GIZMODROME/ギズモドローム

【メンバー】
スチュワート・コープランド<ポリス> (Dr./Vo.)
エイドリアン・ブリュー<キング・クリムゾン/デヴィッド・ボウイ> (G./Vo)
マーク・キング<レヴェル42> (B./Vo)
ヴィットリオ・コスマ<PFM> (Key./Vo.)

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  • GIZMODROME 連載企画第三弾!エイドリアン・ブリュー編
    2018.01.10
    ギズモドロームの連載企画第三弾は、「エイドリアン・ブリュー」の原稿をお届けします。
    キング・クリムゾン、デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズなど様々なバンド/アーティストと活動を共にしてきたエイドリアンですが、来日公演ではその活動歴からどんな楽曲を披露してくれるのか、期待が高まりますね。
    ギズモドロームの魅力を紹介するこのシリーズ、今回は変幻自在なギター・プレイで知られるエイドリアン・ブリューを紹介する。どんなバンドであっても彼のギターが入るとすぐそれとわかる独自のサウンドを確立している強者で、あのキング・クリムゾンでさえもブリュー色に染めてしまったことは特筆に値する。そんな彼がギズモドロームの音楽性にどんな影響を与えたのだろうか?
    エイドリアン・ブリューは1949年12月23日、米ケンタッキー州コビントンで中産階級の家に生まれた。学生時代は地元でシンシナティ・ビートルズと呼ばれる人気バンドのドラマーだったが、16歳の時に感染症にかかり2ヶ月間の自宅療養生活を強いられたため、その間に独学でギターを習得したという。彼は正式なギター奏法の教育を一切受けなかったこともあり、他人と同じスタイルで弾くことを嫌い、独自のコード感、独自の奏法を身につけたことで、瞬く間に高校のギター・ヒーローとなった。これが現在に至る彼の独創的なプレイ・スタイルが確立された理由でもある。やがてプロ・ギタリストになることを決心したブリューはナッシュビルへ移住し地元のバンド、スウィートハートへ加入した。ある日フランク・ザッパがその地を訪れた際に、運転手の推薦でスウィートハートのライヴを観たザッパがブリューのことを気に入り、オーディションを経てブリューはザッパ・バンドへと加入している。
    ブリューは1977年から78年にかけてザッパのツアーにサイド・ギタリストとして参加し、その時の音源を元に作られたのが名盤『シーク・ヤブーティ』(1979年)である。ここで注目されたのはブリューがボブ・ディランの声色を真似たパフォーマンスであり、後に開花するヴォーカルのうまさも窺いしることができた。ブリューはこの時「毎週末にザッパの家に泊まって特訓を受け、月曜日にバンド・リハーサルするという日々を過ごした。ザッパと私はほかのメンバーよりも親密だったと思う。彼には音楽だけでなく人生についても教えてもらったよ」とインタヴューで語っている。
    さらにザッパのライヴを観たブライアン・イーノがデヴィッド・ボウイに推薦し、1978年にブリューはボウイのツアー・メンバーとなりリード・ギターを担当した。その後トーキング・ヘッズ、トム・トム・クラブなどへの客演を経て、当時リーグ・オブ・ジェントルメンで活動していたロバート・フリップの目にとまり、キング・クリムゾン再結成のメンバーに抜擢された。ブリューは回想する...「フランク・ザッパは自分の中で音楽を仕上げ、それを完璧に再現できるミュージシャンを必要としていた。ロバート・フリップは真逆で、彼はギタリストであり、彼には作曲家や作詞家、シンガーが必要だったんだ。彼はフリッパートロニクスやサウンドスケープという独自のギター奏法を持っているが、私はそこにアクセントを付けようと提案した。私が33年ものあいだロバートとパートナーであり続けられたのは、お互いの信頼関係が築けたからだ」。
    ブリューは1981年に誕生した新生キング・クリムゾンのメイン・ヴォーカル&ギターを担当し、彼のギター・プレイはクリムゾン・ファン、プログレ・ファンのみならず、多くのロック・ギタリスト・ファンに衝撃を与えた。動物の鳴き声や電気的に聞こえる特殊な効果音など、従来のギター奏法ではあり得なかったサウンドが聴かれたからだ。それもまるで子供がおもちゃを使って新しい遊びを覚えたかのような無邪気な笑顔のままで超絶技巧を聴かせるものだから、その衝撃は何倍にも増幅された。ブリューは「ギターを声の一種だと思っているし、サウンド・コントローラーだとも思っている。歌ったり話したりするのと同じように、表現豊かにベンディングしたり、タッピングしたり、音量調節することなどによって、およそできないことはない。ロック・ギターは終わったという人がいるけど、私は今まさに開花したものだと思っている」と語っている。
    またブリューの魅力はギターだけでなく、ヴォーカル・スタイルにもある。まるでギターのチョーキングのように粘りのあってレガートで歌われるメロディー・ラインは特徴的だが、これはトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンからの影響が大きく、キング・クリムゾンにおいてはグレッグ・レイクやジョン・ウェットンといった正統派ブリティッシュ・ロック的な歌い方とは異なるヴォーカリストの登場に、度肝を抜かれたファンも多かったはず。
    キング・クリムゾンは2013年より8人編成となって再稼働しているが、そこにはブリューは存在していない。この再編についてロバート・フリップから何も相談がなかったとしてブリュー自身は傷つき遺恨の念も抱いていたというが、2016年9月にフリップと電話で会話し和解している。フリップはブリューがいつしか“9人目のメンバー”になることを承諾したと公式サイトで公表している。最新インタヴューでブリューは「それは可能だと思う。音楽性もメンバー構成も全く異なるバンドになってしまったけれど、今はそれを見守りながら、時期が来るのを待っているんだ」と答えている。ブリューのクリムゾンに対する長年の貢献度は目を見張るものがあるが、彼が歴代で最も長く在籍していたメンバーだということも忘れてはいけないだろう。
    80年代以降はキング・クリムゾンのメンバーとしてのイメージが強すぎるブリューだが、バンド活動と並行して彼はソロ・アルバムを15枚以上もリリースしている。ソロではブリューのルーツといえるビートルズからの影響や、華麗なアコースティック・ギターの腕前を披露するなどポップ・ミュージックに対する造詣の深さが垣間見える音楽も奏でている。さらにクリムゾンの休止期間に始めたザ・ベアーズ(スウィートハート時代の親友たちと結成)も、それまでのブリューの経歴にはなかったポップ・センスに溢れた音楽を演奏しており、このバンドのスタイルがブリューにとって最もギズモドロームに近いアプローチではないかと思わせる。
    ブリューとスチュワート・コープランドは、お互いにキング・クリムゾンとポリスという80年代を闊歩した盟友同士であり、1986年にはブリュー、コープランド、スタンリー・クラークという異色の3人でスクール・デイズ(クラークの1976年発表のアルバム名)コンサートを行っており、この頃から面識があった。イタリアで始まったギズモ・プロジェクトが進むに連れブリューにも誘いの連絡があったが、ブリューのスケジュールが空いて合流したのが2016年の夏であり、軽い気持ちでセッション参加するつもりだったブリューを巻き込んで見事バンド結成に落とし込んだのもコープランドの仕業である。きっかけがどうであれ、ギズモドロームとしてパーマネント・バンドを結成し、アルバムも完成した今となっては、ブリューにとって心地よい新たな居場所を確保したというわけだ。特に彼のユニークな存在感と明るい性格がギズモドロームの音楽にはマッチしているんじゃないだろうか。

    ギズモドロームのアルバムでブリューは、オーソドックスなバッキングから得意の効果音、変態ギター・ソロ、アコギ演奏まで、これまでのギタリスト半生すべての経験を詰め込んだような濃厚で充実したパフォーマンスを聴かせている。アルバムではブリューはリード・ヴォーカルをとっていないものの、バック・コーラスでマーク・キングと競うように領域争いを演じている。ブリューの参加はサプライズだったわけだが、そのわくわく感や即興のヴォルテージを落とすことのないように、レコーディング自体はごく短期間に集中して行われている。「カラクリ」という意味を持つギズモを具体化したような遊び心を持つサウンドは、ブリューなくしては実現不可能だっただろう。幾千ものライヴ・パフォーマンスに長けたブリューがゆえ、ギズモドロームのコンサートではどんなぶっ飛んだプレイを聴かせてくれるのか楽しみで仕方ない。

    *メンバーの発言は海外ネットの最新インタビュー、国内BARKSサイトなどから引用しています。

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