GIZMODROME/ギズモドローム

【メンバー】
スチュワート・コープランド<ポリス> (Dr./Vo.)
エイドリアン・ブリュー<キング・クリムゾン/デヴィッド・ボウイ> (G./Vo)
マーク・キング<レヴェル42> (B./Vo)
ヴィットリオ・コスマ<PFM> (Key./Vo.)

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  • GIZMODROME 連載企画第五弾!ヴィットリオ・コスマ編
    2018.02.07
    ギズモドロームの連載企画の最後を飾るのは、ギズモドローム結成の立役者にして、日本では殆ど知られていないキーボーディスト「ヴィットリオ・コスマ」をご紹介!生い立ちからPFMの一員へ、そしてスチュワートとの繋がりなど、彼の日本語のテキストはかなり貴重ではないでしょうか。
    ギズモドロームの魅力を紹介するこのシリーズ、最後は日本ではほとんど知られていないイタリア人ミュージシャンで、バンドの影の立役者とも言えるヴィットリオ・コスマを紹介する。どちらかと言えば裏方職人気質のコスマだが、渾沌としたギズモドロームという人間関係の坩堝の中で、彼がいかにコンセンサスをとれるかが重要であり、まさにバンドの行方を握っているフィクサー的な存在でもあるのだ。
    ヴィットリオ・コスマ(イタリア的な発音ではヴィットーリオ・コズマ:通称ヴィクトル)は1965年3月11日にスイス国境にほど近い北イタリアのヴァレーゼで生まれた。エンジニアでリズム・プログラマーのマッシモ(通称マックス)と、ベーシストのパオロという兄がいて、2人の影響でヴィットリオ・コスマは幼い頃からピアノを習っていた。ミラノで最も由緒正しいジュゼッペ・ヴェルディ音楽院でクラシック・ピアノを学び、その後ジャズ・ピアニストに転向、アレアのパトリツィオ・ファリセッリや、ペリジェオのフランコ・ダンドレーアといった強者たちに師事している。18歳の時にアルチゲイというゲイ・クラブで知り合った仲間とパパイヤ・ファニーというバンドを組んだ。このバンドのメンバーたちは後にイタリアが誇るコミック・バンド、エリオ・エ・レ・ストーリエ・テーゼのメンバーとなる。
    コスマは1985年にリッキー・ジャンコとジャンフランコ・マンフレディという2人のシンガー・ソングライターのコラボ・アルバム『Ricky Gianco - Gianfranco Manfredi』にキーボーディストとして参加してプロ・デビューした。この2人はそれぞれPFMやプロデューサーのクラウディオ・ファビ、クラウディオ・デンテスと関係があり、またこのアルバム自体がクラウディオ・ファビのプロデュースだったこともあり、ファビに気に入られたコスマはイタリアを代表するプログレッシヴ・ロック・バンドのPFMに紹介されてメンバーとなった。
    コスマの名前が世界的に知られるようになったのは、1986年にPFMに加入した時だった。EL&Pのグレッグ・レイクに見出されてイタリアのバンドで初めて世界に紹介されたPFMは、『幻の映像(Photos Of Ghosts)』や『甦る世界(The World Became The World)』といった代表作、ヒット曲「セレブレイション」などを持つスーパー・グループで、コスマは彼らの11枚目のアルバム『ミス・ベーカー』(1987年リリース:プロデュースはクラウディオ・デンテス)でその姿を現したと同時に、ギズモドロームの音楽に通じる表現能力をすでに発揮していた。このアルバムはフュージョン寄りのサウンドとなっていて、1曲目の「黄昏前(Prima Che Venga La Sera)」という曲なんかは、まんまギズモドロームの1曲目「アイ・ノウ・トゥー・マッチ」における妙に耳に残るクセの強いホーン・アレンジなどとの共通点が見受けられる。
    PFMはその後すぐに活動停止となったため、コスマはいちミュージシャンとして作曲やアレンジ、プロデュース、映画音楽、CM制作などの活動を行っている。そんな中、90年代半ばになってから旧友たちのバンド、エリオ・エ・レ・ストーリエ・テーゼが急激に売れ出し、そのレコーディングやライヴ演奏に携わり準メンバーとなったことでコスマの名が再び注目されている。エリオ・エ・レ・ストーリエ・テーゼのプロデューサーであるオタール・ボリヴェチックとは、実はギズモドロームのプロデューサーでもあるクラウディオ・デンテスのこと。
    そして1998年からイタリアのサレントで始まった文化交流音楽イベント「La Notte Della Taranta(タランタの夕べ)」コンサートの2002年度のコンサートマスターをコスマが努め、翌年にはその役目をスチュワート・コープランドが引き継ぎ、この時音楽監督としてコープランドを全面的にサポートしたのがコスマだったことから友情が生まれ、さらにギズモなるバンド構想へと繋がっていった。ギズモは2005年と2006年にメンバー交替しながらイタリア国内でツアーを行っている(スチュワート・コープランドのページを参照)。コープランドは2006年、2009年、2011年とアンサンブル・ラ・ノッテ・デッラ・タランタを率いてヨーロッパ各地でコンサートを開き好評を得ている。このようにコープランドとイタリア人とはかなり密接な関わりを持っていることがわかるが、そこにはコスマとの友情や彼のバックアップがあってからこそのものと言えるだろう。

    コスマはミラノ中心部にあるミュージック・プロダクション・スタジオを所有しており、ギズモドロームのレコーディングは主にそこで行われた。現在見ることのできるギズモドロームのミュージック・ヴィデオはこのスタジオの部屋で撮影されたものだ。ギズモドロームのサウンドが特別にユニークであることは言うまでもないが、そのサウンドのまとめ役がコスマとなっていることは、このバンドにとって大いに喜ぶべき偶然である。というのも、スチュワート・コープランドやエイドリアン・ブリューのように濃いキャラクターを持つ人物が中心となると、どうしてもその人の色に染まってしまいがちだが、コスマが加わることによって、ギズモドロームの音楽にはどこかイタリアらしい快活で爽やかなサウンドが漲っていることに気づかされるからだ。コープランドがイタリアの気候や人柄を気に入ったのもうなずける。
    「どんなことにも興味を持ちなさい」という父の教えを守り、また自らは「人生の多くの場面において、それぞれに相応しい音楽を作り出したい」と常にチャレンジ精神をもって仕事にとり組んできたコスマの人柄が、きっとコープランドの心を鷲づかみにしたに違いない。ギズモドロームというバンドは、コープランドとコスマの信頼度が最も重要なファクターとなっていることは周知の事実だ。
    さあ、いよいよギズモドロームの初来日公演が迫ってきた。これまで紹介した4人のスーパーマンたちによるパフォーマンスでどんなサプライズを聴かせてくれるのか、今から待ちきれない。

    *メンバーの発言は海外ネットの最新インタヴュー、国内BARKSサイトなどから引用し再構成しています。

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