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Ludovico Einaudi/ルドヴィコ・エイナウディ

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  • Ludovico Einaudi ルドヴィコ・エイナウディの魅力に迫る連載、第2回を公開!
    2020.01.28
    原雅明さんによる連載第二回は、主にエイナウディの2000年代の活動を振り返ります。
    商業的な活動を収め、知名度を高めつつあったエイナウディは、民族音楽やエレクトロニック・ミュージックにもアプローチを始めていきます。「ポスト・クラシカル」という呼び名が生まれたのもこの時代です。どうぞお楽しみ下さい。

    ピアノ・ソロ『Le Onde』の成功を受けて、エイナウディはストリングス・カルテットとアルメニアの伝統楽器であるドゥドゥク(ダブルリードの木管楽器)の奏者ジャヴァン・ガスパリヤンをフィーチャーしたアルバム『Eden Roc』(1999年)をリリースした。ドゥドゥクのマスターと称されるガスパリヤンの物悲しげなドゥドゥクの響きがこのアルバムを特別なものにしている。ガスパリヤンは全15曲中3曲のみにフィーチャーされたが、アルバム全体のトーンもエイナウディのピアノの響きも、それによって決定付けられているように感じられる。


    『Eden Roc』(1999年)

    『Eden Roc』のアンサンブル・アレンジメントとは対照的に、続くアルバム『I Giorni』(2001年)はピアノ・ソロだった。だが、これは『Le Onde』のピアノとは違うアプローチ、成り立ちを経ていた。エイナウディは2000年に初めてアフリカ、マリ共和国を訪れ、コラ(リュート型撥弦楽器)の奏者であるトゥマニ・ジャバテとバラケ・シソコに出会った。そして、彼らの演奏を聴いて感じたことをエイナウディはこう語っている(ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューより)。
    「彼らにとって、音楽は日常生活のリズムと完全に関連しています。それは、人生が分割され断片化されているヨーロッパの現代の感性とは異なるのです。ラジオでの音楽は3分である必要はなく、15分や20分続くことがあります。そして、音楽の中には、伝統的な感覚、非常に古いものとの繋がりがあり、それはとても美しいことです」


    『I Giorni』(2001年)

    出会ったジャバテに連れられ、エイナウディはマリの首都バマコを歩き、街から聞こえてくるさまざまな音楽にインスパイアされ、それをピアノ・ソロへと結実させた。それが『I Giorni』だった。ルチアーノ・ベリオとヴァージニア・ウルフにインスパイアされた『Le Onde』におけるヨーロッパの音楽としてのピアノ・ソロとは異なるテーマ、メロディ、ムードに支配されている。全14曲の内、「Melodia Africana I~III」と「Canzone Africana」の4曲は、バマコで聴いた「Mali Sajio」という曲からモチーフを得た。マリの上流域に生息して人々から愛されていたカバをヨーロッパから来たハンターが撃ち殺してしまった悲しみを歌ったこの曲の叙情的なテーマが、『I Giorni』のピアノ・ソロの基調となっている。

    そして、エイナウディはバラケ・シソコとのアルバム『Diario Mali』(2003年)のリリースに至る。二人で録音したこのデュオ作品は、エイナウディの音楽と、コラが奏でるマリの音楽との共通点を明らかにしていた。共に幅広いリスナーに評価される、クラシカルなスピリッツを保ったシンプルさがある。民俗音楽への探求心を深めていたエイナウディは、マリと同時期に、ロシアの音楽にも興味を持ち、手掛けたサウンド・トラック『Doctor Zhivago』(2002年)ではロシアの国民的歌手リュドミラ・ゲオルギエヴナ・ズィキナの歌を曲中に使った。これは彼女の歌を使って完全に異なるハーモニーで再構築した曲だった。


    『Diario Mali』(2003年)

    ピアノ・ソロとチェロとのデュオからなる『Una Mattina』(2004年)は、アルバム・タイトル曲が後に映画『Intouchables』(邦題:最強のふたり)のエンディング曲となり、エイナウディの知名度を更に高めることにもなったが、本作と続く『Divenire』(2006年)は過渡期の作品と言えるだろう。『Una Mattina』ではマリの音楽も経てきたシンプルさが貫かれており、『Divenire』ではピアノに時折繊細なエレクトロニクスが加えられ、エレクトリック・ギターも弾き、オーバーダブも自身で行った。それは、2000年代に入ってから表面化してきたクラシックの新しい流れと無縁ではないサウンドだった。


    『Una Mattina』(2004年)

    『Divenire』(2006年)

    ちょうど『Divenire』がリリースされた頃に「ポスト・クラシカル」という呼び名がメディアに登場し始めた。それを半ば冗談混じりに命名したのは、エイナウディと同じくベリオに師事した、ドイツ出身の作曲家/ピアニスト、マックス・リヒターだという話もあるが、彼やハウシュカのようにクラシックを出自としつつも、同時代のエレクトロニカやインディー・ロックに近いフィールドで活動し、新たなリスナーをクラシックの世界に引き入れるような存在が登場してきた。エイナウディはこうしたポスト・クラシカルと呼ばれたアーティストよりやや上の世代にあたるが、2000年代後半以降の彼の音楽は、ポスト・クラシカルともシンクロしていくこととなる。

    ブライアン・イーノのアンビエント・ミュージック、スティーヴン・ハルパーンやヤソスのニュー・エイジ・ミュージックが登場した1970年代半ば以降、音楽は積極的に聴取する対象ではなく、環境に溶け込み、その一部と化したり、あるいはメディテーションやリラクゼーションのために機能していった。前回触れたように、エイナウディがベリオに師事し、アメリカのミニマル・ミュージックも熱心に学んでいた時期にこうした音楽が現れた。それらは、緊張感をもたらす実験的な音楽に違う機能、感覚、価値をもたらそうとしていた。やがて、アンビエントやニュー・エイジは安っぽいヒーリング・ミュージックに取って代わられることになるのだが、テクノ、ハウス以降のエレクトロニック・ミュージックはそれらを再び元のフィールドに戻した。エレクトロニカやポスト・クラシカルにある価値観もこうした流れと無縁ではない。そして、エイナウディとその音楽の在り方もだ。

    その意味でも、後に密に制作を共にすることになるドイツのポスト・ロック/エレクトロニカ・ユニット、トゥ・ロココ・ロットのロバート・リポックとの出会いは、エイナウディにとって大きな転機だったのだ。彼は筆者によるインタビューでこう答えた(Mikikiのインタビューより)。
    「ロバート・リポックとは2004〜2005年に出会いました。彼のグループ、トゥ・ロココ・ロットの音楽をミラノへ聴きに行ったのがきっかけでした。とてもダイレクトでシンプルでミニマルなバンドの音を気に入ったので、コンサート後、ロバートとロナルド・リポックと共にコラボレーションの話を始めました。そこから彼らとの多くのプロジェクトが生まれ、その中にホワイトツリーと言う名義で作った『Cloudland』というアルバムがあります」

    ホワイトツリーの『Cloudland』と、エイナウディの『Nightbook』は共に2009年にリリースされたが、対を成すようなアルバムだった。ジャバテとシソコの音楽が、エイナウディをヨーロッパの感性から一度自由にさせたのだとすれば、リポック兄弟の音楽はエイナウディを再びエレクトロニック・ミュージックの現場に引き戻したと言える。特にロバートは、エイナウディの新しいアンサンブルのコア・メンバーとなり、多くのステージでライヴ・エレクトロニクスを担当するなど、『Nightbook』以降のエイナウディの活動に欠かせない存在となった。


    『Cloudland』(2009年)

    『Nightbook』(2009年)

    ベルリン出身のロバートが、ロナルド、ステファン・シュナイダーと共にトゥ・ロココ・ロットを結成したのは1995年のことだ。ポスト・ロックとエレクトロニカの新たな潮流を象徴するグループの一つとして成功を収めた(2014年のアート・リンゼイをフィーチャーしたアルバム『Instrument』を最後に活動は停止)。ソロ・アーティストとしてもRaster-NotonやMonika Enterpriseからリリースをしていたが、『Cloudland』でのエイナウディとの制作は特別な経験だったとロバートは語っている(Digicultのインタビューより)。
    「ルドヴィコは美しいメロディーの源だ。本当にすごい。彼が楽器を弾き始めると、すぐに空間に音楽が放たれる。ロナルドとルドヴィコにはリズム面で特別な繋がりがあって、それはちょっとブードゥー教的でもあり、理解しにくいんだ。僕にさえもね」

    ロバートのエレクトロニクスとロナルドのドラム/パーカッション、エイナウディのピアノとのコンビネーションは、エレクトロニック・ミュージックのテクスチャーと原始的なリズムが、室内楽のアンサンブルとクラウトロックやエレクトリック・ジャズのグルーヴが混じり合うように、複合的なサウンドを作り出した。

    弦楽六重奏にリポック兄弟が加わったライヴ・アルバム『Live In Berlin』(2007年)でまず『Divenire』の再構築が行われ、さらに『Cloudland』を経て、『Nightbook』がリリースされた。ピアノはもちろん、ストリングスなどアコースティック楽器もフィーチャーされているが、ホワイトツリーに続いて、リポック兄弟のエレクトロニクスとリズムがここでも曲に欠かせない要素となっている。そして、エイナウディのピアノもパーカッション的な側面を強調したプレイや、繊細なリヴァーブ処理を加えてエレクトロニクスとの親和性を高めてもいる。アンビエント・チェンバー・ミュージックとも形容されたこの音楽は、エイナウディの次なるアプローチを体現したものだと言える。

    次回は、『Nightbook』以降、さらに多様性と表現の幅を広げたエイナウディの音楽を追い、7か月間に渡って連続リリースされた最新作『Seven Days Walking』(2019年)に至る2010年代の活動を総括する。

    原雅明

  • Ludovico Einaudi ルドヴィコ・エイナウディの魅力に迫る連載がスタート!
    2020.01.15
    世界で最も聴かれているクラシック作曲家にして、ポスト・クラシカル界を代表するイタリアの巨匠=ルドヴィコ・エイナウディの魅力に迫る連載企画がスタート!
    全3回に渡ってお送りするその連載は、音楽評論家としての執筆活動の傍ら、レーベルringsのプロデューサーも務める原雅明さんによるものです。
    第一弾は、ルドヴィコ・エイナウディの経歴、初期の活動に焦点を当てた内容です。どうぞお楽しみ下さい。

    「エイナウディとその音楽について」

    2年ほど前、ニューヨーク・タイムズ紙にルドヴィコ・エイナウディのインタビュー記事が掲載された。「YouTube時代のクラシック・アーティスト」(「Ludovico Einaudi, a Classical Artist for the YouTube Age」)というタイトルの記事の序文では、エイナウディのSpotifyのフォロワー数はモーツァルトより多く、世界で最もストリーミングされたクラシック・アーティストの一人だと紹介されていた(2020年1月現在のフォロワー数は160万人を超えた)。そして、北極海の保護を求めたグリーンピースの活動のために作曲された「北極に捧げるエレジー(Elegy for the Arctic)」の氷河での演奏を映したYouTube映像の再生は1200万回を超えている。

    インタビューでは、商業的に大きな成功を収めたエイナウディにその理由を訊ねるようにこんな質問も投げかけていた。「バッハの協奏曲を聴いたことがないかもしれない人にも伝わるように作曲を手掛けているのですか?」と。エイナウディは明確に「ノー」と答え、「私の音楽は個人的なバックグラウンドから来るもので、作曲することは自分探しなのです」と断言する。そして、実際に訪れたアフリカのマリで出会った民俗音楽から、かつて師事したカールハインツ・シュトックハウゼンの電子音楽まで、自身が経てきた実体験と記憶に基づくものだと答えた。

    それはポピュラリティを殊更に意識はしていないという意思表示でもあるのだが、そうやって作り出された音楽は、クラシックのカテゴリーにあっては異例と言えるヒット・チャートに入る作品となった。そして、その音楽の影響はニッキー・ミナージュからモグワイまで驚くほど多岐に及ぶ。エイナウディは、映画、TVドラマ、コマーシャル等の音楽も数多く手掛けており、特に欧米では知らず知らずの内にその音楽に触れ、受け入れている人が多く、ポピュラリティを得たのだという指摘もある。対して、日本ではエイナウディはまだ謎めいた存在なのかもしれない。コンスタントに来日公演を重ね、映画『3度目の殺人』(是枝裕和監督作)の音楽も担当するなど、日本との関係は決して浅くはないのだが、狭義のクラシックというジャンルに留まらず、「癒し」や「安らぎ」をもたらすという紹介だけでは収まり切らない多様性がエイナウディの音楽には潜んでいる。これから3回に分けて、エイナウディとその音楽について、多角的に紹介していきたい。

    1955年にイタリア、トリノで生まれたエイナウディの原点は、アマチュア・ピアニストだった母親の弾くクラシックとフォーク・ミュージックだった。ミラノ音楽院に進学すると、オペラ作曲家のアツィオ・コルギに師事した。さらに、ルチアーノ・ベリオの助手として働いた。現代音楽の作曲家であるベリオからは多くを学んだとエイナウディは常々述べているが、その受けた影響はベリオの実験的で前衛的な音楽そのものだけではなく、彼が音楽に対して持っていたオープンなヴィジョンやスタンスにもあった。ベリオの音楽の中には、ポピュラー・ミュージックやジャズから民俗音楽までさまざまな種類の音楽のハーモニーを感じ取ることができると、エイナウディは指摘してもいる。

    ベリオは、ビートルズ、特にポール・マッカートニーに影響を与えた作曲家でもある。1966年の夏、ポールはロンドンでベリオが行った講演に参加している。『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の制作にあたり、新たな作曲のインスピレーションを求めていた当時のポールはベリオやシュトックハウゼンらの作品に関心を抱き、自宅のスタジオでテープ音楽と電子音楽にアプローチし始めていた。さらに興味深いのは、ポールの音楽がベリオにも影響を与えたことである。ベリオは、当時の妻であった声楽家のキャシー・バーベリアンによるビートルズ楽曲の大胆かつ野心的なカヴァー作『Beatles Arias』(1967年)のアレンジを行なったり、ビートルズを称賛する記事の執筆も行っている。ベリオは、1950年代にいち早く電子音楽に取り組み、60年代には複雑なハーモニーの独創的な作品や過去の音楽のコラージュ、引用からなる作品も発表した。ベリオのこうした精力的な活動を当然エイナウディは追うことになるわけだが、彼が師事した1970年代後半から80年代にかけては、ちょうどアンビエント・ミュージックのような新たな流れが生まれつつある時代であり、そうした音楽からの影響も無視できない。

    1982年にエイナウディは、世界的に有名なタングルウッド音楽祭が設立したタングルウッド音楽センターの奨学金を得る。現代音楽に積極的に取り組むプログラムに参加したエイナウディは、後の自身の制作活動にも影響を与えるアメリカのミニマル・ミュージックに触れることとなる。その後、数年間は、バレエやシアターピース、マルチメディア、映画のための作曲活動に取り組んでいった。そして、1988年にデビュー・アルバム『Time Out (Un Viaggio Nel Tempo)』を発表した。これは現在のエイナウディの作風に比べると、実験的だった。シアターピースとして作曲されたものだが、ミニマル・ミュージックの手法を採り入れながらも、ストリングスや管楽器からエレクトリック・ギターやベースまでさまざまな楽器が生み出す多層的なハーモニーからなる作品で、80年代のポスト・パンク/ニュー・ウェイヴ以降の新たなミニマル・ミュージックやアンビエント・ミュージックの流れにも共鳴する音楽だった。

    『Time Out (Un Viaggio Nel Tempo)』(1988年)

    1992年リリースの『Stanze』はイタリアのハープ奏者チェチーリア・シャイーと制作されたアルバムで、エレクトリック・ハープの可能性を追求した作品だったが、これも純然たるクラシックではなく、また現代音楽としての電子音楽でもなく、ポピュラー・ミュージックにおけるエレクトロニック・ミュージックの隆盛を意識したようなサウンドだった。続く『Salgari』(1995年)はイタリアの冒険小説作家エミリオ・サルガーリの悲劇的な死をテーマとしたアルバムで、ピアノのみの静謐な楽曲もあれば、タイプライターを叩く音を使ったユニークなミニマル・ミュージックを聴くこともできる。これら、初期の3タイトルは、エイナウディの音楽的な出自を知ることできるアルバムだと言える。


    『Stanze』(1992年)
    『Salgari』(1995年)

    そして、1996年には、最初のピアノ・ソロ作で、エイナウディが初めて商業的な成功を収めたアルバム『Le Onde』がリリースされた。エイナウディのピアノは、ゆったりとした催眠的な効果も誘発するようなメロディーラインを反復した。エレクトロニクスが使われるはことはなく、それ以前の実験的な要素も聴かれない。右手は緩やかにメロディーを、左手は長いアルペジオを弾く。そして全体で独特のコードパターンを作り出していく。一聴するとイージーリスニングのようにも響くのだが、そのメロディとモチーフは似て非なるものだ。エイナウディ自身はそのことをより建築的な構造を持っていると説明している。前述のインタビューで、エイナウディの音楽を形容される際にも使われる「クラシカル・クロスオーヴァー」なるクラシックとポピュラー・ミュージックの中間に位置するジャンルについて問われ、そこにある商業的な視点と自身の音楽がまったく相容れないものであると述べている。


    『Le Onde』(1996年)

    ヴァージニア・ウルフの小説『波(The Waves)』にインスパイアされた本作は、始まりも終わりもない海辺に沿って歩き、誰にも会うことのない男の物語のようなものだとエイナウディは説明している。
    「彼は建築の中にも、空を飛ぶ鳥の群れの様子にも音楽を見い出すことができたのです。私の中にリアルに残っているのは、壁面のテクスチャーについても音楽を書くことができ、すべてが何らかの形で繋がっているという考えだと思います」

    これはエイナウディがベリオから学んだことを語った言葉だが(The Telegraph紙のインタビューより)、『Le Onde』の波と海の描写を語る言葉と捉えることもできる。そして、なぜこのアルバムがポピュラリティを得たのか、その理由の一端を伺い知ることもできるだろう。次回は、商業的な成功を収めてピアノ・ソロの世界を確立し、さらに民俗音楽や再びエレクトロニック・ミュージックにもアプローチを始めたエイナウディの2000年代以降の活動を、同時代の音楽の潮流も振り返りながら追っていきたい。

    原雅明

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