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Ludovico Einaudi/ルドヴィコ・エイナウディ

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  • Ludovico Einaudi ルドヴィコ・エイナウディの魅力に迫る連載がスタート!
    2020.01.15
    世界で最も聴かれているクラシック作曲家にして、ポスト・クラシカル界を代表するイタリアの巨匠=ルドヴィコ・エイナウディの魅力に迫る連載企画がスタート!
    全3回に渡ってお送りするその連載は、音楽評論家としての執筆活動の傍ら、レーベルringsのプロデューサーも務める原雅明さんによるものです。
    第一弾は、ルドヴィコ・エイナウディの経歴、初期の活動に焦点を当てた内容です。どうぞお楽しみ下さい。

    「エイナウディとその音楽について」

    2年ほど前、ニューヨーク・タイムズ紙にルドヴィコ・エイナウディのインタビュー記事が掲載された。「YouTube時代のクラシック・アーティスト」(「Ludovico Einaudi, a Classical Artist for the YouTube Age」)というタイトルの記事の序文では、エイナウディのSpotifyのフォロワー数はモーツァルトより多く、世界で最もストリーミングされたクラシック・アーティストの一人だと紹介されていた(2020年1月現在のフォロワー数は160万人を超えた)。そして、北極海の保護を求めたグリーンピースの活動のために作曲された「北極に捧げるエレジー(Elegy for the Arctic)」の氷河での演奏を映したYouTube映像の再生は1200万回を超えている。

    インタビューでは、商業的に大きな成功を収めたエイナウディにその理由を訊ねるようにこんな質問も投げかけていた。「バッハの協奏曲を聴いたことがないかもしれない人にも伝わるように作曲を手掛けているのですか?」と。エイナウディは明確に「ノー」と答え、「私の音楽は個人的なバックグラウンドから来るもので、作曲することは自分探しなのです」と断言する。そして、実際に訪れたアフリカのマリで出会った民俗音楽から、かつて師事したカールハインツ・シュトックハウゼンの電子音楽まで、自身が経てきた実体験と記憶に基づくものだと答えた。

    それはポピュラリティを殊更に意識はしていないという意思表示でもあるのだが、そうやって作り出された音楽は、クラシックのカテゴリーにあっては異例と言えるヒット・チャートに入る作品となった。そして、その音楽の影響はニッキー・ミナージュからモグワイまで驚くほど多岐に及ぶ。エイナウディは、映画、TVドラマ、コマーシャル等の音楽も数多く手掛けており、特に欧米では知らず知らずの内にその音楽に触れ、受け入れている人が多く、ポピュラリティを得たのだという指摘もある。対して、日本ではエイナウディはまだ謎めいた存在なのかもしれない。コンスタントに来日公演を重ね、映画『3度目の殺人』(是枝裕和監督作)の音楽も担当するなど、日本との関係は決して浅くはないのだが、狭義のクラシックというジャンルに留まらず、「癒し」や「安らぎ」をもたらすという紹介だけでは収まり切らない多様性がエイナウディの音楽には潜んでいる。これから3回に分けて、エイナウディとその音楽について、多角的に紹介していきたい。

    1955年にイタリア、トリノで生まれたエイナウディの原点は、アマチュア・ピアニストだった母親の弾くクラシックとフォーク・ミュージックだった。ミラノ音楽院に進学すると、オペラ作曲家のアツィオ・コルギに師事した。さらに、ルチアーノ・ベリオの助手として働いた。現代音楽の作曲家であるベリオからは多くを学んだとエイナウディは常々述べているが、その受けた影響はベリオの実験的で前衛的な音楽そのものだけではなく、彼が音楽に対して持っていたオープンなヴィジョンやスタンスにもあった。ベリオの音楽の中には、ポピュラー・ミュージックやジャズから民俗音楽までさまざまな種類の音楽のハーモニーを感じ取ることができると、エイナウディは指摘してもいる。

    ベリオは、ビートルズ、特にポール・マッカートニーに影響を与えた作曲家でもある。1966年の夏、ポールはロンドンでベリオが行った講演に参加している。『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の制作にあたり、新たな作曲のインスピレーションを求めていた当時のポールはベリオやシュトックハウゼンらの作品に関心を抱き、自宅のスタジオでテープ音楽と電子音楽にアプローチし始めていた。さらに興味深いのは、ポールの音楽がベリオにも影響を与えたことである。ベリオは、当時の妻であった声楽家のキャシー・バーベリアンによるビートルズ楽曲の大胆かつ野心的なカヴァー作『Beatles Arias』(1967年)のアレンジを行なったり、ビートルズを称賛する記事の執筆も行っている。ベリオは、1950年代にいち早く電子音楽に取り組み、60年代には複雑なハーモニーの独創的な作品や過去の音楽のコラージュ、引用からなる作品も発表した。ベリオのこうした精力的な活動を当然エイナウディは追うことになるわけだが、彼が師事した1970年代後半から80年代にかけては、ちょうどアンビエント・ミュージックのような新たな流れが生まれつつある時代であり、そうした音楽からの影響も無視できない。

    1982年にエイナウディは、世界的に有名なタングルウッド音楽祭が設立したタングルウッド音楽センターの奨学金を得る。現代音楽に積極的に取り組むプログラムに参加したエイナウディは、後の自身の制作活動にも影響を与えるアメリカのミニマル・ミュージックに触れることとなる。その後、数年間は、バレエやシアターピース、マルチメディア、映画のための作曲活動に取り組んでいった。そして、1988年にデビュー・アルバム『Time Out (Un Viaggio Nel Tempo)』を発表した。これは現在のエイナウディの作風に比べると、実験的だった。シアターピースとして作曲されたものだが、ミニマル・ミュージックの手法を採り入れながらも、ストリングスや管楽器からエレクトリック・ギターやベースまでさまざまな楽器が生み出す多層的なハーモニーからなる作品で、80年代のポスト・パンク/ニュー・ウェイヴ以降の新たなミニマル・ミュージックやアンビエント・ミュージックの流れにも共鳴する音楽だった。

    『Time Out (Un Viaggio Nel Tempo)』(1988年)

    1992年リリースの『Stanze』はイタリアのハープ奏者チェチーリア・シャイーと制作されたアルバムで、エレクトリック・ハープの可能性を追求した作品だったが、これも純然たるクラシックではなく、また現代音楽としての電子音楽でもなく、ポピュラー・ミュージックにおけるエレクトロニック・ミュージックの隆盛を意識したようなサウンドだった。続く『Salgari』(1995年)はイタリアの冒険小説作家エミリオ・サルガーリの悲劇的な死をテーマとしたアルバムで、ピアノのみの静謐な楽曲もあれば、タイプライターを叩く音を使ったユニークなミニマル・ミュージックを聴くこともできる。これら、初期の3タイトルは、エイナウディの音楽的な出自を知ることできるアルバムだと言える。


    『Stanze』(1992年)
    『Salgari』(1995年)

    そして、1996年には、最初のピアノ・ソロ作で、エイナウディが初めて商業的な成功を収めたアルバム『Le Onde』がリリースされた。エイナウディのピアノは、ゆったりとした催眠的な効果も誘発するようなメロディーラインを反復した。エレクトロニクスが使われるはことはなく、それ以前の実験的な要素も聴かれない。右手は緩やかにメロディーを、左手は長いアルペジオを弾く。そして全体で独特のコードパターンを作り出していく。一聴するとイージーリスニングのようにも響くのだが、そのメロディとモチーフは似て非なるものだ。エイナウディ自身はそのことをより建築的な構造を持っていると説明している。前述のインタビューで、エイナウディの音楽を形容される際にも使われる「クラシカル・クロスオーヴァー」なるクラシックとポピュラー・ミュージックの中間に位置するジャンルについて問われ、そこにある商業的な視点と自身の音楽がまったく相容れないものであると述べている。


    『Le Onde』(1996年)

    ヴァージニア・ウルフの小説『波(The Waves)』にインスパイアされた本作は、始まりも終わりもない海辺に沿って歩き、誰にも会うことのない男の物語のようなものだとエイナウディは説明している。
    「彼は建築の中にも、空を飛ぶ鳥の群れの様子にも音楽を見い出すことができたのです。私の中にリアルに残っているのは、壁面のテクスチャーについても音楽を書くことができ、すべてが何らかの形で繋がっているという考えだと思います」

    これはエイナウディがベリオから学んだことを語った言葉だが(The Telegraph紙のインタビューより)、『Le Onde』の波と海の描写を語る言葉と捉えることもできる。そして、なぜこのアルバムがポピュラリティを得たのか、その理由の一端を伺い知ることもできるだろう。次回は、商業的な成功を収めてピアノ・ソロの世界を確立し、さらに民俗音楽や再びエレクトロニック・ミュージックにもアプローチを始めたエイナウディの2000年代以降の活動を、同時代の音楽の潮流も振り返りながら追っていきたい。

    原雅明

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