DEF LEPPARD/デフ・レパード

NEWS 最新情報

  • DEF LEPPARD 『ヒステリア』リリース時にBURRN!でディスク・レビューを担当した3名による特別寄稿!
    2018.08.06
    1987年の8月に『ヒステリア』がリリースされた際に『BURRN!』でディスク・レビューを執筆したライター3名に改めて『ヒステリア』への思いを綴ってもらった特別企画がスタート!歴史的名盤が生まれた背景、当事者のみぞ知る当時の状況など長きにわたってバンドを追いかけた3名による寄稿を読んで10月の来日公演に備えましょう!
    まずは第一弾として、増田勇一氏の原稿を掲載致します。
    今だから言えることだが、31年前の僕は『HYSTERIA』というアルバムを待ち焦がれていたというよりも、聴くのが怖いという気持ちでその到着を待っていた。このDEF LEPPARDによる第4作は、前作にあたる『PYROMANIA』から4年半もの年月を経て発表に至っているわけだが、その時間経過のなかで何が起きたのかについては言うまでもないだろう。一時は復帰不可能と見られていたリック・アレンがバンドにとどまったことはもちろん嬉しかったが、どれほどテクノロジーの進化により補える部分があろうと片腕を失った彼がドラムを演奏し続けることには苦痛が伴うはずだし、その音楽自体にも何らかの変化が生じざるを得ないはずだということが、26歳の駆け出し編集者だった僕にも予想できていたからだ。
    最初に聴いたのは、先行シングルとしてリリースされた“Women”だった。第一印象は「遅い!」だった。曲調自体も妙に地味な印象で、それまでの彼らのような溌溂とした若々しさが感じられなかった。時代的には全米ロック・シーンのトレンドの主導権がラジオから完全にMTVへと移り、ハリウッド的な華やかさをまとったバンドたちが表舞台を闊歩していた頃のこと。これではDEF LEPPARDは埋もれてしまい兼ねないし、もしかしたらバンド自身もある種の〈メタル離れ〉みたいなことを考えているのかもしれない――そんな不安を抱きながらアルバムの到着を待っていたように思う。
    正直なところ、ようやく届いたアルバム全曲の音源を最初に聴いた時の感触は、よく憶えていない。が、冒頭に収められているのがすでに免疫のある“Women”だったことを考えれば、そこで衝撃をおぼえたとは考えがたい。しかも次々と顔を出す楽曲たちはいずれもインパクトやスピードの面においてあからさまな強烈さを伴ったものではなかった。しかしおそらく僕は、不安を抱えながら聴き始めたこのアルバムの楽曲たちの馴染みの良さ、アレンジの妙、そしてサウンドの質の高さに気付かされたのだと思う。だから当時のBURRN!誌でのアルバム評にも〈音質にはあまりこだわらない自分ですら思わず声をあげてしまうほど音の良いアルバム〉などと書いている。
    その評のなかで僕は同時に、ジョー・エリオットの歌い手としての進歩、楽曲群の充実ぶりについても触れながら、〈テクノロジーに走ってからのQUEENを連想させる部分も〉などと記述していたりもする。シンセサイザー使用を拒み続けていたQUEENが、そのこだわりを捨てた以降の作品に通ずるものを感じていたのだろう。
    僕自身がDEF LEPPARDというバンドを知ったのは、かつて新宿にあったTSUBAKI HOUSEというディスコで伊藤政則氏により開催されていた『HEAVY METAL SOUNDHOUSE』でのことだったはずで、当初は〈ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタルのムーヴメントから登場した、若くてルックスの良い、ややアメリカ志向のバンド〉というふうに見ていたように思う。そうしたイメージは『PYROMANIA』当時まで変わることはなかったが、この『HYSTERIA』に触れて気付かされたのは、ヘヴィ・メタルの枠に囚われない音楽的なレンジの広さであり、〈もしかしたら根っこにあるのは自分と同じものなんじゃないの?〉ということだった。
    ジョー・エリオットよりは年下だけどもリック・アレンよりは年上の僕にとっては、QUEENとKISS、AEROSMITHが中高生時代の三大バンドだったし、初めて観た海外アーティストの来日公演は、1976年の夏にやってきたSWEETだった。SLADEもCHEAP TRICKも大好きだし、実はTHE POLICEあたりも好きだったりする。そして、この『HYSTERIA』の端々からはそうした自分自身の背景や嗜好に重なるものが垣間見られ、なんだかこのバンドの存在が自分にとってそれまで以上に身近なものとして感じられるようになったのだった。だから、のちに彼らがSWEETの“ACTION”をカヴァーした時には「やっぱり!」と思わされたものだし(しかもジョーが初めてライヴを観たバンドもSWEETだったのだという)、ジョーが取材時に“Pour Some Sugar On Me”について「あのアイデアはQUEENの“We Will Rock You”から拝借した」と自ら暴露し、さらに「それをさらにパクったのがWARRANTの“Cherry Pie”だけど」と言い放った時には一緒になって大笑いさせられたものだ。
    ひとつ補足しておくと、1987年当時の僕はまだ一度もDEF LEPPARDのインタビューをしたことがなかった。それは単純に、当時の編集部内での担当振り分け上の都合によるもの。そして結果、初めて彼らとの対面取材をしたのは、1991年1月、ロサンゼルスでのことだった。しかもそれは、バンドがスティーヴ・クラークの他界を経て『ADRENALIZE』を録り終えた直後のこと。まだヴィヴィアン・キャンベルは加入していなかった。やっと実現した初取材だというのに、いきなり悲しい出来事について訊かねばならない。そんな巡り合わせの皮肉さには辛さも感じたが、その取材を経たことで彼らとの距離は一気に縮まったように思えた。
    以降も、たまたまダラスでの取材当日に誕生日を迎えていた僕のためにメンバーたちが楽屋で“Happy Birthday”を合唱してくれるなど、さまざまな思い出深い出来事があった。が、やはり彼らと僕を近付けてくれたのは、この『HYSTERIA』だったのだと思う。その愛着深いアルバムの全曲再現を彼らがどんな成熟感をもって披露してくれるのか、そしてそれが2018年の自分にどう聴こえるのかが楽しみでならない。

    増田勇一

    連載記事一覧

CONCERT INFO/公演情報

PAGE TOP