GIZMODROME/ギズモドローム

【メンバー】
スチュワート・コープランド<ポリス> (Dr./Vo.)
エイドリアン・ブリュー<キング・クリムゾン/デヴィッド・ボウイ> (G./Vo)
マーク・キング<レヴェル42> (B./Vo)
ヴィットリオ・コスマ<PFM> (Key./Vo.)

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  • GIZMODROME 連載企画第四弾!マーク・キング編
    2018.01.24
    ギズモドロームの連載企画第四弾は、レベル42の超絶ベーシスト「マーク・キング」の原稿をお届けします。
    フュージョン・バンドのベーシストがなぜギズモドロームの一員になったのか。プログレとの意外な接点も発覚!?
    ギズモドロームの魅力を紹介するこのシリーズ、今回は泣く子も黙る超高速スラッピング・ベースを聴かせるマーク・キングを紹介する。80年代にレベル42でデビューして以降、名だたる先達を抑えてスラッピングの王様的存在へと躍り出て、現在もその王冠は彼の頭上で輝いている。そんな彼がギズモドロームではスラッピングを封印したというが、それはいったいなぜだったのか?
    ずっと昔、TVドラマ・シリーズに『600万ドルの男』というのがあった。元NASAの宇宙飛行士が航空機の事故で目や腕、足などを損傷したため、そこに最新技術を注ぎこんで強力なサイボーグとして再生させ、彼はその後政府機関のエージェントとして活躍するという物語。今ではそんな内容の映画やTVシリーズばかりなので珍しくも何ともないが、昔は妙にインパクトがあったので今も鮮明に記憶している。
    とまあ、ギズモドロームに縁もゆかりもない話からマーク・キングに繋がるわけだが、キングが自らを“300万ポンドの親指”と呼んでいたので、つい例の番組タイトルを思いだしてしまったというわけ。実際にはキングがメジャー・デビューを決めた際に、ポリドールが彼の親指に300万ポンドの保険をかけたという話だ。キングはインタヴューで「家事の手伝いで台所に立つこともあるから、もしかしたら包丁で親指を落としてしまう恐れがあるしね(笑)」なんて答えていたが、体の一部分に保険をかけられたミュージシャンって、ほかにブロンディの唇くらいしか思いだせません...。
    マーク・キングは1958年10月20日、英ワイト島最北端にある街カウズ生まれ。父親は元々酪農家だったが、その後ワイト島に3箇所ある刑務所のうち2つの刑務長官となり、キング家はその敷地近くにあった。キングが最初に手にした楽器はドラムで、それは父親が10ポンドで購入したものだった。その後11歳でギターをはじめ、最初のバンド、スード・フット(Pseudo Foot)を結成し、毎週末に演奏して5ポンドを稼いでいた。13歳の時には週25ポンドを稼いでおり、それは当時の少年の週給としては破格の金額であった。15歳の時に将来のバンドメイトとなるフィル・グールドと知り合っている。19歳の時にロンドンに引っ越すと、キングは楽器店で働き出した。プロのドラマーを目指すキングだったが、与えられた役割はベースの販売だった。この時の経験とドラマー志望だったリズムへの探究心といったものがのちのベース演奏に役立っているという。キングはセッション・マンとして最初期のRe-FlexやM(「ポップ・ミュージック」の全米No.1ヒットで知られるシンセ・バンド)に参加していたが、そこで知り合ったミュージシャンたちとジャズ・ファンク・フュージョン・バンドを結成しリハーサルを行っていくうちに、バンドとして活動することになった。
    1979年、キングはフィル・グールド(ds)と兄のブーン・グールド(g)、そしてマイク・リンダップ(kbd)という布陣でレベル42を結成。当初キングはドラマーだったが、フィル・グールドのドラム・テクニックに魅力を感じ、自らはベーシストとしての道を選んでいる。レベル42は当時世界的にブームとなっていたフュージョン・サウンドを核に、R&Bやダンス的なグルーヴを加え、いわゆる“ブリット・ファンク”の先鋒となった。80年代初頭、このブリット・ファンクは、シャカタクやライト・オブ・ザ・ワールド、インコグニート、ルーズ・エンズ、フリーズといった精鋭たちの出現とヒットのおかげで日本でも注目されるジャンルとなっている。
    レベル42は同系統のブリット・ファンク・バンドの中でもとりわけ洗練されたサウンドとダンス・ミュージック的な特徴を持ち、ポップ・フィールドでの活躍が目立った。1986年の「レッスンズ・イン・ラヴ」の全英3位(全米12位)をはじめ、アルバムは軒並み全英ベスト10内となる大ヒットを連発して確固たる人気を確立している。レベル42はフュージョン・バンドにありがちな“オマケ程度のヴォーカル”とは異なり、キングの伸びのある素晴らしい歌声とファルセットが美しいマイク・リンダップの声も人気となった。もちろん最大の武器は、キングから繰り出されるスラッピング(チョッパー)ベースの凄技だった。
    マシンガン・スラップとかサンダー・サム(ルイス・ジョンソンの呼び名としても有名)と呼ばれる高速スラッピングは、キングの代名詞となり、この奏法が世界中に広がる伝道師としての役割を果たしている。右手によるハンマリングやスラッピングだけでなく、左手の方でも弦を叩くスラッピングが加わり、音数は莫大なものとなっていた。またドラマーを目指していたキングならではのパーカッシヴなリズムも、彼のスラッピングをユニークなものへと仕立て上げていた。
    レベル42はメンバーの交替や補強などがありながらも1994年まで基本ラインナップのまま活動を続けた(その後2001年に復活し現在に至る)。注目すべきは、何人かのサポート・メンバーの中にプログレッシヴ・ロック・シーンで活躍するミュージシャンがいたということ。アラン・ホールズワース、ゲイリー・ハズバンド、そしてギャヴィン・ハリソンとジャッコ・ジャクジクは現キング・クリムゾンのメンバーだったりと、ある意味豪華な顔ぶれである。こうした凄腕のメンツとやり合ってきたことは、ギズモドロームを形成しているDNAの中にキングがすでに組み込まれていたと考えても納得がいくものだ。
    ギズモドロームにキングを誘ったのは、ほかでもないスチュワート・コープランドだ。この時の様子をキングはこう語っている「80年代にポリスのサポートでレベル42が演奏した時からスチュワートのことは知っていた。2000年代にギズモというバンドがあって2008年頃に一度声がかかったことがあるし、今回も2016年7月に突然彼からメッセージをもらったんだ。イタリアでエイドリアン・ブリューと一緒にバンドをやらないかって。ずっとスチュワートのファンだったから、喜んでイタリアに行くことにしたよ」。
    キングがギズモドロームに合流するとすぐにベーシック・トラックのレコーディングが行われた。その後年をまたいで2017年3月に再び4人が集結して数曲の追加レコーディングが行われている。最初の時はすでに出来上がっていた曲の演奏に加わるという感じだったキングだが、次の時は自分からもアイディアを出し「Ride Your Life」や「Spin This」はキングのアイディアによるモチーフから作られた曲だとか。また、通常より重心の低い音が欲しかったため、レベル42の時よりも太いゲージの弦を張って臨んだという。

    さて、ここまで書いておいてなんだが、ギズモドロームではキングはトレードマークのスラッピングをほぼ封印しているという。そのことに対して彼は「別に封印したつもりはない。ギズモドロームの音楽がスラッピングを必要としていなかっただけだよ。ギズモドロームとレベル42ではやっている音楽が異なるから、臨機応変にやるべきなんだ。それにレベル42でも全曲でスラッピングしているわけではないからね」と答えている。ギズモドローム来日公演で演奏される曲目について、現時点で聞かされているのは“各メンバーの代表曲もプレイされる”ということだけ。ポリスやキング・クリムゾンに続いて期待されるのはレベル42のヒット曲で、もちろんそこにはスラッピングも必要不可欠となるだろう。
    人生で最も心を動かされた曲は、マハヴィシュヌ・オーケストラの「パワー・オブ・ラヴ」(アルバム『黙示録』収録)だというマーク・キング。ギズモドロームのメンバーそれぞれのバックグラウンドにプログレ的な面があることもなんだか興味深い。2017年4月にレベル42のコンサートで来日したばかりの彼が、新しいバンドの一員としてどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、今年4月の来日公演に期待したい。

    *メンバーの発言は海外ネットの最新インタビュー、国内BARKSサイトなどから引用しています。

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