MR.BIG/ミスター・ビッグ

NEWS 最新情報

  • MR.BIG 名古屋公演(9月25日分)当日券情報
    2017.09.22

    9月25日(月)・Zepp Nagoya公演の当日券は、午後5時30分より、会場のチケット売場にて、1階スタンディング¥9,800<税込>を販売します。
    また、グッズ先行販売は、午後5時30分頃からの開始を予定しております。

  • MR.BIG ジャパン・ツアー ダイアリー(DAY 3)を掲載!
    2017.09.21

    今回のツアーの模様を毎日少しずつご紹介します!

    DAY 3 〜 ありがとう、札幌!編

    DAY 2 〜 札幌公演開演!編

    DAY 1 〜 札幌到着編

  • MR.BIG 金沢公演(9月22日分)当日券情報
    2017.09.21

    9月22日(金)・本多の森ホール公演の当日券は、会場のチケット売場にて午後5時より販売します。
    また、グッズ先行販売は、午後5時30分頃からの開始を予定しております。

  • MR.BIG オフィシャル・グッズ情報を掲載!
    2017.09.13
  • MR.BIG 来日記念 リレー連載(不定期)「MR.BIGと私」第四弾
    2017.08.10
    早いもので、来日公演はいよいよ一ヶ月後、そして当連載企画も第四弾を迎えました。 今回ご登場いただくのはNHKの制作局エンターテイメント番組部に所属する是洞(これとう)茂樹さんです。詳しくは末尾のプロフィールをご覧いただくとして、2009年にバンドが再結成した際に、同局の音楽番組「MUSIC JAPAN OVERSEAS」に出演したのですが、是洞さんはその番組スタッフとしてMR.BIGの新たなスタートを世の中に知らしめる大きな手助けをしてくださいました。当時、番組をご覧になった方もたくさんいらっしゃると思いますが、TV番組スタッフとして関わったMR.BIGはどういったものだったのか?その姿が少しだけ垣間見える文章を寄せていただきました。
    ①「MR. BIGと私」の始まり
    1989年、当時21歳だった私が、14インチテレビで「Addicted To That Rush」のプロモビデオを見た時の衝撃は強烈だった。それが「MR. BIGと私」の始まりだ。番組は「ミュージック・トマト」か「SONY MUSIC TV」か関西ローカルの「POPベティ・ハウス」だったかは覚えていない。でも、このビデオを初めて見た時の驚きは忘れない。イントロでこりゃ凄いと。何だこれは、と。イントロだけではない。ソロも凄い。ポール・ギルバートとビリー・シーン。二人の超絶プレーヤーのアンサンブルに、まだ若かった私は完全にノックアウトされた。いや、年齢は関係ない。このあと、40代になった私は再び彼らにやられてしまうのだから。
    80年代末といえば、日本で言うところの「LAメタル」ブームも落ち着いてきた時分。RATTのウォーレンは「Reach For The Sky」でブルース的なフレーズに傾倒したり、ブルージーさがウリのシンデレラが流行ったり、 GUNS N' ROSESのようなちょっと泥くさいHRが出てきたり。テクニックや派手さ(当時の言葉でいえば、フラッシーさ)よりも味わいとかグルーブ感が重視されてき出したなあ、と何となく感じていた矢先。とんでもなくテクニカルで端正なプレイなのに、ワクワクさせるようなノリのよさ、バンド的な盛り上がり。テレビの前の私は「これだ!」と実に胸がすく思いをしたのです。
    ②100% PAUL GILBERT
    1991年、「YOUNG GUITAR」別冊「100%RATT」や「100% ジョージ・リンチ」に続いて「100% PAUL GILBERT」が発売された。人気ギタリストにスポットを当て、奏法やスコアなどを集中的に掲載するギタリスト御用達の参考書的ムック本だ。ファンの方ならば持ってる人も多いかと思います。かじる程度にギターを弾いていた私はそこに載っていた「Addicted To That Rush」にチャレンジしてみた。イントロ・リフのフィンガリングの体感スピードは信じられないぐらいに速く、しかも弦移動や開放弦が多過ぎて余計な弦が鳴りまくる。時おりピッキング・ハーモニクスのような小技もきかせている。続くタッピングをあんな具合に弾くのは無理だ。「自分には何の参考にもならない…」というのが結論で、常人にはまったく歯が立たないギタープレイの凄さにこの時あらためて気がついたのでした。当然のことだけど。
    ③1997年 ポップジャム
    以上が私個人のMR. BIGとの出会いでしたが、その後、NHKに入局してから幸運にもメンバーの皆さんに二度、お会いすることが出来た。身に余る光栄だ。一度目は1997年4月12日放送の「ポップジャム」のディレクターをつとめた時。ベスト盤『BIG BIGGER BIGGEST』リリース後のタイミングで、NHKホールで「Stay Together」を収録。ELTや黒夢、MAXの皆さん、知念里奈さんと一緒の回だ。当時の上司は邦楽アーティストには詳しくても、洋楽はそれほど分からない感じだったので、彼らに出演してもらうために内部で話を通すのが意外に大変だった。なかば上司をだますような形でOKにして、迎えた当日。MR. BIGがやって来るということは特別感以上に特別なことだった。セットはクイーンのような豪華照明セット。曲の最後には紅白歌合戦のラストのようなテープを客席に向けて打ち、盛り上げた。メンバーの皆さんにはこれら演出をとても喜んでいただいた。ファン、いや、ディレクター冥利に尽きる。インタビューは司会の森口博子さんとホールの地下楽屋で収録。そこにはギター、ベースとアンプを用意した。レコード会社から「機材は小さいもので、何でもいい」と言われていたこともあり、高校生が持ってるぐらいの小型アンプに、エフェクターなしのダイレクトインだったかと思う。「テクニカルなプレイを」というこちらのリクエストに対し、ポールとビリーで実に鋭いカッティング&チョッパー的なプレイをアドリブ風に演奏してくれた。速弾きプレイではなく、与えられた条件下で最高にテクニカルなプレイをしてくれていたことが伝わってきた。弘法筆を選ばずだ。ポールはこの時のインタビューで「1日に100時間練習すべし」と冗談まじりに話していたが、本当にこの方はもの凄くたくさん練習をしているんだと思う。
    ④2009年 MUSIC JAPAN OVERSEAS
    二度目の幸運は2009年の年明けにやって来た。しばらく活動休止していた彼らが何とオリジナル・メンバーで再結成し、日本にやって来るという情報をウドーの担当氏が伝えてくれた。リッチー・コッツェンもいいけれど、MR. BIGはやっぱりポールだ。 10年ぶりのオリジナル・メンバーでの再結成の会見と最初のテレビ露出を日本と定めていると聞き、驚いたと同時にすごく嬉しく思った。 是非テレビ番組「MUSIC JAPAN」に出演を、とお願いをしたところ、トントン拍子に話が進み、スタジオで収録をすることが決まった。「せっかくなので、演奏曲をオファーしてみましょう」と担当氏に言っていただき、テレビ的には「To Be With You」かな、という思いもよぎらなかったでもないが、いや、やっぱり、ということで「Addicted To That Rush」でオファーをしてみたところ、バンドからの返答は「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」を演奏したい、と。なるほど、そう来たか!リフやメロディのノリが強烈で、ソロはタッピングのユニゾンと正確無比な速弾き、そして何と言ってもその後にギター&ベースの「ドリル奏法」が続く。MR. BIGの魅力がいかんなく詰め込まれた名曲だ。
    2009年2月7日。MR. BIGのメンバー4人が来日。その夜、新宿ヒルトンホテルの会議室で打合せが行われた。我々NHKスタッフも会議に参加させていただいた。翌日の六本木ハードロック・カフェで行われる再結成記者会見やNHKでのTV収録の打合せが順に行われる。実はこの時、パットの肩の調子があまりよくなく、記者会見ではアコースティックで演奏することになっていた。我々の収録も、エレクトリックで演奏出来るかどうかの瀬戸際で、最終決断がこの会議まで持ち越されていたのだが、その場で「やる」と言ってもらえた。熱い思いをくんでくれたのかも知れない。収録で使用するドリルを持ち込んではおらず、日本で調達することになった。日本の製品なので自然ななりゆきだ。ポールがその場でドリル奏法用ドリルの作り方をメモ帳に絵に描いて説明してくれた。マキタ製電気ドリルの軸の先端に三角形のピックを3枚、穴を開けて固定する。3枚のピックの角度や固定法など分かるかどうか何度も尋ねながら、とにかく丁寧に説明をしていたのが印象的だった。
    そして迎えた2月9日。NHK101スタジオで再結成MR. BIGのTVパフォーマンス収録が行われた。楽器メーカーやアンプの輸入代理店の方々も今後の活動に備えて集合していたと記憶する。2回リハーサルをして本番。4人で戻ってきたバンドの姿とサウンドを贅沢にも目の当たりにし、感じたのは興奮と感慨だ。20代の頃、衝撃を与えてくれた彼らも、自分も同じように見た目はちょっぴり歳を重ねた。しかし、音と気持ちは何も変わらない。すごい演奏だ。40代になって再び彼らにやられてしまった。実に10年ぶりに4人で演奏しているはずなのに、ずっと演奏を続けてきたかのような完璧さと一体感。そこから出てくる何とも言えない高揚感、楽しさ。やはりMR. BIGはタダモノではない。実は本番のソロでビリーのドリルのピックが割れて飛び散ったのだが、そんなこと、本人は全く気にしていないようで、1発目がOKテイクとなった。完璧でありながら、スピード感あふれる演奏は、今アーカイブ映像を見返してみてもワクワクさせてくれる。あらためて、素晴らしいバンドだ。さらに別スタジオで司会の関根麻里さんとインタビューを収録。エリックは「ポールが戻ってきてくれて嬉しいよ」としみじみ話ていた。ポールは「駒込、四谷三丁目、仙川、千歳烏山に住んだことがある」というレア情報を語ってくれ、日本への愛情を表してくれた。帰りがけに「100%PAUL GILBERT買いました」と言うと、優しいポールがピックをくれた。特権を利用した形になってしまってファンの皆さまには大変に申し訳ないのですが、写真のピックがその時のモノです。大切な宝物だ。MR. BIGのメンバーは今後も私たちと一緒に歳を重ねていくだろうけども、変わらないサウンドを鳴らし続けてくれるだろう。いい音楽を、本当にありがとう!
    <プロフィール>
    是洞茂樹(これとうしげき)/NHK エンターテインメント番組部 チーフ・プロデューサー

    NHKの制作局エンターテインメント番組部のチーフ・プロデューサーとして「シブヤノオト」「NAOMIの部屋」「ミュージックライン」の各番組を担当。2009年、MR.BIGが再結成のアナウンス、それにともなうジャパン・ツアーのプロモーションで日本を訪れ、同局の「MUSIC JAPAN OVERSEAS」に出演した際の番組制作を担当。
  • MR.BIG 「1992〜MR.BIG物語」キャンペーンのプレゼント・グッズ画像を公開!
    2017.08.02

    「1992〜MR.BIG物語」キャンペーンのプレゼント・グッズ『MR.BIG1992特製扇子&手ぬぐいセット』のサンプル画像が届きました。
    日本のファンとの「絆」とニュー・アルバム『ディファイング・グラヴィティ』をテーマにしたデザインです!

    皆様からのご応募まだまだお待ちしております!
    キャンペーンについての詳細はこちらまでhttp://udo.jp/concert/MrBig/article/138

    ※特製扇子

    ※特製手ぬぐい

  • MR.BIG 来日記念 リレー連載(不定期)「MR.BIGと私」第三弾
    2017.07.31
    連載企画「MR.BIGと私」、3人めにご登場いただくのはフォトグラファーのウィリアム・ヘイムスさん。コンサート会場で、背が高くダンディーでハンサムなウィリアムさんが、ステージ上やステージ前で撮影している姿をご覧になった方も数多くいらっしゃるかと思います。皆さんが雑誌などで目にするコンサート写真や表紙、CDのブックレットなどでご覧になる写真をたくさん、たくさん手掛けている大ベテランです。また、この手のバンドやミュージシャンの主に北米での取材などでは写真撮影だけでなく、動画撮影やインタビュアーを務めたりと大活躍。ここまで来るとなんでも屋さんですね。ミュージシャンが気持ちよく取材を受けてくれるのも、ウィリアムさんとの良好な関係がそうさせている面がとても大きいのです。
    MR.BIGについても、各メンバーをバンド結成以前からよくご存知で、今回はそのあたりのことにも触れてもらっています。なお、最新作『ディファイング・グラヴィティ』に関するインタビューやコンサート取材、宣伝用のアーティスト写真ももちろんウィリアムさんによるものです。といいますか、これまでのMR.BIG関連の写真のほとんどがそうといえます。また、当欄に掲載している写真も提供してくださいました。
    「MR.BIGと私」というテーマの原稿の依頼がありました。フォトグラファーとしてデビュー当時から現在まで、一貫して関わってまいりました私の「お仕事」を通じて見てきたMR.BIGのあれこれを思うままに書くということですが、その前に、簡単な私自身のプロフィールを兼ねて、どのようにして彼らと繋がったのかをお伝えします。
    私は父親がアメリカ人、母親が日本人のハーフ。日本生まれ、日本育ち、幼稚園から大学まで日本の学校でした。事情があって、24歳の時にアメリカに渡り、サン・フランシスコ郊外のベイ・エリアに移り住みました。その頃、まだライブやコンサート会場にカメラを持ち込んでもオーケーだったので、日本にいた時に愛聴していたレコードのアーティストのショウは、かなりの数を観に行きまして、ステージの写真を撮り、ポートフォリオを製作していました。きっかけは、音楽の写真で日本とアメリカを結びつけられると良いな、という漠然とした気持ちでした。
    話を端折りますが、サン・フランシスコがベースのバンドを撮って、色々と動き回っているうちに、幸運なことにも、ジャーニーと仲良くなったのであります。オフィシャルとして、日本公演にも同行したり、メンバー、マネージメントに写真家として気に入ってもらえておりました。マネージャーのハービー・ハーバートは、他にもバンドを抱えていて、その中に415(1979年当時)というグループがありました。ボーカルがエリック・マーティン。後にERIC MARTIN BANDと名称が変わります。彼は1988年まで活動していました。そういうわけでMR.BIGのメンバーの中ではエリックが、いちばん古いお付き合いとなります。次にお付き合いができたのは、ポール・ギルバート。1985年にRACER Xを結成したポール、凄腕のギター・プレーヤーとして脚光を浴び、私も何度も取材させていただきました。ビリーとは、その後に出会いました。あのDAVID LEE ROTH BANDの一員として、これまた強烈なベース・プレイで注目を浴びており、1988年までの在籍です。同じく1988年にバンドをやめたポールと、ビリーはMR.BIGを結成します。ビリーはエリックに声を掛け、ドラムスはパット・トーピーで新たな道を歩み始めます。私とパットとの接点は、IMPELLITTERIでのスタジオ撮影でした。このように4人が揃うまで、すでに撮影・取材を行っていたメンバーですから、1989年のスタート時でも、旧知の感じが濃く、冗談が飛び交う撮影現場も和気藹々で、とってもリラックスした環境でした。
    当時はまだ、ロサンゼルスのバンドは、所謂、ヘアー・メタルというカテゴリーに一緒くたにされて入っていたのですが、MR.BIGはメタルではなくスーパー・グループ扱いで違いがありました。ただし、当時はみんなヘアー・スタイルは凄かった。今見ると微笑ましいですね。
    そして1989年のアトランティック・レコードからのデビュー後、1991年に2作目が発表されます。メガ・ヒットの「To Be With You」「Just Take My Heart」そして「Green-Tinted Sixties Mind」が話題をさらった『LEAN INTO IT』であります。幸せにも私は、このレコードの裏ジャケットの写真を撮影させていただきましたが、80年代らしい、私のシグネチャーのライティングでのセッション。今見返すと大変懐かしいです。メンバーは個性もバラバラなのですが、それが彼らの魅力。基本的にフォト・セッションは、ふざけながらも、決める時はバッチリみたいなノリで、現在でもまったく変わっていません。
    そして、この当時から日本のファンに急速に人気が高まったMR.BIG。"MR.BIG IN JAPAN"なんて揶揄されたような呼称もありましたが、『RAW LIKE SUSHI』シリーズのライブ盤も好調で、日本は彼らにとってとっても親密なマーケットとなり、『LIVE AT BUDOKAN』など絶好調な時代でした。私もライブ盤のほとんどのジャケット周りを承りまして、ありがたかったのであります。
    しかし残念ながら、バンド内の綻びがだんだん表面的になり、1997年にポールが脱退。危機が生じました。ポールと同じSHRAPNELのアーティスト、リッチー・コッツェンが参加、2000年『GET OVER IT』、2001年『ACTUAL SIZE』と2枚のアルバムをリリースし、勢いを取り戻すかと期待されましたが、メンバー間の諍いがここでも再燃。2002年には遂に解散をむかえます。日本での解散コンサート、私も撮影で同行しましたが、なんとも盛り上がりに欠けた感が漂っていたのを記憶しております。ファンも複雑な心境だったようでした。
    2008年5月13日、ロサンゼルスのハウス・オブ・ブルースでポールのライブが行われ、何とオープニング・アクトがリッチーという驚きのカップリング。アンコールの「30 Days In The Hole」で、驚くことにパット、ビリー、そしてリッチーが勢ぞろい。「Daddy,Brother, Lover,Little Boy」の演奏での楽しそうな雰囲気から、これはもしかしたらと期待していたところ、なんと数日後にエリックに連絡が行き、このワン・オフのリユニオンが、あらためてオリジナル・メンバーでの再結成に繋がったのは周知の通りですが、会場でこの瞬間を体験した時には鳥肌がたちました。
    その後、順調にアルバムをリリースして来た彼らですが、私も今まで同様ジャケット関係、ボックス・セット類でメンバーのショットを撮り続けておりまして、雑誌等の取材を含めて関係は密に進めて参りました。
    最新作の『DEFYING GRAVITY』は、プロデューサーにケヴィン・エルソンをあらためて起用。原点に戻ったアプローチでのレコーディングを行い、新曲にも「1992」とあるように、超絶な技巧でのプレイも円熟味を増しており、ヴォーカル・ハーモニーも斬新。パットも体調を維持しながら、マット・スターとツアーをこなしている現在の彼らのライブは、かなり強力なインパクトがあります。新曲も違和感がなく、ヒット曲のオンパレードも嬉しい。
    何というか、初心に帰りながらも長年の経験が滲み出た、最先端のMR.BIGとして爆進している姿を、是非ともお見逃しなく、コンサートに足を運んでください。満足度は半端ではありませんぞ!
    【6月25日 カリフォルニア州パサディナ公演より】
    <プロフィール>
    ウィリアム・ヘイムス(William Hames)/フォトグラファー

    LA在住。MR.BIGはもちろんのこと、AEROSMITH、BON JOVI、MOTLEY CRUE、OZZY OSBOURNE、RATTなど、数え切れないほどたくさんのミュージシャン、バンドの写真でおなじみ。ミュージシャンの来日公演のコンサート撮影する機会もたびたび。撮影だけでなく海外取材のコーディネートもおこない、関係者の絶大な信頼を得ている。
  • MR.BIG 日本のファンとの「絆」にちなんだ新曲“1992”キャンペーンがスタート!
    2017.07.21

    「1992〜MR.BIG物語」のミュージック・ビデオを作ろう!

    〜あなたとMR.BIGの“絆”を示す写真・映像を大募集します〜

    ニュー・アルバム『DEFYING GRAVITY』収録曲、ファンの支持が高いナンバー「1992〜MR.BIG物語」。「To Be With You」の大ヒットでMR.BIGがアメリカ本国でシングル・チャートのナンバー・ワンに輝いた頃の思い出を歌っています。 ここ日本では1992年、MR.BIGは押しも押されぬトップ・ロック・バンド。日本のファンはアメリカのみならず世界のファンより先に彼らの才能を見出していました。「1992」の歌詞中にある「だけど善良な人々が聴いてくれたから乗り越えられた」という部分には特に日本のファンに対する心からの感謝の気持ちを込めていると作曲したポール・ギルバートも語っています。

    「1992」は来る9月のジャパン・ツアーでも演奏されます。バンドとファンの強い“絆”をテーマとしたこの曲を日本のファンの前で演奏することをバンドも楽しみにしています。

    日本のファンとMR.BIGとの間にある特別な“絆”を形にしたいと思います。初来日時から2014年の『…STORIES WE COULD TELL TOUR』に至る来日時のファンのみなさんとMR.BIGとの思い出のこもった写真・動画を是非提供してください!ジャパン・ツアーの映像とともにコラージュした日本制作のPV、ツアー用のスクリーン映像を制作することが決定しました!この映像にみなさんの思い出とバンドに対する思いも一緒に込めさせてください!


    <応募内容>

    ●あなたとMR.BIGの絆を示す写真や映像をお送りください。
    ・メンバー、ライブ会場、CDなどが写り込んでいなくても、各自MR.BIGに思い入れがある写真であれば構いません。
    ・年代の指定もございません。
    ・なるべく多くの写真を使用する予定ではございますが、ご希望に添えない場合もございますこと、ご了承くださいませ。
    ●映像公開に関して
    ・MR.BIG2017年来日ツアーにて披露されます。※名古屋、広島は会場の都合により披露がございません。
    ・公演後はyoutubeにて公開いたします。
    ●応募者抽選プレゼント
    ご応募頂いた方の中から抽選で、MR.BIG1992特製扇子&手ぬぐいセットを100名様にプレゼントいたします。
    ※抽選は商品の発送をもって代えさせていただきます。
    ●募集期間
    9月5日(火)必着分まで

    応募方法などの詳細はこちらまで
    http://wowowent.co.jp/specials/detail/66


    【お問い合わせ先】
    WOWOWエンタテインメント(株) MR.BIG「1992」MV企画係
    03-6441-0850(11:00〜18:00)
    sales@whd.co.jp

  • MR.BIG 来日記念 リレー連載(不定期)「MR.BIGと私」第二弾
    2017.07.19
    不定期連載「MR.BIGと私」、初回のTBS・川西さんに続きまして第二弾は通訳の中村美夏さんがご登場。中村さんはMR.BIGのデビュー時期から取材時の通訳を担当し、彼らがコンサート、アルバムのプロモーションなどで来日する際は必ず中村さんの姿が見られます。特に再結成後に日本でおこなわれたインタビューのほとんどは中村さんが通訳を担当しています。つまり、みなさんが見聞きしているバンドの声は中村さんを通じて発信されているわけです。そういう意味では、MR.BIGが日本で爆発的な人気を博しているのは中村さんの力によるところも大きいのかもしれないですね。
    今回の連載は、普段みなさんが目にするような雑誌のインタビュー・特集記事や、プロのライターさんが書くものとは異なる視点から捉えたバンドの姿を紹介したいと思っています。通訳という立場の方から語られるMR.BIGの姿はどういったものなのでしょうか?読んでいただくとMR.BIGのことがますます好きになるのではないでしょうか。特に、2011年4月の震災直後におこなわれたジャパン・ツアー時のエピソードには胸を打たれます。
    こんにちは。通訳の中村美夏です。
    いつもは裏方として働く身なので、このような表舞台に出るのはかなり気恥ずかしいのですが、せっかくMR.BIGについて語れるチャンスをいただきましたので、通訳の立場から見たり感じたりしてきたMR.BIGを少しだけ書いてみたいと思います。

    彼らと初めて会ったのはデビュー・アルバム『MR.BIG』の時でした。当時はあくまで取材通訳のひとりだったので来日時に数時間会う程度で、2枚目、3枚目と、ぐんぐん人気が上がっていく様を凄いな〜となかば客観的に眺めていました。
    その後ポールがバンドを離れソロに転向すると、ありがたいことに一緒に仕事する機会が増え、気がつけばチームPGの一員になっていました。『FLYING DOG』あたりからです。その後、何枚ものソロ・アルバム(プラスRACER Xの再結成)とプロモーション活動を通して酸いも甘いも共有しましたが、どんな時でも、どんな作品でも、インタヴュー最後の質問はほぼ決まって「MR.BIGのメンバーとは会いますか? 再結成の可能性は?」でした。通訳の私でさえ「またか」と思うくらいでしたが、ポールの反応は一貫して「再結成? ないよ、だから質問しても無駄」的な頑ななもので、そんな状態が何年も続いていました。だからこそあの2009年の再結成は、まさに青天の霹靂、一発逆転超特大ホームランで、「ポールさん、心変わりありがとーーー!」という素直な喜びでいっぱいでした(再結成はポールの気持ち次第であったことは周知の事実ですよね?)。本人は「久々にメンバーとジャムったら気持ちよかったからヤル気になった」と軽〜くいっていましたが…
    そして2011年の、震災直後のツアー。あのカオスの中本当によく日本に来てくれたと思いますが、ひとつ覚えているシーンがあります。中止になってもおかしくなかった盛岡公演の日、開演少し前に楽屋でエリックとすれ違いました。いつもなら、すれ違いざまに変顔したりイジッてきたりするお茶目な彼もさすがに緊張しているらしく、「余震が怖い?」ときくと、「いや、そうじゃないんだ。このあとステージに出ていくでしょう? そしたら、おそらくぽつぽつと空席があると思うんだ。そこにいるはずだった人は、被災して来られないかもしれないし、もしかしたらもうこの世にいないかもしれない、と思ったらちょっと重くなった。いつもは行き当たりばったりの僕だけど、MCで何をいうべきか、少し考えていた。今日はそういう人々に届くまで、いつも以上に頑張るよ」と。なんて情が深い人だろう、今日はきっと良いコンサートになると確信しました。もちろんその通りになりました。あの日、会場を包み込んだ感謝と感動は忘れません。
    そんなエリックを含め、各メンバーの印象は、今も昔もさほど変わっていません。エリックは愛すべきお調子者で、往々にして答えが長すぎて通訳泣かせ。しかもけっこう思いつきで喋るので話しがとっちらかることもあります。けれど、サービス精神は断トツで、そして純粋で、相手を想うあまり、あれもこれも説明したくなるのでしょう。バンドの道化師も担当しているので常に人を笑わせようとしますが、時々どこからが冗談かわからなくなるので、場合によっては話半分で聞くようにしています(笑)
    ビリーはいつでも理路整然と話すので、名指しの質問でないかぎり、多くの場合彼が口火を切ります。他のメンバーもそれをわかっているので、基本はビリーに任せ、あとで補足するといった流れが多いです。話術は最高。ただ、かなりアツい人なので、特に「今のミュージックシーンについて」のような質問が来ると異常な熱量で話し続けます(基本、打ち込み系の音楽が嫌い)。メモが追いつかないこともたびたび。
    そういうグダグダ系とヒートアップ系の間で、常に中立を保ち、バンドの理性でいてくれるのがパットです。彼がいることで、万が一脱線しても軌道修正され、取材はまとまります。そしてあの100万ドルの笑顔。本当にありがたい天使みたいな存在です。でもそんな彼でも2014年は本当に辛そうでした。病気を公表した後、LAで撮影された動画を見て愕然としました。明らかに我々がよく知る姿とは違っていたからです。あのパットが、嘘だろと思いましたが、あとから、あの時はまさにどん底状態にあったと知りました。そんな状態でも取材に出てきてくれたのは、それだけ責任感とバンド愛が強いのでしょう。その後プロモーション来日する頃には少し心の整理がついたのか、だいぶスッキリした表情をしていました。取材も、正直、拍子抜けするくらい順調に進み、パットからも「NG質問はないから何でもきいてくれ」といわれていたので、病気についてもオープンに正直に話してくれました。ただ、一度だけ、目の前で彼が壊れた瞬間がありました。ある記者が家族の支えについて質問した時。「妻と子供がいなかったら…」といいかけて、突然堰を切ったように泣き崩れたのです。エリックが一生懸命背中をさすっていました。どれだけ重いものを背負ったのだろう、計り知れないと思いました。私も取材陣ももらい泣きを堪えつつインタヴューを終えたのですが、「突然ゴメンね、でもいいスクープがとれただろ?」と茶目っ気たっぷりにいうパットを心から愛おしく思いました。
    そしてポール。一番長く知っていることもありますが、とてもわかりやすい。興味あることとないことの差がはっきりしています。もちろん取材時の答え方は丁寧で、的確で、好感度はとても高い。でもつまらない時はけっこうビジネスライクです。そういう時は通訳が何とか盛り上げます(笑)
    そして今、ニュー・アルバム『DEFYING GRAVITY』を語るポールはとても饒舌です。私も電話インタヴューさせていただきましたが、喋る、しゃべる! もちろんそれは彼が作品に満足している証しであり、気合いがビンビン伝わってきます。そして何より楽しそう。それは他のメンバーにもいえることで、作品の充実ぶりがわかります。2014年に、やむを得ず感じた5人目メンバーに対する違和感も、今は作り手も聴き手も完全にクリアして、逆に、マット・スターが持ち込んだ若さと新鮮さを楽しんでいる気がします。来年には結成30周年を迎えるバンドが、重力に逆らいながら、いまだに旬なアルバムを作れるなんて、素晴らしすぎます!
    9月の来日、みんなで盛り上げましょう!!
    <プロフィール>
    中村美夏(なかむらみか)/通訳・翻訳

    多くの海外ミュージシャンのインタビューや日本滞在時の通訳を務め、海外ミュージシャンの書籍の翻訳も手掛ける。
  • MR.BIG ポール・ギルバートの最新インタビューの一部公開!
    2017.07.11

    8/2(水)発売の「プレイヤー」9月号にて掲載予定のポール・ギルバートのインタビューの一部を特別公開!

    ——9月の日本公演について教えて下さい。

    これまで日本に行くときはワールドツアーの最初が多かったんだ。まず日本での日程を決めて、それから他の国のスケジュールを組んでいったからね。でも今回は5月に北米から開始して、南米やメキシコを回ってから、すごくホットな状態で日本に上陸することになるよ。パットにも参加してもらうし、最高のパーティーだ。日本の後はヨーロッパをツアーして、それでMR.BIGはしばらくお休みだから、絶対に見逃さないようにね!俺にとってはバンドとソロを交互にやるのが一番やりやすいんだ。バンドをやっていると自由にやれるソロをやりたくなるし、ソロでやっていると信頼できる仲間たちとのバンドが懐かしくなる。レーサーXもまたやりたいし、フレッド・ネルソンとの共演にも興味がある。インスピレーションに導かれるままに、あと共演する相手のスケジュールに合わせて活動していくよ。ウェブでやっている“オンライン・ロック・ギター・スクール”(http://artistworks.com/guitar-lessons-paul-gilbert)も俺のライフワークのひとつになっている。年間千本ぐらいの映像を公開して、もう5年やっているから、もう5千本の映像をオンデマンドで見ることが出来る。ツアーのオフ日はホテルに籠もってビデオの撮りだめをして、移動中にも撮影している。アメリカやイギリス、ヨーロッパ、日本、南米、ロシアなどのギタリストが受講しているよ。ただレッスンを受けるだけでなく、世界のギタリスト達の交流の場となっているし、これからも発展させていきたいんだ。

    さらなる発言は「プレイヤー」9月号(8/2発売)をチェック!
    http://www.player.jp/index.html

  • MR.BIG 最新作『ディファイング・グラヴィティ』、担当・深民淳さんによる全曲解説!
    2017.07.03

    MR.BIGのニュー・アルバム『ディファイング・グラヴィティ』、担当ディレクター・深民淳さんによる全曲解説が公開!バンド復活から濃密に携わってきた深民さんの愛情たっぷり入魂のテキストです。

    http://wowowent.co.jp/specials/detail/65

  • MR.BIG 大阪追加公演が決定しました!各会場でのVIPパッケージも!
    2017.07.03

    大阪追加公演が決定しました!追加公演の詳細は こちら にて!

    また、ミート&グリートを含むVIPパッケージを各会場で実施致します。詳細はhttps://mrbig2017.live-vip.jp/をご覧下さい。

  • MR.BIG 札幌公演・金沢公演のチケット予約・販売情報を掲載しました!
    2017.06.22

    両公演のチケット予約・販売情報はCONCERT INFOをご覧下さい。

  • MR.BIG 来日記念 リレー連載(不定期)「MR.BIGと私」第一弾
    2017.06.21
    本日、3年ぶり9枚目となるアルバム「ディファイング・グラヴィティ」をリリースしたMR.BIGが、9月に全国8都市を巡るジャパン・ツアーを行います。来年には結成30周年を迎える彼ら、もう大ベテランといっていいほどのキャリアですが、世界のどこの国よりもここ日本のファンとの結びつきが抜きん出てます。それはファンのみならずバンドに関わってきた様々な方にとっても同様のこと。そんな方たちが「お仕事」を通じて見てきたMR.BIGのあれこれを思うままに書いていただいたあれやこれやを紹介していきます。
    第一弾は、TBSの報道局に勤務する記者、川西全さん。川西さんはニューヨーク支局の特派員として様々な取材活動をされていますが、筋金入りのハードロック、ヘヴィメタル・ファンなのです。学生時代からMR.BIGの大ファンで、幾度かの取材を通して感じたこと、また今月初旬米国コネティカット州で行った取材などの模様も織り交ぜつつ、ファンならではの愛情だけでなく、報道記者としての視点から、彼らと日本の深い繋がりに焦点を当てた考察を述べてくださいました(コネティカットでの取材の模様はこちらのページからご覧になれます)。
    【アメリカのカジノでのMR.BIGとの再会】
    今月9日、アメリカ・コネティカット州のリゾートホテル。この日、ホテルのカジノスペース内にあるステージでMR.BIGのショウが行われることになっていた。キャパは最大500人程度、なんとチケット代は無料である。しかもカジノフロアには仕切りもないので、ホテルの宿泊客はカジノに興じながら、フロアに響くMR.BIGの演奏を聴くことができる。日本では考えられない環境だ。うらやましい・・・そんなことを思いながらステージ地下にある控え室で私はインタビューの準備をしていた。約束の時間は午後3時。
    スロットマシンなどが並ぶスペースのすぐ横にステージがある
    と、そこにふらりとビリー(・シーン)が入ってきた。まだ午後2時45分。「俺はいつも早いんだ」とうそぶくビリーと握手をする。いつもながらだが、その決して大きいとはいえない、やわらかい手に驚かされる。この手からどうやってあのすさまじいベースプレイが生まれるのだろう・・その後、メンバーはポール(・ギルバート)、パット(・トーピー)、エリック(・マーティン)の順に現れた。メガネをかけてバックパックを背負うエリックはステージ上のそれとは全く異なり、学生にすら見える。さあ、インタビューの時間だ。私にとってこれがメンバー全員に対する3回目のインタビューになる。リラックスしているメンバーをよそに、緊張でガチガチになりながら、私はメンバーに語りかけた。
    【きっかけは震災直後の歴史的ライブ】
    多くの30〜40代のHR/HMファンの方がそうであるように、私にとってHR/HMの世界と出会うきっかけとなったのがMR.BIGだ。当時中学3年生で、周りの友人は皆「Lean Into It」「Bump Ahead」を聴いていた。私も買ってもらったばかりのアコースティックギターで必死に“To Be With You” “Wild World”を練習したのを覚えている。
    そんな私がファンとしてではなく、取材対象としてMR.BIGに接するようになったのは、あの2011年の東日本大震災からである。当時、夜の報道番組「ニュース23クロス」のディレクターだった私は、震災発生直後から宮城、福島と被災地を渡り歩いた。特に震災から2日後の仙台の歓楽街で感じたのは「音のない街」ということ。日々、音であふれる我々の暮らしが、日常を奪われた瞬間いかにモノトーンなものになるか。それを実感させられた。そんな中でMR.BIGが震災からわずか1ヶ月で被災地・盛岡にやってくるという。外国人アーティストとしては初めての被災地でのショウ。果たして彼らは受け入れられるのか。どんな人たちがやってくるのか。そして、メンバーはどういう思いでやってくるのか。私はどうしても取材したいと思い、盛岡行きを決意した。
    当時、仙台公演は会場が使用できず、早い段階で中止が決まったが、盛岡も予断を許さなかった。実際、当初予定されていたライブ会場の岩手県民会館は余震の影響で使えなくなり、直前に急遽盛岡市民文化ホールへと変更することになった。そんなドタバタの中でも、当日には開演前に多くのファンが物販列に並んでいた。そんな中で私たちの目を引いたのは車椅子に乗って開場を待つおばあちゃんの姿だった。平川寿子さん。昔からX JAPANやMR.BIGの音楽が好きだったと話す平川さんは、震災によって自宅が半壊状態になり、避難所を転々とした後、親戚の家に身を寄せていた。「この日を待ち望んでいました。落ち込んでいてもしょうがないから来ました」と、マスク越しに語る平川さん。このバンドはこんなにも多くの人たちに愛されているんだと改めて驚かされた。
    その注目されたショウ、一曲目が「引き波」を意味する“Undertow”だったのには正直なところ「ええ?」と思ったが(苦笑)、会場のファンは何も気にすることなく冒頭から盛り上がる。震災以降、しばらく体感できなかった、ビリーのベースとパットのバスドラの重低音が腹に響いて心地よい。アップテンポの“American Beauty”や、“Green-Tinted Sixties Mind”に盛り上がる様子を見ながら、ずっと震災と向き合ってきた東北地方で、この建物の中の空間だけが別次元に存在している、という感覚に浸った。
    そんな思いから、再び震災へと意識を引き戻されたのが、バンドが被災地のファンのために書いた新曲”The World Is On The Way”が披露されたときだった。会場の最後方のカメラ席からは、多くのファンがメンバーの後ろのスクリーンに流れる歌詞の字幕を見ながら立ち尽くしているのが見て取れた。近づいてみると、感動のあまり震えていたり、ハンカチを取り出したりしている。「世界が君の元へと向かってる」、こんなストレートなメッセージが刺さるのはバンドの嘘偽りない気持ち、真摯な姿勢をファンがみんな理解しているからだろう。小細工ではない、最後は気持ちなのだ。
    最後の“Shy Boy”にいたるまで、会場の一体感というのは相当なものだったと思う。その場にいた1500人が同じ思いを共有し、終演後には口々に幸福感を語った。おばあちゃんの平川さんが涙を流して喜んでいた光景を私は忘れることができない。まさにMR.BIGの、そして盛岡の人々の記憶に永遠に残るだろう歴史的な一夜だった。
    【普通の生活に戻ることの重要性】
    再び今月9日。緊張の中始まった、私にとっての3回目のMR.BIGとのインタビュー。ビリーは2011年の盛岡のショウをこう振り返る。「被災地を訪れるのが早すぎると自分たちのことを批判する人もいたけど、そうは思わなかった。自分たちが普段の生活に戻るのが早いほど、被災地のみんなもきっと良くなるだろうって」。彼は毎回、まったくぶれることなく「普通の生活に戻ることの重要性」を強調する。5月にイギリス・マンチェスターで起きたアリアナ・グランデさんのコンサートを狙ったテロに言及し、「マンチェスターのテロも、事件後の慈善コンサートはうまくいき、人々はまた普通の生活に戻った。素晴らしいことだ。」と語った。エリックも続ける。「アリアナ・グランデはテロから1、2週間で戻ってきて人々をひとつにした。邪悪な連中に勝たせるわけにいかない、僕たちは前に進まないといけないんだ」と。彼らの強い信念の背景にあるのは2001年のアメリカの同時多発テロだ。ビリーは「9・11の直後、ニューヨークではレストランも営業せず仕事を続けるのも困難で、職を失った人たちであふれた。その教訓から、我々はできるだけ早く通常の生活に戻らなければならないんだ」と語っている。
    もちろん、震災の際に来日してくれたのは日本に対する強い思い入れというのがベースにあったからだと思う。2011年のインタビューでエリックは「日本のファンとはお互い支えあっている。僕らが100%の力を出せば、日本のファンは200%の声援で応えてくれる」と語った。この言葉は私にとっても感動的だった。彼らの日本への思いは、阪神大震災の翌年、1996年に神戸でのチャリティーショウですでに具現化されている。「俺たちはサンフランシスコやLAでも地震を経験している。その経験を生かして被災地のファンを勇気付けたい。同じ活火山帯に位置している日本の兄弟たちが困っている際はお互い様だよ」。これはビリーの言葉だが、彼らの偽らざる気持ちなんだろう。そしてこのとき発した「お互い様」という言葉、これは震災直後のライブからわずか3年後に実感させられることになる。
    【今度は日本のファンが恩返しを】
    2014年にも来日したMR.BIGだが、バンドは大きな問題を抱えていた。パットのパーキンソン病が明らかになった直後だったからだ。パーキンソン病は体の自由が段々利かなくなっていく病気で、治療法は確立しておらず、進行を抑えるのが精一杯という難病だ。この時点でもパットは通常のドラム演奏はすでにできない状態になっていた。9月にプロモ来日した際のインタビューでは涙を流しながら「病気がわかったときは何もしたくなかった、自分がバンドにいないことを想像したくなかった」と語る様子に胸がしめつけられる思いだった。
    そんなパットに力を与えたのは日本のファン、とりわけ仙台公演ではなかったか。仙台は2011年のツアーでは唯一震災の影響でキャンセルせざるを得なかった場所。実は、メンバーはもともと仙台に対して特別な思いを持っていた。それはサンフランシスコのようなベイエリアの都市であるということ、それから初来日の際の署名活動の記憶である。MR.BIG初来日の際、東京と大阪しか公演がなかったことから仙台のファンは署名活動を行った。その行動は2回目の来日で報われることになるのだが、メンバーはこのエピソードを今でも強く記憶しているのだ。それだけにこの2014年の来日で、仙台を訪れたメンバーのライブ前の緊張度合いが凄かったことを覚えている。エリックはリハーサル時に「感情のジェットコースターに乗っているようだ」と語っていた。一方で、仙台のファンにとってもさまざまな感情が入り混じるライブであっただろう。当時のニュースでも紹介したMR.BIGの大ファンで仙台市内在住の山口早紀さん。2011年、盛岡公演で初めて出会った彼女は高校を卒業したばかりだったが、このときは金髪姿の大人の女性になっていた。震災直後にパットに仙台の状況についてメールを送ったところ、返事をもらったことに感激していた女性だ。「3年前に自分たちを励ましてくれたパットに今度は自分たちが恩返しをする番」と私に語り、ライブ会場へと向かった。この日の会場は、津波で流され、この年にやっと再オープンにこぎつけた場所。仙台港のそばに位置していたが、山口さんによれば、沿岸部にはあまり近づきたくないのだという。「海水浴に行くなら太平洋側よりも日本海側の山形まで行く」という言葉、震災のトラウマというのがここまで残っているのかと感じられ、私には衝撃だった。同じ被災地のライブでも2011年の盛岡との違いは座席がないこと。ずっと待ち続けた仙台のファンはスタンディングフロアで熱狂をもってバンドを迎える。そしてパットに対してはひときわ大きな歓声。
    終盤で、パットがヴォーカルを務めたJUDAS PRIESTのカバー“Living After Midnight”での生き生きした様子は、本当にショウを楽しんでいた証左ではなかったか。バンドは3年前にはこの地で演奏できなかった“The World Is On The Way”を最後に披露し、ファンの感動とともにショウをしめくくった。終了後、「これまでは心に穴が開いたような感じだったけど、気持ちの整理をつけることができたよ」と安堵に満ちた表情で語ったエリック。パットもこのツアーを通じ、笑顔が浮かぶ機会が増えたように見えた。もちろん、これまでのようなドラム演奏ができるわけではない。しかし、被災地のファンたちの声援によってパットは心動かされ、前向きに考えを切り替えたのだという。翌年の我々とのインタビューで「去年の今頃はこんな風になれるなんて想像もしなかった。例えていうと、足の速い人もいるけど、自分は速く走れないと。それは問題ない、うまく乗り越えられる。ゆっくり走ることが出来れば、目的地に向かうことはできるから。それは良いことだと思う」と語っていたその言葉は、今でも私の心の中にズシリと残っている。
    【石巻の高台から見えたピースの欠けた世界】
    翌2015年にエリックがソロツアーで来日すると聞いたとき、初めは正直なところ取材する予定はなかった。しかし、ツアー日程に石巻が含まれているとの一報に心は揺れた。「なぜ石巻なんだろう?」と。エリックはその理由について「石巻には行ったことがないけど、ひどく被害を受けたんだろう? “The World Is On The Way”を書いて、少しは被災者の人たちを助けることができたけど、まだ十分ではない気がしていたんだ。自分は金持ちであればさまざまな助けができるんだろうけど、自分はエンターテイナーだ。だから2時間だけでも観客を幸せにしたい。被災地に幸せの輪を広げることが自分の任務なんだ」と語っている。そして、ツアーにはパットも帯同するというニュースはファンを喜ばせた。
    日和山公園から町を臨むエリック
    石巻への移動はその年の5月に復旧したばかりのJR仙石線だった。津波の被害で線路もめちゃくちゃになったため、一部の区間は高台へ路線変更する形で開通したのだが、そうエリックとパットに説明したとき、彼らは神妙な顔つきで車窓から周囲を眺めていた。熱心に私たちの説明を聞く様子は、石巻到着後に連れて行った日和山公園でも同様だった。「ここはニュースで見たのと同じ光景だ。震災の当日は雪が降っていたよね」とエリック。彼にとって高台から見た街の景色は、復興が進んでいるものの、人気がないように映ったようだ。「震災で家を失った人はどこへ行ったの?その後、なぜ戻ってこないの?建物は再建されても、空っぽだ。重大なパズルのピースが欠けている気がする」としきりに気にしていた。
    会場は、200人規模のライブハウス。ここは震災後、復興プロジェクトの一環で建てられたもので、付近一帯はすべて津波で流されたのだという。外国人アーティストの訪問は初めてだったそうだ。MR.BIGとは異なり、アコースティックギター2本にパーカッションというシンプルな編成のバンド演奏は、楽曲のメロディの良さを際立たせる。特に、現在のMR.BIGの編成ではなかなか聞くことのできない名曲“Shine”は私の胸を打った。
    これはまったくの蛇足なのだが唯一、こうした美しい思い出に水を差したのが地元のあるタクシー会社の運転手。ショウが終わり、我々が機材を持って駅まで急いで移動しようとタクシーを捕まえたら距離が近いことを理由に乗車拒否してきたのだ。我々はこのために予定していた列車に間に合わず、やっとの思いで駅に着いたらそのタクシーはのうのうと駅前に止まっていた。復興のために街を訪れる観光客も多いだろう中で、こういう人に出会ったら勿体無いなと思った次第である。
    【そして未来へ進む現在進行形のバンド】
    話を再び現在に戻そう。コネティカット州のリゾートホテルのステージ楽屋。ポールの「MR.BIGは自分にとっての夢。日本のファンに音楽の贈り物をするのが本当に楽しみなんだ」というメッセージとともにインタビューを終えると、メンバーはサウンドチェックへ向かった。このとき披露された“30 Days In The Hole”、冒頭のハーモニーを聴くと、このバンドはまったく衰えていないことを実感した。特にエリックの声は絶好調だ。高音の伸びといい、ここ数年でも最も調子がいいのではないか。バンドの好調ぶりはライブ本編でも再確認させられた。一曲目の“Daddy, Brother, Lover, Little Boy”から最後の“Colorado Bulldog”まで全16曲、一気に突っ走ったメンバーたち。その熱のこもった演奏に、当初はスロットマシンに興じていた観客も徐々に集まってきて、最後にはみんな満足気な表情を浮かべている。撮影をしていた私たちをバンドのクルーと間違えたのか、いろんな人から「素晴らしいショウだった、ありがとう!」と声をかけられた。
    また、はじめの数曲はパットが出てこなかったのだが、ビリーの「誰か忘れていないか?」とのMCからパットが出てきた際の歓声たるや、驚くべきものがあった。失礼ながら、こんなに人気あったっけ?みたいな。それは、困難と闘い続ける人に対する人間の本能的な賛辞なのかもしれないな、なんてことを考えた。
    ショウの終盤で披露された新曲“1992”では、バンド最大のヒット曲“To Be With You”がビルボードチャートで1位になったときのこと、そのときのレコード会社の対応について歌われている。ポールはその時代について、「楽しい時代だったが恋しく思うことはない。今が凄く楽しいから」と語った。また、エリックも新たなNO.1ヒットが欲しいかという質問に対して「自分はヒット曲を狙って書いたことはない。そういうヒット曲の公式に沿って書いたのは“Just Take My Heart”だけだ(笑)」と語っていた。そういうことを言ってしまうのがエリックらしいと言えばエリックらしいのだが(苦笑)、いずれにせよ2人の発言は強がりではなく、今が充実していて、楽しんでいる様子が伝わってきた。「今はライブでプレイしている新曲は2曲だが、日本に行くまでには増えることになる」とエリックは語っている。これも最新作への自信の表れだろう。
    インタビューの中で日本のファンについてパットが興味深い指摘をしている。「日本はもっとも演奏するのが楽しみな場所。他の国にはない、長い絆があって、昔10代だったファンはいまや子どもを連れて来るようになった。日本でショウをするのは、家族の再結集みたいなものだよ」と。これは大事な話だと思う。アメリカにいても、METALLICAやIRON MAIDENクラスの大物バンドは親が子どもを連れてくるケースがかなり見られた。こうやって若いファン層を獲得し、新陳代謝を進めるバンドは強い。そういえば2015年のエリックのソロツアーでの石巻公演、岩手から来ていたという妊婦さんは若いときからのファンで、「3番目の子どもはCDをかけると歌うんです。胎教です(笑)」と言っていたっけ。
    来年には結成30周年を迎えるMR.BIG。彼らは間違いなく現役で、現在進行形のバンドである。幾多の困難を乗り越えた彼らの自信は、バンドに強烈な追い風を生み出している。円熟期を迎えたMR.BIGがやってくる数少ない機会。結成時からのファンも10代の若いファンも、必見と言っておく!
    <プロフィール>
    川西全(かわにしぜん)/TBSテレビ ニューヨーク支局特派員

    報道局政治部の記者や「ニュース23クロス」ディレクター等を経て、昨年よりニューヨーク支局勤務。大統領選挙など米国での取材活動中。MR.BIGはもちろん、METALLICAやIRON MAIDEN、HAREM SCAREMなど、ハードロックやヘヴィメタルが大好物。近年ではBABYMETALへの熱心な取材も。2011年4月、東日本大震災直後に行われた日本公演からMR.BIGへの取材を開始し、その模様をこれまでに何度か同局の報道番組で紹介している。
  • MR.BIG 最新インタビュー&ライヴ映像を掲載中!
    2017.06.19

    昨日「TBSニュースバード」内「Catch The World」コーナーにて放送されたMR.BIGのインタビューと最新ライヴ映像が同局の報道WEBニュース・ページにアップされました。

    http://news.tbs.co.jp/newsi_sp/catch/20170618.html

    ぜひご覧ください!

  • MR.BIG 今秋の来日公演が決定!メッセージも届いています!
    2017.06.05

    6月21日リリースの最新アルバム『ディファイング・グラヴィティ』を携え、今秋来日!メンバー4人とレーベル担当者から、映像とコメントでのファンへのメッセージが届いています!

    バンドにとって混乱と結成以来の危機を乗り越え実現に至った2014年ツアーを応援してくださったみなさん、本当にありがとうございました。あれから3年近く、実は状況はあまり大きく好転してはいません。パットの病状はまだまだ予断を許さない状況です。でも、今、バンドはすごく明るくポジティヴな状態です。メンバーの顔に心からの笑顔が戻ってきました。2年強の月日の流れは彼らに苦境を乗り越え前進する術を授けました。

    メンバーは全員、最新作『ディファイング・グラヴィティ』の出来に満足しています。そしてツアーを心待ちにしています。ツアー最終盤に日本ツアーが置かれているのは苦しかった時期も共に支えてくれた日本のファンと共に心行くまで楽しみたいという意思の表れです。

    2017年ツアーは一点の曇りもない明るいMR.BIGがみなさんを楽しませます。会場で会いましょう!

    WOWOWエンタテインメント 深民 淳

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