初来日公演が迫ってきた。これまで紹介した4人のスーパーマンたちによるパフォーマンスでどんなサプライズを聴かせてくれるのか、今から待ちきれない。

    *メンバーの発言は海外ネットの最新インタヴュー、国内BARKSサイトなどから引用し再構成しています。

  • GIZMODROME 連載企画第四弾!マーク・キング編
    2018.01.24
    ギズモドロームの連載企画第四弾は、レベル42の超絶ベーシスト「マーク・キング」の原稿をお届けします。
    フュージョン・バンドのベーシストがなぜギズモドロームの一員になったのか。プログレとの意外な接点も発覚!?
    ギズモドロームの魅力を紹介するこのシリーズ、今回は泣く子も黙る超高速スラッピング・ベースを聴かせるマーク・キングを紹介する。80年代にレベル42でデビューして以降、名だたる先達を抑えてスラッピングの王様的存在へと躍り出て、現在もその王冠は彼の頭上で輝いている。そんな彼がギズモドロームではスラッピングを封印したというが、それはいったいなぜだったのか?
    ずっと昔、TVドラマ・シリーズに『600万ドルの男』というのがあった。元NASAの宇宙飛行士が航空機の事故で目や腕、足などを損傷したため、そこに最新技術を注ぎこんで強力なサイボーグとして再生させ、彼はその後政府機関のエージェントとして活躍するという物語。今ではそんな内容の映画やTVシリーズばかりなので珍しくも何ともないが、昔は妙にインパクトがあったので今も鮮明に記憶している。
    とまあ、ギズモドロームに縁もゆかりもない話からマーク・キングに繋がるわけだが、キングが自らを“300万ポンドの親指”と呼んでいたので、つい例の番組タイトルを思いだしてしまったというわけ。実際にはキングがメジャー・デビューを決めた際に、ポリドールが彼の親指に300万ポンドの保険をかけたという話だ。キングはインタヴューで「家事の手伝いで台所に立つこともあるから、もしかしたら包丁で親指を落としてしまう恐れがあるしね(笑)」なんて答えていたが、体の一部分に保険をかけられたミュージシャンって、ほかにブロンディの唇くらいしか思いだせません...。
    マーク・キングは1958年10月20日、英ワイト島最北端にある街カウズ生まれ。父親は元々酪農家だったが、その後ワイト島に3箇所ある刑務所のうち2つの刑務長官となり、キング家はその敷地近くにあった。キングが最初に手にした楽器はドラムで、それは父親が10ポンドで購入したものだった。その後11歳でギターをはじめ、最初のバンド、スード・フット(Pseudo Foot)を結成し、毎週末に演奏して5ポンドを稼いでいた。13歳の時には週25ポンドを稼いでおり、それは当時の少年の週給としては破格の金額であった。15歳の時に将来のバンドメイトとなるフィル・グールドと知り合っている。19歳の時にロンドンに引っ越すと、キングは楽器店で働き出した。プロのドラマーを目指すキングだったが、与えられた役割はベースの販売だった。この時の経験とドラマー志望だったリズムへの探究心といったものがのちのベース演奏に役立っているという。キングはセッション・マンとして最初期のRe-FlexやM(「ポップ・ミュージック」の全米No.1ヒットで知られるシンセ・バンド)に参加していたが、そこで知り合ったミュージシャンたちとジャズ・ファンク・フュージョン・バンドを結成しリハーサルを行っていくうちに、バンドとして活動することになった。
    1979年、キングはフィル・グールド(ds)と兄のブーン・グールド(g)、そしてマイク・リンダップ(kbd)という布陣でレベル42を結成。当初キングはドラマーだったが、フィル・グールドのドラム・テクニックに魅力を感じ、自らはベーシストとしての道を選んでいる。レベル42は当時世界的にブームとなっていたフュージョン・サウンドを核に、R&Bやダンス的なグルーヴを加え、いわゆる“ブリット・ファンク”の先鋒となった。80年代初頭、このブリット・ファンクは、シャカタクやライト・オブ・ザ・ワールド、インコグニート、ルーズ・エンズ、フリーズといった精鋭たちの出現とヒットのおかげで日本でも注目されるジャンルとなっている。
    レベル42は同系統のブリット・ファンク・バンドの中でもとりわけ洗練されたサウンドとダンス・ミュージック的な特徴を持ち、ポップ・フィールドでの活躍が目立った。1986年の「レッスンズ・イン・ラヴ」の全英3位(全米12位)をはじめ、アルバムは軒並み全英ベスト10内となる大ヒットを連発して確固たる人気を確立している。レベル42はフュージョン・バンドにありがちな“オマケ程度のヴォーカル”とは異なり、キングの伸びのある素晴らしい歌声とファルセットが美しいマイク・リンダップの声も人気となった。もちろん最大の武器は、キングから繰り出されるスラッピング(チョッパー)ベースの凄技だった。
    マシンガン・スラップとかサンダー・サム(ルイス・ジョンソンの呼び名としても有名)と呼ばれる高速スラッピングは、キングの代名詞となり、この奏法が世界中に広がる伝道師としての役割を果たしている。右手によるハンマリングやスラッピングだけでなく、左手の方でも弦を叩くスラッピングが加わり、音数は莫大なものとなっていた。またドラマーを目指していたキングならではのパーカッシヴなリズムも、彼のスラッピングをユニークなものへと仕立て上げていた。
    レベル42はメンバーの交替や補強などがありながらも1994年まで基本ラインナップのまま活動を続けた(その後2001年に復活し現在に至る)。注目すべきは、何人かのサポート・メンバーの中にプログレッシヴ・ロック・シーンで活躍するミュージシャンがいたということ。アラン・ホールズワース、ゲイリー・ハズバンド、そしてギャヴィン・ハリソンとジャッコ・ジャクジクは現キング・クリムゾンのメンバーだったりと、ある意味豪華な顔ぶれである。こうした凄腕のメンツとやり合ってきたことは、ギズモドロームを形成しているDNAの中にキングがすでに組み込まれていたと考えても納得がいくものだ。
    ギズモドロームにキングを誘ったのは、ほかでもないスチュワート・コープランドだ。この時の様子をキングはこう語っている「80年代にポリスのサポートでレベル42が演奏した時からスチュワートのことは知っていた。2000年代にギズモというバンドがあって2008年頃に一度声がかかったことがあるし、今回も2016年7月に突然彼からメッセージをもらったんだ。イタリアでエイドリアン・ブリューと一緒にバンドをやらないかって。ずっとスチュワートのファンだったから、喜んでイタリアに行くことにしたよ」。
    キングがギズモドロームに合流するとすぐにベーシック・トラックのレコーディングが行われた。その後年をまたいで2017年3月に再び4人が集結して数曲の追加レコーディングが行われている。最初の時はすでに出来上がっていた曲の演奏に加わるという感じだったキングだが、次の時は自分からもアイディアを出し「Ride Your Life」や「Spin This」はキングのアイディアによるモチーフから作られた曲だとか。また、通常より重心の低い音が欲しかったため、レベル42の時よりも太いゲージの弦を張って臨んだという。

    さて、ここまで書いておいてなんだが、ギズモドロームではキングはトレードマークのスラッピングをほぼ封印しているという。そのことに対して彼は「別に封印したつもりはない。ギズモドロームの音楽がスラッピングを必要としていなかっただけだよ。ギズモドロームとレベル42ではやっている音楽が異なるから、臨機応変にやるべきなんだ。それにレベル42でも全曲でスラッピングしているわけではないからね」と答えている。ギズモドローム来日公演で演奏される曲目について、現時点で聞かされているのは“各メンバーの代表曲もプレイされる”ということだけ。ポリスやキング・クリムゾンに続いて期待されるのはレベル42のヒット曲で、もちろんそこにはスラッピングも必要不可欠となるだろう。
    人生で最も心を動かされた曲は、マハヴィシュヌ・オーケストラの「パワー・オブ・ラヴ」(アルバム『黙示録』収録)だというマーク・キング。ギズモドロームのメンバーそれぞれのバックグラウンドにプログレ的な面があることもなんだか興味深い。2017年4月にレベル42のコンサートで来日したばかりの彼が、新しいバンドの一員としてどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、今年4月の来日公演に期待したい。

    *メンバーの発言は海外ネットの最新インタビュー、国内BARKSサイトなどから引用しています。

  • GIZMODROME 連載企画第三弾!エイドリアン・ブリュー編
    2018.01.10
    ギズモドロームの連載企画第三弾は、「エイドリアン・ブリュー」の原稿をお届けします。
    キング・クリムゾン、デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズなど様々なバンド/アーティストと活動を共にしてきたエイドリアンですが、来日公演ではその活動歴からどんな楽曲を披露してくれるのか、期待が高まりますね。
    ギズモドロームの魅力を紹介するこのシリーズ、今回は変幻自在なギター・プレイで知られるエイドリアン・ブリューを紹介する。どんなバンドであっても彼のギターが入るとすぐそれとわかる独自のサウンドを確立している強者で、あのキング・クリムゾンでさえもブリュー色に染めてしまったことは特筆に値する。そんな彼がギズモドロームの音楽性にどんな影響を与えたのだろうか?
    エイドリアン・ブリューは1949年12月23日、米ケンタッキー州コビントンで中産階級の家に生まれた。学生時代は地元でシンシナティ・ビートルズと呼ばれる人気バンドのドラマーだったが、16歳の時に感染症にかかり2ヶ月間の自宅療養生活を強いられたため、その間に独学でギターを習得したという。彼は正式なギター奏法の教育を一切受けなかったこともあり、他人と同じスタイルで弾くことを嫌い、独自のコード感、独自の奏法を身につけたことで、瞬く間に高校のギター・ヒーローとなった。これが現在に至る彼の独創的なプレイ・スタイルが確立された理由でもある。やがてプロ・ギタリストになることを決心したブリューはナッシュビルへ移住し地元のバンド、スウィートハートへ加入した。ある日フランク・ザッパがその地を訪れた際に、運転手の推薦でスウィートハートのライヴを観たザッパがブリューのことを気に入り、オーディションを経てブリューはザッパ・バンドへと加入している。
    ブリューは1977年から78年にかけてザッパのツアーにサイド・ギタリストとして参加し、その時の音源を元に作られたのが名盤『シーク・ヤブーティ』(1979年)である。ここで注目されたのはブリューがボブ・ディランの声色を真似たパフォーマンスであり、後に開花するヴォーカルのうまさも窺いしることができた。ブリューはこの時「毎週末にザッパの家に泊まって特訓を受け、月曜日にバンド・リハーサルするという日々を過ごした。ザッパと私はほかのメンバーよりも親密だったと思う。彼には音楽だけでなく人生についても教えてもらったよ」とインタヴューで語っている。
    さらにザッパのライヴを観たブライアン・イーノがデヴィッド・ボウイに推薦し、1978年にブリューはボウイのツアー・メンバーとなりリード・ギターを担当した。その後トーキング・ヘッズ、トム・トム・クラブなどへの客演を経て、当時リーグ・オブ・ジェントルメンで活動していたロバート・フリップの目にとまり、キング・クリムゾン再結成のメンバーに抜擢された。ブリューは回想する...「フランク・ザッパは自分の中で音楽を仕上げ、それを完璧に再現できるミュージシャンを必要としていた。ロバート・フリップは真逆で、彼はギタリストであり、彼には作曲家や作詞家、シンガーが必要だったんだ。彼はフリッパートロニクスやサウンドスケープという独自のギター奏法を持っているが、私はそこにアクセントを付けようと提案した。私が33年ものあいだロバートとパートナーであり続けられたのは、お互いの信頼関係が築けたからだ」。
    ブリューは1981年に誕生した新生キング・クリムゾンのメイン・ヴォーカル&ギターを担当し、彼のギター・プレイはクリムゾン・ファン、プログレ・ファンのみならず、多くのロック・ギタリスト・ファンに衝撃を与えた。動物の鳴き声や電気的に聞こえる特殊な効果音など、従来のギター奏法ではあり得なかったサウンドが聴かれたからだ。それもまるで子供がおもちゃを使って新しい遊びを覚えたかのような無邪気な笑顔のままで超絶技巧を聴かせるものだから、その衝撃は何倍にも増幅された。ブリューは「ギターを声の一種だと思っているし、サウンド・コントローラーだとも思っている。歌ったり話したりするのと同じように、表現豊かにベンディングしたり、タッピングしたり、音量調節することなどによって、およそできないことはない。ロック・ギターは終わったという人がいるけど、私は今まさに開花したものだと思っている」と語っている。
    またブリューの魅力はギターだけでなく、ヴォーカル・スタイルにもある。まるでギターのチョーキングのように粘りのあってレガートで歌われるメロディー・ラインは特徴的だが、これはトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンからの影響が大きく、キング・クリムゾンにおいてはグレッグ・レイクやジョン・ウェットンといった正統派ブリティッシュ・ロック的な歌い方とは異なるヴォーカリストの登場に、度肝を抜かれたファンも多かったはず。
    キング・クリムゾンは2013年より8人編成となって再稼働しているが、そこにはブリューは存在していない。この再編についてロバート・フリップから何も相談がなかったとしてブリュー自身は傷つき遺恨の念も抱いていたというが、2016年9月にフリップと電話で会話し和解している。フリップはブリューがいつしか“9人目のメンバー”になることを承諾したと公式サイトで公表している。最新インタヴューでブリューは「それは可能だと思う。音楽性もメンバー構成も全く異なるバンドになってしまったけれど、今はそれを見守りながら、時期が来るのを待っているんだ」と答えている。ブリューのクリムゾンに対する長年の貢献度は目を見張るものがあるが、彼が歴代で最も長く在籍していたメンバーだということも忘れてはいけないだろう。
    80年代以降はキング・クリムゾンのメンバーとしてのイメージが強すぎるブリューだが、バンド活動と並行して彼はソロ・アルバムを15枚以上もリリースしている。ソロではブリューのルーツといえるビートルズからの影響や、華麗なアコースティック・ギターの腕前を披露するなどポップ・ミュージックに対する造詣の深さが垣間見える音楽も奏でている。さらにクリムゾンの休止期間に始めたザ・ベアーズ(スウィートハート時代の親友たちと結成)も、それまでのブリューの経歴にはなかったポップ・センスに溢れた音楽を演奏しており、このバンドのスタイルがブリューにとって最もギズモドロームに近いアプローチではないかと思わせる。
    ブリューとスチュワート・コープランドは、お互いにキング・クリムゾンとポリスという80年代を闊歩した盟友同士であり、1986年にはブリュー、コープランド、スタンリー・クラークという異色の3人でスクール・デイズ(クラークの1976年発表のアルバム名)コンサートを行っており、この頃から面識があった。イタリアで始まったギズモ・プロジェクトが進むに連れブリューにも誘いの連絡があったが、ブリューのスケジュールが空いて合流したのが2016年の夏であり、軽い気持ちでセッション参加するつもりだったブリューを巻き込んで見事バンド結成に落とし込んだのもコープランドの仕業である。きっかけがどうであれ、ギズモドロームとしてパーマネント・バンドを結成し、アルバムも完成した今となっては、ブリューにとって心地よい新たな居場所を確保したというわけだ。特に彼のユニークな存在感と明るい性格がギズモドロームの音楽にはマッチしているんじゃないだろうか。

    ギズモドロームのアルバムでブリューは、オーソドックスなバッキングから得意の効果音、変態ギター・ソロ、アコギ演奏まで、これまでのギタリスト半生すべての経験を詰め込んだような濃厚で充実したパフォーマンスを聴かせている。アルバムではブリューはリード・ヴォーカルをとっていないものの、バック・コーラスでマーク・キングと競うように領域争いを演じている。ブリューの参加はサプライズだったわけだが、そのわくわく感や即興のヴォルテージを落とすことのないように、レコーディング自体はごく短期間に集中して行われている。「カラクリ」という意味を持つギズモを具体化したような遊び心を持つサウンドは、ブリューなくしては実現不可能だっただろう。幾千ものライヴ・パフォーマンスに長けたブリューがゆえ、ギズモドロームのコンサートではどんなぶっ飛んだプレイを聴かせてくれるのか楽しみで仕方ない。

    *メンバーの発言は海外ネットの最新インタビュー、国内BARKSサイトなどから引用しています。

  • GIZMODROME 連載企画第二弾!スチュワート・コープランド編
    2017.12.20
    片山伸さんによるギズモドロームの連載企画第二弾は、バンドの中心人物である「スチュワート・コープランド」の原稿をお届けします。
    スチュワートはいかにしてギズモドロームを結成したのか?バンドの結成地イタリアとの繋がりは? その謎が解き明かされます。
    ギズモドロームの魅力を紹介していくこのシリーズ、今回はバンドのリーダー格となるスチュワート・コープランドにスポットを当ててみる。ポリスでの活躍があまりにも有名なため、その後の音楽活動についてはあまり取り沙汰されないが、彼の自由奔放な音楽スタイルがゆえにギズモドロームが生まれた経緯も見えてくる。彼のユニークで豊かな音楽旅の成果がギズモドロームのサウンドを決定付けているようだ。

    スチュワート・コープランドは1952年7月16日、米バージニア州アレクサンドリア生まれの65歳。CIAエージェント(その前はジャズ・ミュージシャン)だった父親の赴任地であるエジプトやレバノンで少年時代を過ごした後イングランドに定住している。12歳頃からドラムをはじめたが、この時すでに将来はプロのドラマーになる決意をしたという。1973年には米バークリー音楽大学でアカデミックな教育を受ける一方で、ウィッシュボーン・アッシュやルネッサンス、カーヴド・エアなどのローディー経験を経て、1975年にはカーヴド・エアの正式メンバーとなった(『Midnight Wire』『Airborne』に参加)。この時すでにプログレの時代は終わりかけており、ロンドンを中心にパンク・ロックが台頭してきていた。翌年末にカーヴド・エアが解散したことから、コープランドはツアー中に知り合ったスティングとともにポリス結成へと進む。
    ポリスでの世界的な成功、大活躍ぶりは周知のとおりだが、ポリスの音楽性はパンクやホワイト・レゲエ、ニュー・ウェイヴ、ポップ・ロックなど、様々な要素を吸収しながらジャンルレスな方向へと進化していっており、そうしたサウンドをたった3人で演奏し表現するにあたりコープランドの役割は重要だった。一例を挙げると、レゲエの基本リズムとなるワンドロップを踏襲しつつも、コープランドが育った中東のリズムを加えたもので、さらに彼が得意とする繊細で奇術的なハイハット・ワークの刻みが絶妙なグルーヴを生み出すなど、90年代にブームとなるミクスチャー・ロックのお手本のような音楽を奏でていたのがポリスだったというわけだ。
    そんな世界を魅了したポリスも「やり尽くした感」が漂う1986年に活動を停止し、コープランドは新たな道を模索する。1987年にジャズ・ベースの達人スタンリー・クラークと、新人女性シンガーのデボラ・ホーランドの3人でアニマル・ロジックなるバンドを結成した。コープランドがポリス以来のバンド結成ということで注目されたこのバンドは、ロックとフュージョンをミックスしたサウンドとホーランドの透き通る美声が特徴だったが、さすがに世界的な成功を収めるほどにはならず、ほんの数年の活動で終わっている。
    その後コープランドは作曲家として頭角を現し、多くのサウンドトラックやオペラ作品を手掛けたほか、プライマスのレス・クレイプールとともにオイスターヘッドを結成したり、クラーク・ケント名義でソロ・アルバムをリリースしたり、さらにクラシック・オーケストラと共演するなど多才なところを見せていた。そんな中で2003年にイタリアのイベント・プロデューサー、ティッティ・サンティーニが仕掛けた『La notte della Taranta(タランタの夕べ)』コンサートのコンサートマスターにコープランドが招待されたことでイタリアとの強いパイプが出来上がり、さらにその時の音楽監督だったヴィットリオ・コスマとは固い友情で結ばれることになった。
    2005年にはコープランドとコスマが中心となったセッション・バンドのギズモが結成された。この時のギズモはイタリアの著名ミュージシャンを中心に編成されたセッション・バンドで、音楽スタイルは『La notte della Taranta』を踏襲した、イタリア南部の舞踏曲+アラビアン&アフリカン・リズムをミックスしたワールド・ミュージックの進化形的なものだった。コープランドは「イタリア国内ツアーで10回のショーのうち、ローマ、ミラノ、カサラーノでは、神々と一緒に踊っているように感じた。こんなフィーリングを毎年感じることができるのなら、私は100歳まで生きられるだろう」とコメントを残している。
    すっかりイタリア贔屓になったコープランドは、2006年にもギズモとしてイタリア4ヶ所をまわり、彼の中ではレギュラー・バンド化する構想を持った。だがコープランドとコスマ以外のメンバーは定着しなかったため、やがてギズモとはイタリアで行われるひと夏のセッション・プロジェクトの呼称へと変わっていった。「ギズモのモットーは、録音しない、プロモーションしない、プロダクトを作らない、課題を残さないということさ」と発言したコープランドだが、それが新しいバンド構想へと変わったのは、ある年コスマがエイドリアン・ブリューに声をかけた時だった。さらにレコード会社がアルバム制作に興味を示したことで、バンドは構想から現実化へと進んだのだった。
    ギズモにブリューが加わったのは2016年夏のこと。ほんのセッションのつもりで参加したというブリューと、レベル42のフロントマンであるマーク・キングがベースで加わったことで、固定メンバーによるパーマネント・バンドとしての活動を開始することになった。こうして生まれたのがギズモドロームである。コープランドによれば「リハーサルの初期段階で曲のシンプルな構成は教えたけど、彼らにどんどん改変していくことを奨励した。単なるセッションでなくクリエイティブな作業に巻き込んでいったんだ」という。
    ギズモドロームにおけるコープランドの役割は、バンド・リーダーでドラマーであることに加えてソングライターであり、リード・ヴォーカリストであるという。ちょっと待てよ、コープランドってヴォーカリストだったっけ?と思う人も多いだろう。これについてはコープランド自身が「ステージのフロントに立ってギターを背負ってマイクに向かって歌うというのは、まるでアマチュア・ミュージシャンの気分」と、楽しくて仕方ないというような初々しい感情を表出させていた。ギズモドロームのほとんどの曲はコープランドが以前から書きためたものが中心となっており、その曲のデモを彼が歌って作ったものを聴いたメンバーが「君自身がリードを歌うべきだ」と後押ししてくれたということだ。
    ギズモ時代から演奏されていた曲(「Louis Hansa(Zombies In The Mall)」「Strange Things Happen」「Guika Longiano(Zubatta Cheve)」「I Know Too Much」)も、ブリューやキングが加わったことにより、大幅にアレンジが変更されており、ワールド色はほとんど無くなっていて、むしろコープランドの原点となるプログレに近いと感じられるところもある。ギターを弾きながら歌うコープランドは一見の価値があることに間違いないが、ポリス・ファン、コープランド・ファンにとって、ギズモドロームは久しぶりにコープランドの爆裂ドラムが聴けるので待望と言えるのではないだろうか。2008年の再結成ポリス来日公演以来、10年ぶりに彼の雄姿が見られるのを楽しみにしたい。

    *メンバーの発言は海外ネットの最新インタビュー、国内BARKSサイトなどから引用しています。

  • GIZMODROME ギズモドロームの連載企画がスタート!
    2017.12.06
    来たる来年の4月に初のジャパン・ツアーを開催する噂のスーパー・バンド、ギズモドローム。スチュワート・コープランド、エイドリアン・ブリュー、マーク・キング、ヴィットリオ・コスマ、という不思議な組み合わせに戸惑いを隠せない人も多いのでは?
     そんなバンドへの理解を深めるためのテキストを音楽評論家・片山伸さんが執筆、今回はバンドの紹介文とサウンドに対する総評です。

    面白くなければギズモドロームじゃない!!

    ここ最近ロック・ミュージシャンの老化問題と訃報が続く中、元気なヴェテラン勢で組まれた面白いバンドが出てきて久々の明るい話題じゃないかと喜んでいたら、勢い余ってなんと来日公演まで決まってしまった。その面白いバンドとは、もちろんギズモドロームのこと。奇抜なネーミングもさることながら、バンドを構成しているメンバーもそれぞれに大した経歴の持ち主ばかりである。海外ではスーパーグループ(あるいはオールスター・バンド)の出現とはやし立ててはいるものの、実体としては不可解な部分が多いのも事実。なんせこのメンツでのバンド結成のニュースが流れたのは2017年になってからで、その後あっという間にアルバム『ギズモドローム』ができあがってしまったのだ。
    まず一番興味をそそられるのが「ギズモドロームってどんなバンドなの?」ということ。元ポリスのスチュワート・コープランド(ds:英)、現キング・クリムゾンへの復帰が伝えられたばかりのエイドリアン・ブリュー(g:米)、レベル42のマーク・キング(b:英)、そして元PFMのヴィットリオ・コスマ(kbd:伊、正確にはコズマと発音)という、ほとんど繋がりが見えない4人たちによるメンバー構成。確かにそれぞれがたどってきた功績を見ればスーパーグループと呼ばれてもおかしくはないが、正直ちょっと違和感があるのも事実。例えばポリスはロンドン・パンク隆盛の時代に一石を投じたニュー・ウェイヴ・ロック、キング・クリムゾンやPFMはプログレッシヴ・ロック、レベル42はフュージョン・ファンク・ロックというように音楽志向が異なっていて、それぞれのバンドは素晴らしいものばかりだが、4人が集まったときにいったいどんなサウンドが飛び出てくるのか、まったく想像ができない。
    ポリスが持っていたホワイト・レゲエのリズム感や、その後コープランドが組んだアニマル・ロジックのポップ感覚、彼がクラーク・ケント名義でリリースしたソロ・アルバムで聴かせた破天荒なヴォーカルなどがギズモドロームに反映されている。ブリューは俗にフランク・ザッパの門下生と言われるだけあって、清く正しい変態ぶりを披露。彼が80年代キング・クリムゾンの復活劇に大きく貢献したことは広く知られているが、まるでゴムを扱うが如くグニャグニャと呻くギター・サウンドは彼の代名詞でもあり、ギズモドロームでもその才能は遺憾なく発揮されている。キングは80年代に高速スラップ奏法(日本ではチョッパー奏法と呼ぶ)を確立させたベーシストとして著名で、レベル42ではリード・ヴォーカルもとっていたが、ギズモドロームではそのどちらもほとんど封印状態となり重低音を鳴り響かせている。これがまた実に心地いいのだ。最年少(と言っても52歳!)のコスマは80年代後半にPFMに参加したキーボーディスト。PFMはイタリアを代表するプログレ・バンドで、グレッグ・レイクが気に入り1973年にマンティコア・レコードから世界デビューさせたことで広く知られるようになった。コスマはニュー・ウェイヴ一色となっていたイタリア音楽界でPFMを甦らせた立役者であり、その後はイタリアン・ポップ・シーンを牽引する活躍をしている。ギズモドロームにおいてはアレンジの核として、またハチャメチャなメンバーたちのまとめ役として貢献している。

    ではこんな変人ばかりが集まったギズモドロームの音楽をいったいなんと表現すれば良いのだろうか。こんな疑問に真っ先に答えてくれたのは、実質的なリーダーであるコープランドだ。彼は「プログレッシヴ・ポップ」だと言う。その根拠は「通常のポップ・レコードの数倍の演奏が詰め込まれていて、ドラム・フィルが多くて、頭のイカレたギターが入っているという点だ」とのこと。一方ブリューは「何が起こるかわからない音楽のジャングルに住んでいるようなもの」と説明している。ちょっと抽象的だが、例えばエイジアやバグルズ、ELO、アラン・パーソンズ・プロジェクト、もう少し細かいところでは10ccとかスパークスとかサッド・カフェ、トッド・ラングレンなど、それぞれの音楽性は異なるもののリスナーにちょっとしたサプライズを見せようとする姿勢...そしてなによりもポップであること...こんなバンドたちと似ているのではないだろうか。
    また基本的にリード・ヴォーカルをコープランドが歌っていることでも話題沸騰中だ。彼の歌は一聴するとぶっきらぼうな感じに聞こえるのだが、実はリズミカルでパーカッシヴな響きがあり、バンド・サウンドの要としての役割を見事に果たしている。コンサートではコープランドがステージ前方へ出てきて歌い、セカンド・ドラマーをたてるなんてことも伝わってきている。まるでフィル・コリンズばりの大車輪となるコープランドに注目したいし、きっと壮絶なツイン・ドラム・バトルも見せてくれることだろう。さらにギズモドロームを面白くさせている最大の特徴は、英米伊混合バンドであるということに尽きる。英米混合バンドならフォリナーをはじめ、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、ストレイ・ドッグ、アンドリュー・ゴールドとグレアム・グールドマン(10cc)によるWAX、もちろんアニマル・ロジックなど、すぐにいくつかのバンドの名を想い浮かべるが、3ヵ国混合というのは非常に珍しいものであり、どうやらギズモドロームのサウンドの鍵はこの英米伊のミクスチャーにありそうだ。
    さて、たった15日間で作りあげたと言われるデビュー作『ギズモドローム』は、もうお聴きになっただろうか。方々に散らばっていたジグソー・パズルのピースがピタリと組み合わさるかように、4人の才能が完全なる化学反応を起こして音のカレイドスコープを形成しているようだ。あるときは冗談交じりで、またあるときはシリアスに、摩訶不思議で面白い音楽、それがギズモドロームなのだ。

    片山 伸(Shin Katayama)

  • GIZMODROME 初来日公演が決定!
    2017.10.16

    ロックの歴史を刻む最高のミュージシャンが集結!スーパーバンド「ギズモドローム」の初来日公演が決定しました!

    "Man In The Mountain"のオフィシャルPVはコチラ

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