LIVE REPORT
奥浜レイラ
奥浜レイラ 音楽・映画パーソナリティー
 2019年12月6日、ニューヨークに強い北風が吹いた金曜の夜。ボブ・ディランが10月から行っていたアメリカ・ツアーの大詰めとなるビーコン・シアターでの10公演のうち、最終日のステージに足を運びました。
1984年生まれの私がディランを追いかけ始めたのは、恥ずかしながら10年ほど前のこと。
それまでももちろん楽曲は聴いていたけれど、自分が喋り手をしていたラジオの洋楽番組で『タイム・アウト・オブ・マインド』をディープに特集し、彼の批評性や哲学に触れたことで、過去作を積極的に聴くようになりました。
『テンペスト』で楽曲のかっこよさ、ストーリーテリングなディランの歌い回しに痺れまくって何度もリピートし、現在進行形で現役バリバリのアーティスト、ボブ・ディランからますます目が離せなくなりました。
それ以来、ディランが来日する度に必ず出かけていますが、彼の公演を海外で観るのは初めて。
こんな新参者の拙文が、ディランといえばこの方という尊敬する菅野ヘッケルさんのレポートや、信頼する書き手の方々のコメントとともに掲載されるのは大変恐縮ですが、今を生きるディランの魅力をより広い世代に伝えていきたい一心でこのライヴ体験を記録します。




 61年にミネソタからニューヨークに移った若きボブ・ディランが、ギターを弾き歌っていたのがグリニッジ・ヴィレッジ。
そこから北上したアッパー・ウエスト・サイド地区にあるビーコン・シアターは1929年にオープンしたホールで、その歴史のあるヴェニューに行くことも楽しみだったし(ちなみにザ・ローリング・ストーンズが慈善コンサートを行って映像化した『シャイン・ア・ライト』も同じ会場)、ディランがキャリアをスタートさせたこのニューヨークで彼のコンサートを観るという特別感、しかも近年ファンの間で聖地となっている一年の終わりの連続公演の最終日という色々な要素が重なって、地下鉄の駅を間違えて3つも早く降りてしまうほど気持ちが高ぶっていた。
冷たい向かい風の中ビーコン・シアターまで歩く15分の間、同行者のIさんから今回のビーコン・シアターのセットリストには長らく演奏されていなかった『レニー・ブルース』が追加されていることを聞き、その理由について想像して意見を言い合った。
バンド・メンバーの変更がセットリストに及ぼす影響や、この公演期間中にジャック・ホワイトが来ていたらしいことなど話しながら歩いていると、凍えていたはずの身体がすっかり温まっていた。
ビーコン・シアターの外観は想像していた以上にモダンで、大きく眩いLEDの看板が迎えてくれた。
今夜の公演内容、SOLD OUTのアナウンスとともに【NO PHONE/NO VIDEO/NO RECORDING】の表示。これは事前に聞いていた通りだが、海外の公演において、入り口の段階でこれだけ大きくライヴ中の撮影禁止がアナウンスされているのは珍しいかもしれない。
入場時には厳重な荷物、身体チェックがある。ペットボトル飲料も含めて、水分は一切持ち込めない。
これはアメリカのコンサートではよくあることだったが、たっぷり入った炭酸水を持ってきてしまった。最後の一口を飲もうとしてうっかり振ってから蓋を開け、入り口で炭酸水を噴出させてしまった。そんな当たり前の注意を忘れるくらい興奮と緊張で高揚していたのだと思う。
外観よりもずっと歴史を感じるロビーは、同じように高揚した人でごった返していた。地下の売店で一杯引っかけながら開演を待つ人、談笑を楽しむ人、この会場で久しぶりに会った様子のグループなどで盛り上がる中「東京公演のチケット買った?俺は4日分買ったよ」という会話も聞こえてきた。彼は松戸に宿泊先があるようだった。
ここには、世界中からかなり熱烈なディラン・ファンが集結している。そんな強火のディラン愛好者たちが、日本公演を気にかけているのだ。
このビーコン・シアターの後、ディランはワシントンDCで2019年秋のツアー最終公演を行い、そのあとのスケジュールは今のところ日本ツアーまでブランクになっている。
2020年版のボブ・ディランをいち早く観たいなら東京公演なのだ。その上、会場はディランが以前ツアーを行って気に入ったらしいZeppの三会場。キャパシティや環境も含めて世界のディラン・ファンが羨望の目を向けるのが、4月に控える日本公演なのだというのがうかがえた。




 人垣のできた物販のコーナーを覗くとTシャツやパーカー、ポスター、パンフレット、小物と充実していて、特にTシャツやポスターが人気のようす。
その中からバックプリントにこの秋のツアー地が入ったTシャツとパンフレットを購入し座席へ。

 一階席のセンターブロックで、列は後ろから数えた方が早かった。ステージの様子は、目を皿のようにして観察すれば見えてくる距離。
バックの黒い幕の前にマネキンが立っているのが見えた。私の席からはタキシードで正装した男性とドレス姿の女性のマネキンの2体を見ることができたが、もう1体女性のマネキンがあったようだ。ステージの前部には、以前も見たことのある石膏像が置かれている。
ぶら下がるタイプの照明がいくつかステージを照らしているのと、スタンドタイプの照明も置かれていて、これまで見たディランのコンサートよりも明るい印象。演奏がスタートしてもこの明るさが保たれるのだろうか?

 客席を見渡すと男女ともに長年コンサートに足を運んでいるような熟手のファンが多数だったが、そこに混ざって20代くらいの若いカップルや、親子のように歳の離れた2人組もいた。
近年は若いミュージシャンがボブ・ディランからの影響を口にすることも多く、2016年にノーベル文学賞を受賞したことも手伝って、若年層の間でもディランの言葉や音楽にスポットが当たっていると感じる。長年活動を追ってきたファンの存在があってこそだが、後世にも伝えるべき音楽家として若い世代にもバトンを渡したいと願う者としては、この光景を日本でも見たいと思った。




 開演時間から10分くらいオーバーしたところで照明が落ちると、ステージ上手からバンド・メンバーとディランらしいシルエットが登場してステージを進むのが見えた。
照明が点くとギターを抱えたディランがセンターに立っていて、思わず「あ!」と声が出た。これまでにセンターで歌うディランは見ていても、センターでギターを弾くディランというのは2010年代の来日公演のみを体験している自分には貴重。生で見るのは初めてだった。その立ち姿のかっこよさったら!何から何までビシッと決まっていて、伊達という言葉がこれ以上ないくらいハマる。

 バンドは、チャーリー・セクストン(ギター)、トニー・ガーニエ(ベース)、ドニー・ヘロン(ペダルスティール、バンジョー、フィドル)、それからこのUSツアーから加わったギタリストのボブ・ブリット(『タイム・アウト・オブ・マインド』にも参加していた)と、ドラムのマット・チェンバレンの5人編成。
チェンバレンは、ご存知ジェイコブ・ディランのバンド、ザ・ウォールフラワーズでも叩いていたことがある。ある時期はパール・ジャムやサウンド・ガーデンに在籍していて、他にも若手のミュージシャンからブルース・スプリングスティーンのようなベテラン、またフランク・オーシャンの『チャンネル・オレンジ』など音楽性も幅広く関わっていて経験豊富。エド・シーランやジョン・メイヤーなど、ディランの影響を公言するアーティストともプレイしている。

 一曲ごとの的確なレポートはヘッケルさんが書かれているので、ここでは印象的だったシーンについて触れたい。
まずはやはり、このところ冒頭を飾ることも多い『シングス・ハヴ・チェンジド』のギターを弾きながら歌うディランの姿。フジロックでも1曲目に聴いていたが、ディランのギターやアレンジの違いもあって聴く側の感覚も変わる。「今この時にしか体験できないディラン」を実感し、鳥肌が立った。これぞディランのコンサートの醍醐味。
そして『追憶のハイウェイ61』では踊りたくなって、つい身体が動いてしまった。ディランはピアノを弾いていたが、前に観た時よりもロック色が強まっていたからか、たまらなくなった観客が曲の途中から立ち上がったり、シンガロングや歓声がどんどん大きくなっていき、会場にも一体感が生まれていった。
その後の『運命のひとひねり』も絶品で、語りかけるように胸に迫ってくるディランのヴォーカルと、ハーモニカの音色が美しくまた物悲しくもあって涙が出そうだった。
楽曲に哀愁のエッセンスを加え、時にディランのヴォーカルと呼応するようなドニー・ヘロンのフィドルにも全編を通して泣かされた。

 新体制のバンドの中でのディランは、以前よりも情緒を表に出しているように思えた。嬉しそうに微笑んだり、ポーズを決めたり、リズムに合わせて指を差したり、腰を振って踊ったり・・私にとっては、これまでに観たことのない初めて出会うディランの一面だった。ニューヨークのビーコン・シアターまで来て良かったと思う理由のひとつだ。
『キャント・ウェイト』のアレンジもとてもかっこよかった。ギターのカッティングに合わせて動きながら、感情を乗せて渋く歌い上げるディランに惚れ惚れした。
ビリー・ジョエルやアデルらもカバーして新たなスタンダードになっている『メイク・ユー・フィール・マイ・ラブ』は、歌い出しから歓声が上がった。ディランがフレーズを歌い終わる度に観客の反応があり、まるで会話をしているようだ。言葉が心に沁みていく。
噂されていた通り、この日も『レニー・ブルース』が聴けた。“レニー・ブルース”と聴こえたところで拍手が起き、はじめはそのレアな瞬間に立ち会う喜びに浮き足立った観客も、すぐにディランの真情あふれる柔らかい歌声に包まれて、歌を噛み締めるような時間になった。ディランもニューヨークでこの曲を歌うことを心に刻んでいるように見えた。間違いなくこの日のハイライトのひとつだった。

 それからこれは印象に残ったという以上に驚いたこと。
コンサートの終盤でディランがバンド・メンバーを1人ずつ紹介したのだ。ご機嫌な口調で、笑い声も混ざっていた。私がこれまでに観たステージ上の彼は話をすることが全くなかったので驚いたが、個人的には嬉しい変化だった。他の日もメンバー紹介+会場に来ているゲストを紹介することもあったそうだ。
これまでよりもディランを近くに感じられた。
本編の最後は立ってピアノを弾きながらアップ・テンポの『ガッタ・サーヴ・サムバディ』を歌い、会場の温度がより高くなった。

 アンコールを熱望する拍手のなか再び登場したメンバーとディランだったが、彼はここでもギターを弾いて『やせっぽちのバラッド』を歌った。印象的なギターリフが響く度、これがディランのギターかとしっかり胸に刻んだ。
2017年のインタビューで、「自分がピアノを弾く方がバンドとの相性がいい。ソロ・プレイヤーではなく100%リズム・プレイヤーだから、ピアノがギターと一体化した時にビッグバンドでオーケストレートしたリフみたいになる。自分がギターを弾くと、違うバンドになってしまう」と発言していたが、新しいメンバーを迎えバランスが変わったのか、はたまた心境の変化なのか、今のディランは曲によってはギターを弾くモードのようだ。少なくともこのビーコン・シアターの時までは。来日するタイミングのことまでは言い切れないが、きっと同じバンドで日本ツアーをやり切ると思うので、ひょっとするとそのモードは続くかもしれない。
ラストの『悲しみは果てしなく』でブルージーに締めると、ディランとメンバーがセンターに並び、全員でお辞儀をしてからステージを後にした。ビーコン・シアターの公演を最後までやり遂げた充足感からか、満足そうな笑顔もあった。
観客との心の距離が近いコンサートだったと感じた。




 今日1日でディランの印象がまた変わった。これだからディランのコンサートは出来るだけ観ておきたいと思うのだ。いつまでも掴みきれない。でもそれを正しいことだと感じる。
昨日の自分をなぞらずに更新していく78歳の音楽家から、私はいつも刺激をもらっている。
「生きるとは創造すること」その哲学を音楽で体現し続ける、数少ないアーティストだと思う。

 先日、ボブ・ディラン本人が全面協力する伝記映画で、ディラン役をティモシー・シャラメが演じる方向で進行中という報道が出た。
その時点では決定というニュースではなかったが、楽曲を使用する許可はすでに下りているようだ。
この映画は、ディランが1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで初めてエレキ・ギターを弾いたあたりの物語になるようで、監督は2005年にジョニー・キャッシュの伝記映画を撮ったジェイムズ・マンゴールドだそう。
役者としてティモシー・シャラメは大好きだが、ディランを演じるには儚すぎるような気もする。(もちろん若きディランも大変な美少年だけど)
でも、才能とインテリジェンスに溢れたシャラメはきっと応えてくれるだろう。双方のファンとして期待し、続報を待ちたいと思う。
まずは、4月のZepp公演ではどんなディランに出会えるのか、どんな光景が日本で観られるのか今からとても楽しみだ。
ボブ・ディランと同じ時代を生きている喜びを、Zeppという世界が羨む空間で存分に味わいたい。
菅野ヘッケル
菅野ヘッケル ディラン愛好家
●ボブ・ディラン、2019年最新ツアー・レポート到着!

 2019年10月11日にカリフォルニア州アーヴァインからスタートした秋のアメリカ・ツアーの締めくくりが、11月23日~12月6日にニューヨークのビーコン・シアター(10回)でおこなわれた。ボブは14年(5回)、17年(5回)、18年(7回)も、ツアーの最後はビーコン・シアターだったので、いつしかディラン・ファンはニューヨークのビーコン・シアターを聖地のように考え始めている。収容観客数2900人(全席指定席)の歴史的な劇場に、地元の人だけでなく世界中から多くの熱心なファンが集まってくる。もちろん、ぼくも毎回見に行っているが、その度にかならず日本人ファンの姿も何人も見かける。興奮のビーコン・シアター連続公演の後、まるでクールダウンするように、18年はフィラデルフィアのザ・メットで、19年はワシントンDCのジ・アンセムでツアー最終公演がおこなわれた。



 ボブのコンサートは開始時間ちょうどに始まるのが当たり前になっていたが、開始の8時になっても始まらない。ステージの様子を観察すると、背景を覆っている黒幕の前に3体のマネキンが立っている。タキシードを着込んだ男性が中心に、数メートル離れた両隣にはドレスを着飾った女性が立っている。何の目的かわからないが、ボブのアイデアであることはまちがいない。ステージ両サイドには数年前からボブのコンサートではお馴染みとなった石膏の胸像が飾られている。ステージ上のセッティングは、左からマイクスタンド、ドラムセット、横に寝かせたウッドベース、ステージセンター前方(といっても奥行きのあるステージなのに半分ほど奥まった場所)に2本のマイクスタンド、やや前方に斜めに設置されたアップライトピアノ、その背後の台の上にペダルスティールとラップトップスティールが並んでいる。客席に丸見えのアップライトピアノの裏側を隠すためなのか、そこにも3基目の胸像が置かれている。頭上には大口径の照明機器が7個ぶら下がっている。街灯のようなスタンド型照明も設置されている。ピンスポットは使われないようだが、以前よりは明るいステージになりそうだ。これならボブの表情も見えるだろう。
 10分ほど過ぎてようやく場内の明かりが消され、ストラヴィンスキー作曲の『春の祭典』の一部が流れ、暗闇のステージ右手からボブを含む6人が姿を現し、それぞれ所定の位置についた。音楽に重なるようにドラムスティックのカウントが響き、そのまま1曲目の「シングス・ハヴ・チェンジド」が始まった。照明が点くと、ステージセンターにギターを抱えたボブが立っている。ボブがギターを弾くのは久しぶりだ。黒いテレキャスターのネックを水平になるように持って弾いている。若い日のロックンローラー・ボブを思い出すような、格好いい姿だ。ボブは数フレーズ弾くたびに、右手でマイクスタンドを握りしめるので、ピックを使わずにフィンガーで演奏しているように見える。リズムを刻むコードは弾かず、もっぱらリードギターに専念しているので、ピックを使わないのだろう。
 最近のディランのコンサートは、かつてのように日替わりでいろんな曲を演奏することはない。ツアーごとに、ほぼ毎回おなじセットリストだ。これをファンは「ザ・セット」と呼び始めている。ブロードウェイのショーのように捉えてもいいだろう。2019年秋のアメリカ・ツアーの「ザ・セット」を紹介しておこう。来年の日本ツアーは、2019年版「ザ・セット」を下地に、かなりアレンジしたものになると予想している。



1. シングス・ハヴ・チェンジド(2001年、映画『ワンダー・ボーイズ』主題歌:アカデミー賞受賞曲)ボブはセンターステージでギターを弾きながら歌う。途中コーラス部分は大胆なメジャーコード展開にアレンジされている。

2. 悲しきベイブ(1964年、『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』)ボブは座ってピアノを弾きながら歌う。メロディもオリジナルに近いアレンジで、ドニー・ヘロンのヴァイオリンが効果的だ。

3. 追憶のハイウェイ61(1965年、『追憶のハイウェイ61』)ボブは立ってピアノを弾きながら歌う。ギターとピアノによる激しくバトルするロックナンバーに仕上がっている。

4. 運命のひとひねり(1975年、『血の轍』)ボブは座ってピアノを弾きながら歌う。後半はセンターステージに移動し、ハンドマイクでハーモニカを吹く。ボブのハーモニカはここ数年あまりなかったほどメロディアスで感動的だ。また、アメリカン・ソングブックの時代を経たことで、ボブのヴォーカル表現力にさらなる深みが加わったと思う。

5. キャント・ウェイト(1997年、『タイム・アウト・オブ・マインド』)ボブはセンターステージでハンドマイクで歌う。せっかくマイクスタンドがステージ前方に設置されているのに、ボブはマイクをスタンドから外し、後方、ベースのトニーのそばまで下がって歌う。右手にマイクを持ち、上半身をやや斜め前屈みにして、左手を水平に突き出して歌う。セクシーで格好いいボブだ。

6. マスターピース(1971年、『グレーテスト・ヒッツ第2集』)ボブは座ってピアノを弾きながら歌う。後半はセンターステージに移動し、ハンドマイクでハーモニカを吹く。オリジナルよりもスローテンポで、歌詞もすこし書きかえられている。感動的な仕上がりだ。

7. オネスト・ウィズ・ミー(2001年、『ラヴ・アンド・セフト』)ボブは立ってピアノを弾きながら歌う。ふたりのギターとラップトップが重厚に響き、新加入のドラマーが前任のジョージ・リセリよりもストレートなロックリズムを刻むので、かなりハードなできになっている。

8. トライン・トゥ・ゲット・ヘヴン(1997年、『タイム・アウト・オブ・マインド』)ボブは座ってピアノを弾きながら歌う。ドニーのヴァイオリンとトニー・ガーニエのスタンドアップ・ベースが印象的に響く。

9. メイク・ユー・フィール・マイ・ラヴ(1997年、『タイム・アウト・オブ・マインド』)ボブはセンターステージでハンドマイクで歌う。歌が始まると客席から歓声が上がる。最近のボブの作品のなかでは広く一般に知られた曲になっていることがよくわかった。ここでもドニーのヴァイオリンが印象的に響く。

10. ペイ・イン・ブラッド(2012年、『テンペスト』)ボブはセンターステージでハンドマイクで歌う。これまでよりもやや軽快なロックナンバーに変わっている。重々しい怒りはやや薄れた感がするが、反面内容が伝わりやすくなったように思う。ブリットが加わったことで、自由さを増したチャーリー・セクストンが見事なギターを」聞かせてくれる。

11. レニー・ブルース(1981年、『ショット・オブ・ラブ』)ボブは座ってピアノを弾きながら歌う。ボブがこの曲を歌うと予測できたファンはいないだろう。2008年に2回歌って以来なので、2019年の極レア曲だ。ドニーのヴァイオリンをフィーチュアしながら、ボブは感動的なヴォーカルを聞かせてくれる。歌がうまい。

12. アーリー・ローマン・キングズ(2012年、『テンペスト』)ボブはセンターステージでハンドマイクで歌う。トニーがスタンドアップ・ベースでリズムを刻み、ボブはダンスのように左手を空中で動かす。驚いたことに、ボブが「わたしはまだ死んでいない・・・」と歌うとき、観客もいっしょに歌う。ファンはこの歌が好きなんだ。

13. 北国の少女(1963年、『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』) ボブは座ってピアノを弾きながら歌う。控えめなバックにボブの歌声が荘厳に流れる。ヴァースごとに奏でられるピアノのリフを聞いていると、この歌が古いイギリス民謡をベースにしていることがよくわかるような気がした。

14. ノット・ダーク・イェット(1997年、『タイム・アウト・オブ・マインド』)ボブはセンターステージでハンドマイクで歌う。ボブのヴォーカルにディレーエコーがかけられる。生命の尊厳をも感じさせる絶品に仕上がっている。

15. サンダー・オン・ザ・マウンテン(2006年、『モダン・タイムズ』)ボブは立ってピアノを弾きながら歌う。3台のギターが絡み合う純粋ロックンロール・ナンバー。日によっては、この曲からアンコールが終わるまで、観客全員が立ち上がることもあった。

16. スーン・アフター・ミッドナイト(2012年、『テンペスト』)ボブは座ってピアノを弾きながら歌う。背景の黒幕に満天の星が投影される。照明効果が使われるのは、この時だけだ。

バンド紹介:
ボブがチャーリー・セクストン、マット・チェンバレン、ボブ・ブリット、ドニー・ヘロン、トニー・ガーニエの順に紹介。このツアーからバンド・メンバーがチェンジしたので、バンド紹介が復活したのだろう。ボブはそれぞれの名前を紹介した後に続けて一言付け加える。さらにビーコンの終わりに近づいた夜、ボブはめずらしく「今夜は会場にジャック・ホワイトがきている。ジャック、立ち上がって顔を見せたらどうだい」と話した。ジャック・ホワイトはニューアルバムのプロデューサーとうわさされていた人物なので、ファンの興奮は高ぶるばかりだ。ニューアルバムのタイトルは『デイズ・オブ・ヨア(昔の日々)』とまでうわさが流れていたが、結局これはフェイクニュースだと判明した。そのほかにも「今夜はスティーヴ・アールが来ている」「今夜はリトル・スティーヴンが会場にいる」「今夜はマーティン・スコセッシとローリング・ストーンのヤン・ウェナーが来ている」と話す場面もあった。この数年、ボブは歌う以外にことばを発することは皆無だったので、ファンは大喜びだ。観客との距離を縮めたい気分になったのだろうか。

17. ガッタ・サーヴ・サムバディ(1979年、『スロー・トレイン・カミング』)ボブは立ってピアノを弾きながら歌う。書きかえられた歌詞をメジャー調のロックナンバーで歌う。この歌で80年にグラミー賞ベスト・ロック・ヴォーカルを受賞したことがわかるような力強さを感じた。歌い終わると、何の挨拶もなくステージ右手に消えて行った。本編の終了だ。

アンコールを求める歓声や拍手が10分以上続いただろうか、暗闇のステージにボブとミュージシャンたちが戻って来た。

18. やせっぽちのバラッド(1965年、『追憶のハイウェイ61』)ボブはセンターステージでギターを弾きながら歌う。オリジナルはボブがピアノを叩くように弾きながら歌ったのだが、今夜はギターで歌った。不思議な人だ。しかもリードを取るのはボブだ。ボブの代名詞のような3連音符を主体にする独特のリフが心地よい。ボブはギターを捨てたわけじゃない、弾けなくなったわけじゃないことを観客に見せたかったのだろうか。あるいは、ボブ流ファン・サーヴィスなのだろか。いずれにしても、ギターを弾くボブは格好いいし、いつでも熱烈歓迎だ。

19. 悲しみは果てしなく(1965年、『追憶のハイウェイ61』)ボブは立ってピアノを弾きながら歌う。コンサートを締めくくるには、意外な選曲という感じもするが、スローなヘヴィーブルースに仕上げられている。

今や恒例となった最後は、ボブを中心にバンドメンバーが横一列に整列する。昨年までのボブは「どうだ!」と言わんばかりに観客を見回し、わずかに頷いただけで去って行ったが、今年はちがう。全員がはっきりわかるほど、頭を下げてお辞儀をしてから消えて行った。昨年までのボブは、観客に向け一方的にパフォーマンスを見せるコンサートだったが、今年のボブは観客とコミュニケーション取るような、暖かみにあふれるコンサートに変わった。ステージ場で笑顔を見せる場面も増えた。大歓迎だ。

ボブ・ディラン:ヴォーカル、エレクトリック・ギター、アップライトピアノ、ハーモニカ
トニー・ガーニエ:エレクトリック・ベース、スタンドアップ・ベース
マット・チェンバレン:ドラムズ
チャーリー・セクストン:エレクトリック・ギター
ボブ・ブリット:エレクトリック・ギター、ボトルネック・ギター
ドニー・ヘロン:ラップトップ・スティール、ペダル・スティール、ヴァイオリン



●2020年、ボブ・ディランの来日コンサートを大胆予測する。

 2020年4月にボブ・ディランの来日コンサートが決まった。本格的ツアーとしては、2016年4月以来、9回目の日本ツアー。しかも会場は、過去2010年、2014年にもツアーをおこなったことのある、ボブが気に入ったと言われるZepp限定ツアーだ。世界中のファンがうらやむのも当然だろう。
 ボブ・ディランは、来日のたびにちがったコンサートを見せてくれる。古くからディランを追いかけているファンは、今や伝説とされる1978年の衝撃的な初来日のステージを鮮明に覚えているはずだ。当時はフォークの神様と称されたボブが、13人編成のバンドをバックにラスヴェガスを連想させるようなステージ衣装でステージに現れ、ファンならだれもが知っているはずの代表曲を、すぐにはわからないほど大胆に変えたアレンジで歌った。その後も、86年にはトム・ペティ&ザ・ハートブレーカーズをバック・バンドにしたロック・ショーを、1988年にスタートさせたネヴァーエンディング・ツアーで初めて来日した1994年にはスティールギターを加えたカントリー色の濃いステージを、97年は観客をステージに上げるほどの驚きのステージを、2001年はチャーリー・セクストン、ラリー・キャンベルと二人のギタリストが在籍した極上のステージを、2010、14年はスタンディングでおこなわれたZeppツアーを、16年はピアノに専念するボブが多くのアメリカン・スタンダードをカバーするなど大人の雰囲気にあふれるホール・ツアーを、と来日のたびに異なるステージを展開している。
 はたして来年のツアーはどうなるのだろう? ボブの行動はだれにも予測できないが、強いて予想するなら、代表曲をギターやピアノを演奏しながら新しいセットリスト、2020年版「ザ・セット」を世界に先駆けて日本ツアーで初めて見せてくれるはずだ。14年のZeppツアーではだれも予測しなかったし、あまり知られていなかった「ハックス・チューン」を初めてライヴで歌ったこともあった。メンバーは、チャーリー・セクストン、ボブ・ブリット、ドニー・ヘロン、マット・チェンバレン、トニー・ガーニエの5人編成で来日すると思う。マネキン人形も連れてくるだろう。もしかしたら、新しいセットリストにうわさされているニューアルバムから新曲も登場するかもしれない。2019年12月から2020年3月末までは、ツアーがないのでスケジュールも空いている。2012年の『テンペスト』以降、3枚のスタジオ録音アルバムを発表しているが、すベてアメリカン・ソングブックのカバーだった。そろそろ新作を発表しても不思議ではない。期待は高まるばかりだ。いずれにしても、何かが起きる。ボブは過去を振り向かない。過去の再現や何かのコピーはしない。挑戦の連続だ。その瞬間、その時に生まれるものを大事にする。奇跡の瞬間を見逃さないようにしたい。そのためにも、何度もZeppに足を運ぼうと思っている。