わが家のトイレに鎮座まします「ボブ・ディラン日めくりカレンダー」2019年版もあと少しで終わり…(ってトイレに置いてんのかよ!と怒られそう。すみませーん!)1日1曲、わずか数行、せいぜい20ワードそこらなのに、なんと賑やかな光景や感情がそこから見えてくることか。 「風に吹かれて」の一節を改めて読む。How many times must the cannonballs fly before they’re forever banned?(どれだけの大砲が撃たれれば/2度と撃たれないよう禁止されるのか?)。「What Good Am I」では What good am I if I know and don't do(わかってて何もしないのだとしたら/私になんの価値がある?)。変わらぬ現実、耳が痛い真実。 かと思うと「彼女はスーツケースに僕の心まで詰めてイタリアに行っちゃった」「君を僕のものにできないなら/僕の愛は深く青い海に投げ捨ててしまえ」だなんて。ディランの愛情表現は正直…かわいいなぁ。
ソングライティングの極意、シンプルに“韻の踏み方” がかっこいい歌詞、例えば That big fat moon is gonna shine like a spoon(大きくてまん丸な月がスプーンみたいに輝くよ)を何度も口に出して読んでみる。ストンとおさまる感じが気持ちよくて。 極めつけ「Let Me Die In My Footsteps」で歌われる「旅する時は心置きなく兄弟と旅させてくれ。でも死ぬ時は自分が残す足あとの上で死なせてくれ」…ああ、だからツアーは続くのか?永遠に、としみじみ納得するわけです。
前回ZEPPでの「見張塔から?」だったか、アレンジが原曲とまるで違い、サビの歌詞でようやく「あ、これか!ズコー」となってたのも楽しい思い出です。そんな翻弄される快感がディランのライヴはいっぱい。ご本人もニヤリとしているようにも見え…ってそのくらい近い!というのがクラブサイズでディランを見られる醍醐味ですね。 日めくりをまた1枚めくり、20ワードの世界にときめきながら、再来日公演を心待ちにしております。
去年僕の友人がボブ・ディランのライブを見た後、こう言ってきた。「風に吹かれて」(Blowing In The Wind)を歌ってくれなかったよ、と。チェックしてみると、アンコールで歌っていた。ボブ・ディランは同じ曲を何千回も歌っているから、時によって同じ曲と思えないほどアレンジしてしまうことがある。そんな時は歌詞をじっくり聞かないとわからない。でも、だからこそ彼のライブは生き生きしているんだ。自分に新しいインスピレーションを与えているんだろう。 僕たちが生きている間、これほどのアーティストは二度と現れないと思う。流行するアーティストは続々と出てくるが、ボブ・ディランほど世界に影響を及ぼす人は出てこないだろう。僕たちはまるでシェイクスピアが生きている時代に、彼の演劇を観に行くみたいなものだ。 ボブ・ディランは1962年のデビューだが、初めてグラミー賞をとったのは1973年のことだ。「風に吹かれて」は1963年の作品だっていうのにね。その頃、グラミーをもらうべきだったと思うよ。2016年にはノーベル文学賞も受賞したけど、これだって随分遅かった気がする。しかしながら、彼にはそういう賞さえ、必要ないかもしれない。もらえる賞より彼はもっと大きな存在だと僕は思うよ。
「なんて嫌な性格の爺さんだ」と思ったものだ。6年前、初めてディランのライブをお台場で見た時のことだ。何しろ私の知らない新曲のオンパレード。楽しみにしていたのに、これでは一緒に歌えないではないか。
でも腹を立てたというより、苦笑いしたというのが正確だ。この爺さんは、いまだに「風に吹かれて」でディランを語りがちな人たち(とりわけ私のような新聞記者がそうだ)に向けて、「俺は懐メロ歌手ではない。現役だ」――と強烈に訴えているのだと思い返した。
しかもライブの最後は、私が一番好きなナンバー「見張り塔からずっと」を(当然、新しいアレンジで)演奏してくれたから、結局大満足。新曲も渋いわ、かっこいいわ、で即、新譜を買った。こうして私は見事にディランの術中にはまってしまったのだった。
最初にディランを聞いたのは、ジョージ・ハリスンのバングラデシュ・コンサート(思えばチャリティ・フェスのはしりだ)にゲスト出演した際のライブ盤だったと思う。私は中学3年。その後間もなく私はザ・バンドの熱心なファンになるのだが、なぜかディランにはさほど関心なく過ごしてきた。
それが歳をとって俄然、興味を抱くようになったのは、2005年にマーティン・スコセッシ監督(この人も本当にロック好きだ)が作ったドキュメンタリー「ノー・ディレクション・ホーム」を見てからだ。かつてザ・バンドを従えたライブが、古くからのフォーク・ファンから「裏切り者」と大ブーイングを浴びた映像等々、生々しく半生を振り返ったこの映画を見て、ディランは根っからの「ロック小僧」だと私は改めて認識したのだ。
冒頭記した「見張り塔からずっと」(コードは3つ!)を何人ものロック・ミュージシャンがカバーしているのもその証しだろう。ジミヘン、デイヴ・メイソン、ディランの30周年コンサートでニール・ヤングも歌って爆音ギターを弾いた。すべて私のお気に入りだ。
ノーベル文学賞を授与(この時も受けるか、受けないか、意地悪な対応だったなあ)されたように、その詩を評価する人々は多いし、ほとばしる言葉のすごみは私も毎度目を見張る。でも基本的には彼はミュージシャンである。彼自身、そこにこだわるのは、ギターだけでなく、決して上手いと思えないキーボードを弾きたがるのを見れば、よく分かる。
そして、もう一つ。世間では頑な人という印象があるけれど、実はとても柔軟で、新しいもの好きな人ではなかろうか。だからスタイルは次々と変わるし、懐メロとならずに現役であり続けるのだろう。そう。家もなく、知り合いすらいなくて、転がる石のようになっても転がる石は苔むさず前に進むのである。
「ずっと立ち見」は60歳を過ぎた私には結構辛いが、ディランはもう78歳。負けていられない。今度はどんな姿を見せくれるだろう。また裏切られに行きたいと思う。
ぼくより長く生きて、ぼくよりたくさんの歌を作り、ぼくよりたくさん歌ってきた人の歌を聞きに行かないわけにはいかない。歌はたった一回だけ歌ってそれでおしまいってものじゃない。たくさん歌ってはじめて喉にこみあげてくるものは、たくさん歌った人にしかわからない。たくさん歌ってきたボブ・ディランの歌を聞きにぼくはいろんなところに行ったけど、すべてを聞くには地球は狭すぎる。
大音量でボブ・ディランの歌を流しながら、大量の車がぼくらの脇を走り抜けていく。タングルウッドでの彼のコンサートに行く時とその帰り道。ぼくらはコンサートで彼の歌を聞き、その行きにも帰りにも彼の歌を聞く。アメリカには彼の歌を聞くもう一つの国がある。
ニューヨークで過ごした20年間には、マンハッタン以外にもニュージャージーやロングアイランドやウッドストックなどで何回もボブ・ディランのコンサートを見ることができたが、マサチューセッツ州レノックスのタングルウッドはその中でもぼくが一番遠くまで出かけた場所だった。タングルウッドはクラシック音楽のための森の中の野外劇場で、オープニングアクトはアニ・ディフランコだった。芝生席には年寄りから孫までの家族連れが多く、観客の年齢層が幅広いのがアメリカでのボブ・ディランのコンサートの特徴になっている。ゴッホの絵のように、ボブ・ディランの歌も世代を越えたのだと思う。ボブ・ディランの歌を大音量でかけながら家路を急ぐ人たちもまた、世代を越える大波の中にいるのだと思った。
狂騒から取り残されて、その夜ぼくと妻はレノックスのB&Bに泊まった。そしてタングルウッドの森から抜け出た自分たちをボブ・ディランの歌で温め合ったのだった。
たまたま目に止まった戦争のドキュメンタリーを見てみると、OPのナレーションの後ろで"A Hard Rain's A-Gonna Fall"がかかった。このタイミングしかないと思い綴りはじめています。
昭和、平成、そして令和と便利な世の中になってきた世の中。音楽ジャンルはデルタ地帯のように広がり続け、それに伴い楽器や機材も進化に進化を遂げ続けてきた。歌詞の面でも身の回りの恋愛を歌った曲が大半の世の中では、ボブディランが流れてもなかなか響きにくいかもしれない。
基本的には声とアコースティックギター、ハーモニカしかない。ベリーシンプル。
でも最近それがいいと思えるんだよねぇ。
1963年に発表されたという2枚目のアルバムを1番よく聴いた。世界が認める名盤。
ジャケも古き良きアメリカの時代感が出ていて絵になる。
明るいコード進行にのるハスキーな歌声、英語はパッと聞いてもわからないが、なぜか心にグッとくる。これが音楽だよなと改めて思わされてしまう。
僕のおすすめは"Don't Think Twice, It's All Right"
泣いているようなハーモニカ、高揚するギターアルペジオ、そしてあの不器用な歌声。憧れさえ抱いてしまうなあ。生で聴けたら泣いてしまうかもしれない。
人生の選択するとき必ずディランを聴くんです。
いかようにも自分で解釈します。結局人生もそうやって帳尻合わせてきた。
そんなことを教わりました。
人生楽しくて仕方ないです。
ただ僕にとって
ボブ・ディランの音楽は
リズムです。
結局のところ。
だから面白いんです。
やっぱ音楽なんだよなぁ。
詩人とかってより。
音楽、文学、映像、美術、舞台、いかなる様式の違いをも乗り越えて、ボブ・ディラン以上に芸術家と、芸術を志す人々の手本となり得ている人物はいない。例えばローリング・ストーンズほどの大物でも、コンサートの最後には毎回律儀に「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」と「サティスファクション」を演奏することを思い出して欲しい、ミック・ジャガーやキース・リチャーズがそうした楽曲に飽き飽きしていないはずがないが、それでも聴衆からの期待に応えねばならないという言い訳の中で、彼らは市場の論理に負けている。対してボブ・ディランという人は、ぜったいに聴衆に媚びない、市場の論理、資本主義の圧力に屈しない、その時どきの自分の演りたい曲を、演りたいように大幅にアレンジを変え、歌いたいように歌う、それは自らの目下の興味や関心、切実さ、気分に従うことこそが、芸術家としてもっとも誠実な態度であるという揺るぎない信念を堅持しているからなのだ。四月の来日公演はその信念の実践を、芸術家の生き様を、じっさいに目撃し、体感する機会でもある。
「風に吹かれて」の一節を改めて読む。How many times must the cannonballs fly before they’re forever banned?(どれだけの大砲が撃たれれば/2度と撃たれないよう禁止されるのか?)。「What Good Am I」では What good am I if I know and don't do(わかってて何もしないのだとしたら/私になんの価値がある?)。変わらぬ現実、耳が痛い真実。
かと思うと「彼女はスーツケースに僕の心まで詰めてイタリアに行っちゃった」「君を僕のものにできないなら/僕の愛は深く青い海に投げ捨ててしまえ」だなんて。ディランの愛情表現は正直…かわいいなぁ。
ソングライティングの極意、シンプルに“韻の踏み方” がかっこいい歌詞、例えば That big fat moon is gonna shine like a spoon(大きくてまん丸な月がスプーンみたいに輝くよ)を何度も口に出して読んでみる。ストンとおさまる感じが気持ちよくて。
極めつけ「Let Me Die In My Footsteps」で歌われる「旅する時は心置きなく兄弟と旅させてくれ。でも死ぬ時は自分が残す足あとの上で死なせてくれ」…ああ、だからツアーは続くのか?永遠に、としみじみ納得するわけです。
前回ZEPPでの「見張塔から?」だったか、アレンジが原曲とまるで違い、サビの歌詞でようやく「あ、これか!ズコー」となってたのも楽しい思い出です。そんな翻弄される快感がディランのライヴはいっぱい。ご本人もニヤリとしているようにも見え…ってそのくらい近い!というのがクラブサイズでディランを見られる醍醐味ですね。
日めくりをまた1枚めくり、20ワードの世界にときめきながら、再来日公演を心待ちにしております。
本当にライブが好きでやってるんだなーとか、やりたいことだけやりたいようにやってんだなーとか思いながら、ボブディランという人と音楽を楽しんでいます。
あまりにも我が道を行き過ぎてて、ド天然にみえるとこも、かっこいい。
あのちょっと南部というか、メキシコっぽい雰囲気のある衣装もかっこいい。
ああいうの探したけれど、あまり見つからなかったです。今回はどんな服着て、登場するのか楽しみです。
どんな曲やるのかな?
どんな声で歌うのかな?
毎回、声の印象が違うとこもかっこいい。
いつまでも、モテたがり、欲しがるとこもかっこいい。そういうとこから、降りてないとこもかっこいい。
だってボブディランだよ!あのボブディランが目の前で演奏して歌ってくれるんだよ!ただただそれを体験して、浴びまくって、あとは、各々のやり方で消化するだけ。栄養満点!滋養強壮!大安心!
毎回、ディランのライブ見ると、心が軽くなるんです。
だよね!ボブさん!て。それでいいんだよね!て。
明日からの日々が、より楽しみになるような幸福感。
なんでかな?
多分、我の出し方が心地よいんですね!自慢の仕方が気持ちいいんです。だから、魅力が、満ち満ちて、溢れてるんですね。そういう光を浴びているからなんでしょう。
ライヴでは、1960年代の楽曲から近年発表した新曲まで、有名無名問わず、あらゆる時代の作品を取り上げてくれる。とはいえ、ご存じの通り、どの曲のメロディもアレンジも歌唱法も原型から大きく変貌。変わらないのは歌詞だけだ。ディラン自身、以前のようにギターを抱えてではなく、ほとんどの曲をキーボードを弾きながら歌う。こうした姿勢をとらえて、ディランは常に新しくあろうとしていると評する向きもあるようだけれども。いやいや、そうではないだろう。ここには、たとえば「時代の最先端」とか「先進的な空気感」といった曖昧な価値観と折り合いを付けようなどという卑屈な感触はかけらもない。
ディランとバック・バンドの面々はそれら時代を超えた膨大な楽曲群をすべてブルース、ロカビリー、カントリーなど伝統的な米国ルーツ音楽の要素を色濃くたたえた屈強のサウンドに乗せて解き放つ。そこに漂うのは、時の流れから隔絶された環境下、ツアー・バスに揺られ全米中のクラブを回るバー・バンド的な、揺るぎなき骨太なたたずまいだ。表現者として長い歳月を駆け抜けたディランにとって、新しいだの古いだの、そんなありきたりの時間軸などもはや無意味。彼自身が伝統であり、かつ尖鋭である、ということか。
枯れもせず、若ぶりもせず、終わりなき旅を続ける。こんなすごい人、いない。今回の来日でもその底力を堪能させてくれるはず。楽しみ!
ディランが来日すると、ぼくも含めてファンは皆必ず足を運びます。昔からよく知っている曲がまるで違うメロディや編曲で演奏されることにも慣れっこです。でも、ボブ・ディランという「レジェンド」の名前を知っていても、彼の音楽を知らないという方と話すことが時々あります。そういう方は大抵歌詞が中心で、ちょっと難しいといったイメージを持っています。ボブ・ディランは素晴らしいメロディの職人でもあるのに、なぜか言葉だけが注目されがちです。78歳とは言えまだまだ元気なので今後も来日するに違いないのですが、何年も一緒に活動している熟練のバンドと共に彼が聞かせ続ける素晴らしいアメリカン・ミュージックを一度生で味わうことを、ひとつの文化体験としてもお薦めします。
僕たちが生きている間、これほどのアーティストは二度と現れないと思う。流行するアーティストは続々と出てくるが、ボブ・ディランほど世界に影響を及ぼす人は出てこないだろう。僕たちはまるでシェイクスピアが生きている時代に、彼の演劇を観に行くみたいなものだ。
ボブ・ディランは1962年のデビューだが、初めてグラミー賞をとったのは1973年のことだ。「風に吹かれて」は1963年の作品だっていうのにね。その頃、グラミーをもらうべきだったと思うよ。2016年にはノーベル文学賞も受賞したけど、これだって随分遅かった気がする。しかしながら、彼にはそういう賞さえ、必要ないかもしれない。もらえる賞より彼はもっと大きな存在だと僕は思うよ。