GIZMODROME/ギズモドローム

【メンバー】
スチュワート・コープランド<ポリス> (Dr./Vo.)
エイドリアン・ブリュー<キング・クリムゾン/デヴィッド・ボウイ> (G./Vo)
マーク・キング<レヴェル42> (B./Vo)
ヴィットリオ・コスマ<PFM> (Key./Vo.)

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  • GIZMODROME 連載企画第二弾!スチュワート・コープランド編
    2017.12.20
    片山伸さんによるギズモドロームの連載企画第二弾は、バンドの中心人物である「スチュワート・コープランド」の原稿をお届けします。
    スチュワートはいかにしてギズモドロームを結成したのか?バンドの結成地イタリアとの繋がりは? その謎が解き明かされます。
    ギズモドロームの魅力を紹介していくこのシリーズ、今回はバンドのリーダー格となるスチュワート・コープランドにスポットを当ててみる。ポリスでの活躍があまりにも有名なため、その後の音楽活動についてはあまり取り沙汰されないが、彼の自由奔放な音楽スタイルがゆえにギズモドロームが生まれた経緯も見えてくる。彼のユニークで豊かな音楽旅の成果がギズモドロームのサウンドを決定付けているようだ。

    スチュワート・コープランドは1952年7月16日、米バージニア州アレクサンドリア生まれの65歳。CIAエージェント(その前はジャズ・ミュージシャン)だった父親の赴任地であるエジプトやレバノンで少年時代を過ごした後イングランドに定住している。12歳頃からドラムをはじめたが、この時すでに将来はプロのドラマーになる決意をしたという。1973年には米バークリー音楽大学でアカデミックな教育を受ける一方で、ウィッシュボーン・アッシュやルネッサンス、カーヴド・エアなどのローディー経験を経て、1975年にはカーヴド・エアの正式メンバーとなった(『Midnight Wire』『Airborne』に参加)。この時すでにプログレの時代は終わりかけており、ロンドンを中心にパンク・ロックが台頭してきていた。翌年末にカーヴド・エアが解散したことから、コープランドはツアー中に知り合ったスティングとともにポリス結成へと進む。
    ポリスでの世界的な成功、大活躍ぶりは周知のとおりだが、ポリスの音楽性はパンクやホワイト・レゲエ、ニュー・ウェイヴ、ポップ・ロックなど、様々な要素を吸収しながらジャンルレスな方向へと進化していっており、そうしたサウンドをたった3人で演奏し表現するにあたりコープランドの役割は重要だった。一例を挙げると、レゲエの基本リズムとなるワンドロップを踏襲しつつも、コープランドが育った中東のリズムを加えたもので、さらに彼が得意とする繊細で奇術的なハイハット・ワークの刻みが絶妙なグルーヴを生み出すなど、90年代にブームとなるミクスチャー・ロックのお手本のような音楽を奏でていたのがポリスだったというわけだ。
    そんな世界を魅了したポリスも「やり尽くした感」が漂う1986年に活動を停止し、コープランドは新たな道を模索する。1987年にジャズ・ベースの達人スタンリー・クラークと、新人女性シンガーのデボラ・ホーランドの3人でアニマル・ロジックなるバンドを結成した。コープランドがポリス以来のバンド結成ということで注目されたこのバンドは、ロックとフュージョンをミックスしたサウンドとホーランドの透き通る美声が特徴だったが、さすがに世界的な成功を収めるほどにはならず、ほんの数年の活動で終わっている。
    その後コープランドは作曲家として頭角を現し、多くのサウンドトラックやオペラ作品を手掛けたほか、プライマスのレス・クレイプールとともにオイスターヘッドを結成したり、クラーク・ケント名義でソロ・アルバムをリリースしたり、さらにクラシック・オーケストラと共演するなど多才なところを見せていた。そんな中で2003年にイタリアのイベント・プロデューサー、ティッティ・サンティーニが仕掛けた『La notte della Taranta(タランタの夕べ)』コンサートのコンサートマスターにコープランドが招待されたことでイタリアとの強いパイプが出来上がり、さらにその時の音楽監督だったヴィットリオ・コスマとは固い友情で結ばれることになった。
    2005年にはコープランドとコスマが中心となったセッション・バンドのギズモが結成された。この時のギズモはイタリアの著名ミュージシャンを中心に編成されたセッション・バンドで、音楽スタイルは『La notte della Taranta』を踏襲した、イタリア南部の舞踏曲+アラビアン&アフリカン・リズムをミックスしたワールド・ミュージックの進化形的なものだった。コープランドは「イタリア国内ツアーで10回のショーのうち、ローマ、ミラノ、カサラーノでは、神々と一緒に踊っているように感じた。こんなフィーリングを毎年感じることができるのなら、私は100歳まで生きられるだろう」とコメントを残している。
    すっかりイタリア贔屓になったコープランドは、2006年にもギズモとしてイタリア4ヶ所をまわり、彼の中ではレギュラー・バンド化する構想を持った。だがコープランドとコスマ以外のメンバーは定着しなかったため、やがてギズモとはイタリアで行われるひと夏のセッション・プロジェクトの呼称へと変わっていった。「ギズモのモットーは、録音しない、プロモーションしない、プロダクトを作らない、課題を残さないということさ」と発言したコープランドだが、それが新しいバンド構想へと変わったのは、ある年コスマがエイドリアン・ブリューに声をかけた時だった。さらにレコード会社がアルバム制作に興味を示したことで、バンドは構想から現実化へと進んだのだった。
    ギズモにブリューが加わったのは2016年夏のこと。ほんのセッションのつもりで参加したというブリューと、レベル42のフロントマンであるマーク・キングがベースで加わったことで、固定メンバーによるパーマネント・バンドとしての活動を開始することになった。こうして生まれたのがギズモドロームである。コープランドによれば「リハーサルの初期段階で曲のシンプルな構成は教えたけど、彼らにどんどん改変していくことを奨励した。単なるセッションでなくクリエイティブな作業に巻き込んでいったんだ」という。
    ギズモドロームにおけるコープランドの役割は、バンド・リーダーでドラマーであることに加えてソングライターであり、リード・ヴォーカリストであるという。ちょっと待てよ、コープランドってヴォーカリストだったっけ?と思う人も多いだろう。これについてはコープランド自身が「ステージのフロントに立ってギターを背負ってマイクに向かって歌うというのは、まるでアマチュア・ミュージシャンの気分」と、楽しくて仕方ないというような初々しい感情を表出させていた。ギズモドロームのほとんどの曲はコープランドが以前から書きためたものが中心となっており、その曲のデモを彼が歌って作ったものを聴いたメンバーが「君自身がリードを歌うべきだ」と後押ししてくれたということだ。
    ギズモ時代から演奏されていた曲(「Louis Hansa(Zombies In The Mall)」「Strange Things Happen」「Guika Longiano(Zubatta Cheve)」「I Know Too Much」)も、ブリューやキングが加わったことにより、大幅にアレンジが変更されており、ワールド色はほとんど無くなっていて、むしろコープランドの原点となるプログレに近いと感じられるところもある。ギターを弾きながら歌うコープランドは一見の価値があることに間違いないが、ポリス・ファン、コープランド・ファンにとって、ギズモドロームは久しぶりにコープランドの爆裂ドラムが聴けるので待望と言えるのではないだろうか。2008年の再結成ポリス来日公演以来、10年ぶりに彼の雄姿が見られるのを楽しみにしたい。

    *メンバーの発言は海外ネットの最新インタビュー、国内BARKSサイトなどから引用しています。

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